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「未完成」であることの魅力

✳️本記事は2021年3月に書かれた記事の再投稿です



その昔、「未完成交響楽」という映画があったことを覚えておられるだろうか―。

1933年作品。日本で初回放映されたのは1965年のことのようだ。

オープニングの3分辺りに「彼」が「未完成」のメロディと共に登場する。
そしてラストシーンに語られる言葉は印象的だ―。

「我が恋の永遠に終わらざる如く、この曲もまた終わることなし」

この映画で「未完成」交響曲の人気が高まった、と言われている。




僕たちは「未完成」なものに惹きつけられる―。

シューベルト/「未完成」交響曲は「未完成」に聞こえない。あの第2楽章の美しいエンディングに続く音楽が果たしてあるのだろうか―とつい思ってしまう。満足してしまうのだ―殆どの指揮者もそのつもりで演奏しているからかもしれないが。晩年のギュンター・ヴァントがこのシューベルトと、ブルックナー9番という2つの「未完成」をプログラムに挙げて演奏していたのを思い出す(それはCDにもなっている)

さらにスケッチで残っている第3楽章を聞くと、改めて「未完成」の感を強くする。

第3楽章「Allegro」ロ短調。
わずか20秒で音楽は途切れる―。

これを聞いて、果たしてこの続きを聴きたい、と正直に思えるだろうか―。




僕たちは「未完成」なものに惹きつけられる―。

ブルックナー/交響曲第9番ニ短調は「最愛なる神に」捧げられた作品だった―。改訂癖の強い彼は周囲の助言を受けて、せっせと過去の作品の改訂に励むこととなり、それは晩年にまで及んだ。その都度新作の交響曲の作曲は中断を余儀なくされ、ついには完成を見ぬまま、ブルックナーは天に召されることとなった。彼の愛した神は、自らに捧げられる作品を未完のままで良しとされたのであろうか―。

もしブルックナーが「自分軸」をしっかり持ち、作品に対峙していたなら、全4楽章を完成させることができたのであろうか―。

晩年、彼は秘書に「私はこの曲で天国の扉をこじ開けようとしたのだ」と述べたのだという。現実においては、完全に完成されたのは3楽章までであった。

第3楽章「Adagio. Langsam, feierlich」(アダージョ。遅く、荘重に)ホ長調のこの長大な音楽は、ブルックナーによって「生との訣別」と呼んだフレーズを含んでいる。引用を多く含むこの音楽は、それだけでも何かしら特別な感じを受ける。それらが自身による宗教音楽からの引用であればなおさらだ―「ドレスデン・アーメン」の引用、自作のミサ曲第2番ニ短調の「グローリア」、第3番ヘ短調の「キリエ」からの引用…。
そしてコーダでは第8交響曲のアダージョ第2主題、第7交響曲の冒頭主題が引用されて、最終的な静寂へ収束してゆくのだ―。

交響曲第8番のフィナーレのコーダは全4楽章の主要テーマが同時に奏させる―という圧倒的な締めくくりを披露するが、その勝利感とは何と対照的なのだろう。たとえブルックナーにフィナーレを完成させる意志があったとしても―。



僕たちは「未完成」なものに惹きつけられる―。

モーツァルト最後の作品「レクイエム」。こちらは補筆完成されたヴァージョンが広く演奏され、親しまれている。

「断片」のみであれば、作品そのものが歴史から忘れ去られてしまっていたかもしれない―。
(それは妻コンスタンツェが許さなかっただろう。生活資金の足しにしなければならなかったから)
「ペンの力は強し」である。
(正確には「The pen is mightier than the sword」)

しかしここでは「未完成」として扱ってゆこう―。

絶筆の「ラクリモーサ」。50秒の衝撃―。




僕たちは「未完成」なものに惹きつけられる―。

バッハ未完の傑作「フーガの技法」。「コントラプンクトゥス」 XIVは未完で終わったと考えられている。
3つ目のテーマ(「BACH」音型に基づく)が導入された後の239小節で突然中断されている。

自筆譜には、バッハの息子であるC.P.E.バッハによって、「作曲者は"BACH"の名に基づく新たな主題をこのフーガに挿入したところで死に至った ("Über dieser Fuge, wo der Nahme B A C H im Contrasubject angebracht worden, ist der Verfasser gestorben.")」と記されているが、学者たちによって疑問視されているようだ(息子たちによる「後付け」の可能性)

真偽のほどはどうであれ、この曲が深遠で「ストーリー性」を付与したくなるくらい魅力的な音楽であることは確かなようだ―。

この作品の所有CDについては、近々のうちにブログに書きたいと思う―。




僕たちは「未完成」なものに惹きつけられる―。

「完全」なものへの憧れを抱えつつ、心のベクトルは真逆なものへと向きざるを得ないのだ。

人生もそう。自分の「未熟」さにうんざりする。
でもどうしようもできない自分がいる。そんな自分を抱きしめることができれば、状況は少し良くなるのだろうか―。

年齢を重ねること、人生経験を積むことが必ずしも「成熟」に向かうわけではないことを、僕たちは知っている―。

現状をまっすぐに受け止めること、弱く「未完成」な自分を愛せることが大切なのかもしれない。


既にある「美しさ」にフォーカスする―。



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