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きょうだい児

ふたりの息子がいて、長男は青(あお)、次男は橙(だい)と名付けた。
青と橙は色彩学的に補色の関係にあり、
相性が良い色の組み合わせとして、様々なデザインに採用されている。

次男の橙が生まれたのは
長男の青が
「知的障害を伴う自閉症スペクトラム」と診断された直後のことだった。
しかし当時の私はまだ
「知的障害を伴う自閉症スペクトラム」のすべてについて
隅から隅まで無知であったし、
「きょうだい児」となる次男の名に
長男の名の「補色」をあてるということの
意味合いについても、
当然、深く考えずにしまった。

「きょうだい児」とは
障害者福祉の現場において、
「自らの兄弟姉妹に障害児がいる」子供を指す。
親がどうしても障害のある子のほうを優先しがちになることによって、
本人は過剰に「いい子」を演じる、あるいは過剰に反発するなど、
人格形成において
様々な困難に直面する可能性がある境遇の子供を表す言葉だ。

その後、私はふたりの男の子と暮らす中で、
この「きょうだい児」という言葉を日に日に強く意識するようになり、
やがて
「次男の心の健やかな成長のために何をすべきか」ということが、
自分の育児における最優先の命題となった。
以下に、折々で書き留めてきた短い文の中から
当該のテーマに沿うものを
時系列順に挙げる。

=====

2020年2月

回転寿司のボックス席、長男と次男がそれぞれ、レーンの脇に座った。
通路側から奥を見て、左に長男、右に次男だ。
すると長男が「あ」と立ち上がり
「マチガエタ。ダイクンカワッテ」
「イヤだよ」
と言って次男は靴を脱ぎだす。
「どっちでも一緒でしょう。代わってあげて」
「イヤだよ」
「ダイクンカワッテ」
「イヤ」
「橙、青は自分をゆずれない。お前がゆずってくれ」
次男がハアッと溜息をつくと、
テーブルの下に潜り、反対側から出てきた。
空いたところに長男が座った。
次男はしばらく俯いていたが、
顔を上げてこちらと目が合うと、だんだん泣きっ面になってきた。
「おいで」と通路に連れ出し、
待合用の椅子に座って膝へ乗せると、私の胸に顔をうずめて
「代わるのイヤだったよう」と言って泣いた。

右に座るか左に座るかは小さなことだが、
この先何度「お前がゆずれ」と彼に言うのだろうと、
その物思いが頭に満ちて
「わかるよ。ごめんな」としか言えず、背中を撫でていた。

ちょっと落ち着いてきたので
「たまご食べる?」と訊いたら、顔を押しつけたまま、ぐっと頷いた。
それから起き上がって
「ポテトは?」と訊いてきた口もとは、少しだけ笑っていた。
「食べようぜ」と言って、二人で席へ戻った。



2020年3月

子供達の寝かしつけの最中
「ねえ、橙が泣いているのよ」
と、妻が言った。
右隣の次男を見ると確かに、
両手で目を覆って、口をへの字にひん曲げている。

うちでは本来、
長男の青と私、次男の橙と妻の組み合わせで寝ているのだが、
寝かしつけの時は長男も「ママそばにいて」と強く主張するので、
彼らが寝入るまではたすき掛けで、
長男と妻、次男と私で横になることが多い。
別段、次男のほうがそれを嫌がる様子は、今まで無かったのだが。

頭を撫でながら
「ママがいいか?」
と訊くと、うなずく。

「パパよりママがいいか?」
「・・パパよりママがいいよ」
「なかなか残酷なことを言う」
すると向こうの妻が
「言ってくれなきゃわからないよ」
言えないよなあ、と思う。
「言えないよなあ、わかるよ」男だからね。

程なく青が寝入ったので、妻と交代しようと起きた。
妻が橙に
「パパにありがとうって言いなよ」
「・・ありがと」
「いいさ」

これが男親というものかなあ、と、自分の寝床に入りながら思う。
悲哀なのか醍醐味なのかわからない。
でもこういう気分は嫌いじゃない、男だから。

私は家族みんなを愛しているが、今はとりわけ、次男のことが気にかかる。
君はにいにのこと、よくわかっているんだね。
それで我慢して、我慢しきれなくて、まるっきり私のようだ。

泣きたい。


2020年8月

日曜、電車での外出の直前、長男の青が「パスモない」と言う。
普段玄関に置いてある小児用交通ICの、
ケースはあるのだが本体が無くなっていた。
みんなで探していると、次男の橙が「あったよ」と言って持ってくる。
妻が「どこにあったの」と訊くと、「おもちゃ棚の中」と答えた。

ああ、と思って
「橙が隠したの?」と訊いたら
「違うよ」と言うけれど、こちらに背を向けている。
「こっちを向いてよ。橙が隠したの?」「違うってば」
みるみる声が震え、泣き出してしまった。

怒り飛ばしてやろうか、という衝動が沸き上がったが、思い直した。
これは彼の「言葉に出来ない声」なのだから、
言葉にするやり方を教えて、
最終的には、自分から言葉として発することが出来るように、
リードしてあげたいと思ったのだ。

「ねえ橙、パパは怒っていないし、怒らない。
 にいにと同じカードが欲しかったか」
頷く。
「そうだな、小学生になったもんな。作ってあげるよ。
 こっち向いて、こっちおいで」
抱きついてきた。
「でもね、こういう伝え方はしないでほしい。
 いちばん悪いやり方だと思う。
 何かしてほしいことがあるなら、言葉で伝えてくれ。
 いいよって言うこともあれば、ダメだよって言うこともあるけど、
 パパもママも絶対に、うるさがったり嫌がったりしないから」

