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映画「クララ・シューマン 愛の協奏曲」(2008)

原題「Geliebte Clara」。ブラームス家の末裔であるヘルマ・サンダース=ブラームスが監督・脚本を手がけ、ロベルト&クララ・シューマンとヨハネス・ブラームスとの関係に迫る (伝記) 映画。2008年ドイツ上映。カンヌ映画祭や日本では翌年上映された。以前にDVDをレンタルして視聴したことがあったが、この度はYouTubeで全編観ることができた―。



邦画タイトルからすればクララが主人公のように感じるが、ドイツ語の原題からすると「最愛のクララ」となるので、クララを巡るロベルトとヨハネスに注目したもののようにも思える。実際、若きブラームスの描き方が新鮮な切り口で最も印象的だった―まるで映画「アマデウス」でのモーツァルトのような闊達さで、すっかりイメチェンを果たしている―。そしてロベルトの方はというと、病気の兆候が顕著になる時期から亡くなるまでを描いているため、観ていて心苦しい場面が多く、残念で悲惨なイメージしか持てなかった。また原題に含まれている「Geliebte」には「愛しい」のほかに (場合によっては)「愛人」「恋人」「情婦」の意味合いがあることから、クララへの二重の視点が暗喩されていると思う―前者がシューマンなら、後者はブラームスの視点だろう―。これは監督の狙いなのだろうか。昔からクララとヨハネスとの恋愛関係について取り沙汰されてはいるが、ここでは大胆に映像化している (特にラストシーン。一線を越えることはなかったが) 。ブラームスの末裔だから力が入ったのか、プロットとして不可避だったのかどうかはわからないが、多くのフィクションを含む故、単純にこれを「伝記映画」とみなすことはできないように感じた―ネットでも「事実」として受け入れられかねないことを危惧する意見が数多く見られた。

2人の作曲家の愛情の中心に位置するクララは、まさに音楽の女神ミューズのように描かれる。自立した魅力溢れる女性で、肖像画で見るストイックなイメージとは相容れないほど肉惑的でもある (これもまた監督が放った伏線であろう)。音楽的才能も豊かで、ロベルトの代わりに「ライン」交響曲のリハーサル指揮をし、さらには二人羽織のようにロベルトと合同で指揮する場面すらある―女性が指揮するのはあり得ないので妥協策ということらしい―。映画ならではのフィクションであるが(ベートーヴェンの映画に似たようなシーンがあった記憶がある)、19世紀当時の音楽界の実情の一部は描かれているように思える。その意味ではファニー・メンデルスゾーンが自作品を指揮したという史実は極めて異例であったに違いない。彼女もまた豊かな音楽的才能の持ち主であり、公演プログラムをデザインしたり、オケや合唱団とのリハーサルや指揮に勤しんでいたという。ファニーとクララはお互い面識があったと思われる―クララにとってはメンデルスゾーン家の音楽は理想的であったろう。一方でシューマンの音楽は彼女の一部であった。

ファニー・メンデルスゾーン/序曲ハ長調 (1834)。
彼女自身が初演指揮したといわれている。

フェリックス・メンデルスゾーン/カンタータ「最初のワルプルギスの夜」~第1曲。ファニーはこの曲のリハーサル中に倒れ、帰らぬ人となる―。
(別情報では「ファウスト」第二部とも)

アニエスカ・ホランド監督映画「敬愛なるベートーヴェン」(2006)より―。「第九」指揮の補佐をする写譜師アンナ。もちろんフィクションだ。



ここからは、僕にとって印象的だった点を挙げてみたいと思う―。

邦題が「愛の協奏曲」というだけあって、オープニングはクララが弾くシューマン/ピアノ協奏曲で始まり、エンディングはやはりクララが弾くブラームス/ピアノ協奏曲第1番で閉じられる。脚本脚色はどうであれ、音楽の素晴らしさは変わらない―それだけが救いである。

クララの弟子ファニー・デイヴィスによるシューマン/ピアノ協奏曲。1928年録音。指揮はアンセルメ。

グリモー&ギーレンによるブラームス/ピアノ協奏曲第1番~第1楽章。


ブラームスがシューマン夫妻を訪ね、ブラームスの作品をクララがピアノで弾いて聞かせるシーンも (史実と異なるとはいえ) 印象的だった。クララに次いでブラームスがシューマンのテーマに基づく作品を弾く。そこにロベルトも加わり、左手パートを弾く。後ろから2人を見つめるクララ。そこに現れるシューマンの子供たち。映画中最も幸福な場面であった―。

そのシーンがこちら。ロベルトとヨハネス、クララ。永遠に続いてほしい場面だ。

ピアノ・ソナタ第1番ハ長調Op.1。史実ではこの曲をヨハネスはシューマンの前で弾いたとされる。映画の中で第2番に変更されたのはクララに献呈された作品だったからかもしれない―。

映画「愛の調べ」でも同じシーンが扱われるが、何故かラプソディOp.89-2が弾かれている。有名曲だからだろうか。

ブラームス/シューマンの主題による変奏曲Op.9。
クララも同じ主題で変奏曲を書いていた。

クララ・シューマン/ロベルト・シューマンの主題による変奏曲Op.20。ロベルトの最後の誕生日プレゼントとなった―。


この映画でひときわ穏やかな心地になれたのは、シューマン家の子供たちの様子がよく描かれていたからだった。そこに若くてお茶目なヨハネスが登場し、子供たちと水辺で遊んだり、寝かし付けたりと面倒を見るようになる。自らハンガリー舞曲第5番をピアノで弾き、子供たちが音楽に合わせて踊って遊ぶシーンもあった。その献身的な態度はもちろんクララのためではあるが、ブラームスもロベルト同様、子供好きだったのかもしれない。幼いクララもよくロベルトと遊んでもらっていた。クララが若きブラームスにロベルトの面影を感じたとしても不思議ではないと思う。

