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【雑談】こんな時代に"呟き"に立ち返ってみた

肌寒くどこか埃っぽい3月上旬終わりの雑談🌬

数日前からこめこめくらぶのXのアカウントにて、リプライを制限する機能を使いはじめた。

アカウントに鍵をかけるのと違ってRTなどは自由にできる状態だがリプライだけできないようになっている。まあそこまで大した理由はないのだが、自分にとって丁度いいデジタルデトックスの仕方だったというのがそれらしい理由付けになるだろうか。

TwitterがXという名称に変わってから8か月ほど時間が経った。Twitterという名前だけでなく、"Tweet(呟き)"という行為が"Post(投稿)"という名前に変わった。

私はこの名称変更騒動が起こる前から、TwitterがTwitterでなくなっていく感覚があったので名称変更の機会に敢えて"乗っかる"ことにした…決別の意を込めて。

"呟き"という個人的な行為を各々が勝手にしている広場というのが、私が思い描く"Twitter"の姿だった。もはやその時代は変わり、公共性を意識した"投稿"をするのが今の"X"だ。

それ自体は別に良いとも悪いともいえない。マスク氏の独断だけでそうなったわけではなく、ネット文化が深化していく中で公共性が意識されていった部分もあるはずだ。

私自身、広く世界に発信する目的をもってSNSを利用している。個人的な"呟き"はむしろ最初から控え目だったかもしれない。そういう曖昧なスタンスとも決別する意味で"呟き"から"投稿"へと乗り換えた。

でも、ずっと”投稿”し続けるのに最近しんどさを感じてきた。公共性を意識し続けることに疲れたのかもしれない。

ならシンプルに”X”を断てばいいのだろうけど、発信活動を一度中断した後に復帰するのもしんどい…というわけでいい落としどころを探していたところリプライ制限機能に目を付けた。

”投稿”にリプライがつくのは本来ありがたいことだ。わざわざそれを見て考えて文字を打ってくれているわけだから。でも全てに返信は私にはできなかった。スルーするリプライも増えてくる。そしてそれを意識するのにコストがかかる…という悪循環。

なので、あくまで個人的な誰にも向けたわけではない"呟き"に立ち返る。"呟き"を勝手に見てもらい、何か意見があればそれを引用していただく。そうすることで自分への負担の軽減が見込めるのではないかと考えた。

実際、効果はあったと思う。"投稿"から"呟き"へ意識転換したことで以前より気が楽になった。内容はそこまで変わらず、アニポケ感想などもいつもどおり発信できたので自分の活動としては満足している。

一見すると閉鎖的な手段に見えるかもしれないが、個人的には自分が社会と接続し続ける為の策だと認識している。また完全にオープンなアカウントにするかもしれないが、その時はまた気軽にリプライを飛ばしてほしい。

余談だが、マスク氏がまた仕様変更で”X”のありようを改革しようとしているらしい。「いいね」「リポスト」が非表示となり、インプレッションのみを表示するとのこと。

"Twitter"が"X"になった時には多少恨みがましい気持ちだったが、今回の改革についてはもしかすると"呟き"に回帰する可能性があるのかもしれないと若干期待している。

…実際はインプレッション稼ぎの業者が跋扈するのだろうけど、まあ一つの理想論として聞き流して。"呟き”を"投稿"に変えた本人が誰よりも"呟き"を求めていたとしたら…これ以上ない喜劇であり悲劇だろう。

その様は"呟き"によって語られるのか"投稿"によって共有されるのか、一ユーザーとして楽しみにしておく…To Be Continued.

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