甘すぎるだろうか、という考えも頭をよぎる。
ただ、自分が子供だった時、
同じような場面でかけてもらいたかった言葉ではある、とも思った。
そのあと行った仙川のロイヤルホストで、
次男は好物のパンケーキを、嬉しそうにたらふく食べた。


2022年8月

八月三十日、テレワーク。
長男の青は九時に障害児向けの歯科検診→そこから発達支援デイサービス、
次男の橙は十時からBOP(小学校のスペース開放)。
妻とは
「青と母親で歯医者からデイ、橙と父親でBOP」と打ち合わせていたが、
八時を過ぎて橙が
「歯医者に自分もついていく。そのままBOPへ行く」と言い出した。
なるほど、ママの自転車の後ろで楽々移動というわけか、妻は苦労だが・・
青は母と二人がいいのでぶうぶう言うけれど
「仕方ないだろ。仕方ないことはあるよ、君にだって」と言ったら、
予想外にぐっと黙った。

ところが出がけになって、
橙が「やっぱり歯医者にはついていかない」ことになったという。
どうしてかと妻に訊くと
「自転車でBOPに送ってほしいだけでしょって訊いたら、そうだって。
 十時より遅くなってもいいらしいので、
 いっぺん帰ってきてから連れて行くわ」
青は再びニコニコ、「ハイシャがんばるね!」と言い残して玄関を出る。
一方の橙はリビングの床に寝そべり、あっちのほう向いて、
「なるべく早く帰るからねー」という妻の呼びかけにも
「んー」と教科書通りの生返事である。

妻と長男が行ったあと、橙の横に座って、顔を覗いてみた。
泣いていた。
「どんなこと考えてた?話してみてほしい」
「・・ついていけば早く、ラクしてBOPに行けると思ったんだ」
「そうだね。パパとなら歩きだもんな」
「でも」
「うん」
「青くんとふたりのほうが、ママはしんどくないから・・」
とそこまで言ったところで、もう一度むせるように泣いた。
自分の我儘に対するバツの悪さと、
ただママと一緒にいたいという単純な気持ちと、
そのどちらも言葉に出来ないけれど、
ない交ぜになって小さな背中から立ちのぼり、
彼をたまらなく愛おしく感じ、
「えらいねおまえ」と言って抱きしめた。
抱きしめながら、驚いたことに自分のほうでも激しく涙が溢れてきて、
私の嗚咽にびっくりした息子が顔を上げ、腫れた目でこちらを見た。
なんとか「すまん」とだけ言った。

朝九時のリビングで、私が抱きしめているのは息子だが、
同時に、かつて子供だった自分も抱きしめているような感覚に襲われた。
こういうことがとてもたくさんあった、
その時わかってもらいたかった、えらいねって言ってもらいたかった、
でも言葉には出来ない。
男親だから、おなじような心を持った同士だから、
僥倖のようにわかってあげることができたのだ。
そのあと、ふたりでティッシュを取ってお互いに渡して、
お互い涙を拭いて、もう一度抱き合った。



2023年10月

金曜の夜、週末の宿題をやりたくない次男の橙と、
やってしまえという妻が言い争っている。
日曜は浦安の夢の国へ行く予定なので、
明らかに妻に理がある。
「今はやりたくないんだ、日曜帰ってからやるよ!」
「絶対やらない、やるわけがない!なんで今やらないのか意味わからん!」

ひとしきり諍った後、妻は私の部屋に来て、
冷蔵庫からミニカップゼリーを出すと
(私の部屋の冷蔵庫には酒と甘いものが入っている)、
プリプリしながら次々食べ始めた。
リビングを覗くと橙があっちを向いて、むっすり座っている。
「ママの言うことを聞くことをおすすめする」
とだけ背中に言った。

戻ると妻が
「ごめん、でかい声出して」と言うから、
向こうの橙にも聞こえればいいと思いながら
「いや、あなたはすごいと思うよ。
 相手が怒ろうが、相手に嫌われたって、
 ちゃんと言うべきことを言うわけだから。
 俺は正直、彼が宿題をやろうがやるまいがどうでもいいんだ。
 それは俺の問題じゃなくて彼の問題だからね」
「橙はさ、青は宿題が無いのに、
 どうして自分ばっかりって思っているんだよね」
「わからんではないが・・
 橙は自分の人生を、自分の思うように生きる権利がある。
 残念ながら青にはその権利が無い。
 橙は自分が持っているモノの意味に気づくべきだ」

しばらくして、妻がリビングヘ戻って行った。
程なくして「わあ!」と彼女の高い声がするので行ってみると、
ソファで母と子がきつく抱き合っていた。
「見てみなよ!」と妻が指差す先、
テーブルの上には出来上がった宿題と、
ノートをちぎったメモがあって、
メモには
「さっきは強く言ってごめんなさい」
と書いてあった。

=====

今は2024年3月で、次男は先日十歳になった。
彼に橙という名前を付けたことについては、
折々で考えて来たし、今も考えている。

彼がこの先、自分の名前について
「なぜこの名前をつけたんだ」と憤りをぶつけてくることが、
無いなら無いに越したことはないが、
おそらくあると思う。
「親のエゴだ」と正直に答えるだろう。

しかしその上で
「だが、間違ったとは思っていない。
 この名前をお前が好きになってくれれば嬉しい」
と、その時言える資格が自分にあるかどうか、
資格があると自分で思えるように、
これからも様々なことに対処していくつもりだ。

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