レーガー編曲によるブラームス/子守歌Op.49-4。映画ではヨハネスが子供たちを寝かしつけるために歌っていた。

クララ・ヴィーク/ロマンス・ヴァリエOp.3。後にシューマンが即興曲のテーマにした思い出深い曲をブラームスはクララと子供たちのために弾くのだった。


シューマンが音楽監督となったデュッセルドルフのオーケストラについても触れておきたい―監督のヘルマ氏によれば、当時男性のみの管弦楽団を再現するために、フランツ・リスト音楽院の先生と学生で構成したオーケストラを(この映画のためだけに)結成したのだという。デュッセルドルフ管弦楽団のコンサートマスターであるヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・ヴァジエレフスキや元々音楽監督だったユリウス・タウシュも映画に登場する。失われた立場を回復したいと虎視眈々とチャンスを伺うタウシュとは異なり、ヴァジエレフスキはシューマンと彼の音楽に好意的で、「ライン」交響曲の演奏でもオーケストラをよくリードしている様が描かれている―副題はシューマンの没後、ヴァジエレフスキによって命名されたといわれる―。その後もシューマン夫妻とヴァジエレフスキは親交を深め、シューマンは彼のために作品を献呈している。シューマン亡き後は最初の伝記を執筆することになったが、克明過ぎる内容がシューマン後期の作品解釈に一種の偏見を植え付ける結果となったのは避けられないことだったのかもしれない。

この映画でもシューマンが徐々に精神が病んでくる様子と悲劇的な最期をかなりリアルに描いているように感じる―映像の持つ力なのかもしれないが―。第1楽章のリハーサル中にはまだ作曲していない「ライン」第2楽章のテーマが幻聴のように鳴り響く(興味深いのはヨハネスが子供たちとライン河のほとりで水遊びをしている場面でも聞こえてくることだ。映画ならではの仕掛けであり、魅力なのかもしれない)。見るに見かねたクララが阿片チンキを含ませた水を飲ませる場面が複数回出てくる。頭の中で鳴りやまないこの音楽をブラームスの手助けによりピアノで奏でられたのを聴いた料理人が感動のあまり涙する場面も印象深い。シューマンは交響曲第3番「ライン」について「デュッセルドルフ市民の幸せな感情がこの交響曲に反映されていなければなりません」とヴァジエレフスキに語ったという。まさにその通りの音楽となったわけだ。僕も何故かシューマンの交響曲の中では第3番が最も好きである。

シューマン/おとぎの絵本Op.113。ヴァジエレフスキに献呈されたが、何故かヴィオラのための作品。

かつてのデュッセルドルフ管弦楽団→現在のデュッセルドルフ交響楽団によるシューマン/ 交響曲第3番「ライン」~第1楽章。ヴェンツァーゴの指揮はシューマン愛に溢れたものである。

当時のオケと同じ規模とスタイルで演奏したノリントン/タピオラ・シンフォニエッタ。


ロベルトの錯乱はさらに悪化し、不可解な言動が増えてくる。ヨハネスとの関係を疑い、クララに手を上げるシーンもある。2月末のカーニバル (謝肉祭) の最中にライン河に飛び込むシーンはいつ観ても衝撃的。
道化師たちと戯れるロベルトの姿が痛々しい―。
この「未遂事件」、僕は勝手に夜の出来事と思い込んでいたが、実際には午後昼以降の時間だったようだ。
ちなみにドイツのカーニバルには「薔薇の月曜日」(Rosenmontag) と呼ばれる日があり、「薔薇の月曜日の仮装行列」(Rosenmontagszug) が行われるそうだ。あの1854年2月27日がまさにその日であった。

エンデニヒの精神病院 (実際は療養所) での様子はさらに痛々しい。リヒャルツ博士らにより、まるで脳外科手術のような処置がなされる。地図を広げ、地名をアルファベット順にうわ言のように話すシューマン。
廃人同然となった (された) ロベルトの中に最後まで残ったのは、彼が好んだ言葉遊びとクララだけだった。
では、クララには何が残ったのだろうか―ロベルトの音楽と子供たち、そしてヨハネスであったろう。
映画の中でブラームスはクララに愛を誓い、彼女の後を追うと約束する。実際にクララが没した1年後に、ヨハネスは(後を追うように)「影の王国へ入っていった」のだった。

ライン河に飛び込む前後に作曲していたシューマンの遺作変奏曲。精妙かつ霊妙な音楽だ―。

ブラームス/ヴァイオリン・ソナタ第1番~第2楽章。クララがとりわけ愛し「あの世に持っていきたい」と言った曲だった。彼女が亡くなった後、ブラームスは追悼コンサートでこの曲を演奏したと聞く。



DVDの裏ジャケットには、クララの日記の一節が掲載されているそうだ。

ヨハネス・ブラームスが来た。あなたたちのお父様は彼を愛し、尊敬していた。ヨハネスは私の苦悩を一緒に背負うために来てくれたのだ。折れそうな私の心を支え、私の魂を奮い立たせ、私の心を精一杯明るくしてくれた。


来週5月20日はクララ・シューマンの命日である。
そして今日5月14日はファニー・メンデルスゾーンの命日である―。


僕が観たYouTube動画。時間のある方はどうぞ―。

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