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第5回宗教マイノリティ理解増進勉強会【下】|世俗と宗教

「宗教の役割と公益性」をテーマに2月24日、「第5回宗教マイノリティ理解増進勉強会」を開催しました。

前回の内容は以下をご参照ください。

今回は発表後の意見交換の内容をまとめました。

参加者は、家庭連合から青年・学生9名、壮年・婦人5名、そして主の羊クリスチャン教会の中川晴久牧師、新宗教の信徒2名の合計17名でした。

意見交換

中川さん(キリスト教会牧師)
僕は国が宗教に入ってきてほしくないと考えている。宗教の公益性は、宗教がそれぞれ独自のあり方を展開するこで、多元主義的な社会ができ、それぞれ違った存在を受け入れ、寛容な社会が生まれる、みたいなことを小林節さんという憲法学者が言ってる。

あと、キリスト教会の伝統には他の宗教と手を繋いで、というものがないんですよ。確実に新しい時代に入っていて、時代が共生を要請してるけど、それに対して答えを用意してないんです。

異端論駁とかは一生懸命やってたけど、今度は全く逆の方向から答えを用意していかなきゃいけないのに、それができない。

逆に、家庭連合さんは、それを一生懸命、問題提起もするし、答えを用意してやっている。

僕の神学研究所(東京キリスト教神学研究所)の前の所長が研究したハンス・キュング氏(スイスのカトリック神学者)は、その答えを一生懸命用意した人なんですよ。包括主義ではなく、優越主義ではなく、排他主義ではなく、それぞれが自分の信仰をしっかり持って、そして人間としてベースは同じなので、そこから語り合っていかないと、と言ってる。

あとは共産主義の問題ですね。宗教性を削ぎ落としているじゃないですか。宗教性が削ぎ落とされた部分で、宗教性のない声が大きくなっている。だから全体的に宗教性を回復していくのが大切ですね。

それから日本は「八紘一宇」といった思想の理解がある。僕は、日本のキリスト者が世界に語るべきは、八紘一宇じゃないかと思っている。

八紘一宇は「いろんな人がいるけど一つの家族」。それが変に使われたから問題だったけど、「人種を超えて家族だ」というのが日本にはありますよね。それを日本のキリスト者は世界に語っていくべきだと思います。

A男さん(新宗教信徒)
今日、若い人たちも多いですね。20代に自分が宗教に出会ったきっかけとして、大学に通ってた時に、僕は「自分ってなんなんだろう」とか、「人生ってなんなんだろう」とか、あと「死んだらどうなんだろう」とか、そういういろんな疑問があるわけですよね。

それを大学では教えてもらえないし、いろんな本を読んだりとか、人間関係に苦しんでたりとかね。

それで、人の役に立ちたい、助けたいな、というところに行き着いた時に、自分の能力が追いついてない。じゃあどうすればいいんだと思って、皆さんと同じ22歳ぐらいに海外で、この宗教に出会ったんですよね。

その時に「これだ」と思って、「ここに答えがある」と思って、「早く親とか兄弟に知らせなきゃ」と思って、熱狂的な感じで伝えるわけですよね。「すごいもの見つけたんだよ」って。そうしたら「すぐ帰ってきなさい!」と言われたんですよ。

それで説明すればするほど、真逆の心配をして、親心なんでしょうけど。

そういうこともあったんだけど、やっぱり宗教の役割って、より良く生きたいとか、そういった疑問を解いていくのじゃないかなって思うんですよね。

より人が幸せになっていく、もっと充実した人生とか、どんどん神に近づいていくとか、より自分自身になっていく実践。これは世俗では教えてくれないし、大学でも教えてくれない。それが宗教的な真の役割じゃないかなと思います。

B子さん(新宗教信徒)
私も両親にこの宗教を伝えたんですけど、そうしたら、なんか大騒ぎになったんですよね。親に理解してもらって、応援してもらいたいなと思って正直に話したんですよね。

でも説明すればするほど心配になるところがあって。それでこの宗教がどうだとか、教えがどうかというのは、押し付けられないし、難しいなと思った時に、私は「人の役に立ちたいと思うし、そういう人になりたいと思っているから見守ってほしい」みたいなことを言ったんですよね。

その時から、一切何も言わなくなって、「もうお前はそうだから」と親の中で認めてもらって。

本質的で多くの人が共通して持ってるいるものは、どの宗教の人であれ、持っていると思うので、それは伝わるんだなというのを自分の経験として知りました。

社会に出たりすると、会社の中で「宗教が〜」ということがあると思うんですけど、抱えてる問題とかを「こうしたらうまくいった」とかを一緒にシェアできたらなと思います。

C男くん(大学生、家庭連合信徒)
宗教ではないけど、内的な話をする人はわりといるというか。宗教とスピリチュアルは共通してるところもあるけど、宗教の役割としては、神様についてとか、より本質的な大元の教えを教えていくものかな、というのは感じています。

D子さん(大学生、家庭連合信徒)
宗教の教えを学んだことで自分の価値だったり、人に対する価値とか、自分の価値を感じるようになったのが大きなと。

神様を信じて、宗教的教育を受けたことで、自信を持っていいんだなとか、社会に貢献できるとか、人の役に立つことができるんだな、というきっかけが宗教だったので、そういう意味で、良かったなと思います。

E男さん(青年、家庭連合)
宗教やっていて良かったのは、人って生きてきた人生の経験によって物事を、フィルターをもって捉えるけど、宗教をすることや、教えを学ぶことや、神様や超越的なものに触れることで、自分というフィルターが取れて、正しく物事を客観視できる、理解、把握できるっていうのは、すごくありがたかった。

父親がすごく怒鳴る人で、あまり好きになれなかったんだけど、それは今の父親の一面しか見えていないからと。それが宗教や神様や超越的なものを知ることによって、その背後を思ってあげたりとか、別に怒鳴りたくて怒鳴ってるわけじゃなくて、過去にいろんな経験があって、そうならざるを得なかったりとか。

いろんなフィルターが取れて、その人のありのままを理解できるようになったりとか、それを受け入れられるように許すことができるとか、宗教やってて良かったなと思っている。

それは宗教をやってなくてもできるのかもしれないけど、自分の無力さを感じて、超越的なものを求めて、そこからの視点で物事を捉えることによって、いろんなものが正しくとらえられる。それで人と人との繋がりを深く持つことができるかな、と思っています。

F子さん(青年、家庭連合信徒)
私たちは役に立ちたい、社会のため、世界のためになることをしたいということで、求められることを提供することも大切だと思うけど、じゃあ求められていることだけやっていたら、別に私たちじゃなくてもいいって感じていたこともあったので。

そういう意味で「宗教が有する独自の価値観を提示することが公益性であり、社会から要請される公益に資することは宗教の目的ではない」という説明はすごい納得感がある。だから、私たちならではの価値を社会に提供すると。

「宗教が目指す連帯の力が内向きに偏ると、外部に対しては閉鎖的、敵対的になることもある」という説明もあったけど、「社会とコミュニケーションできる私たちにならないと」と思いながら、宗教団体って、どちらかというと内向きというか、自分が救われたいという思いだけを持って信仰していると、内向きになりやすいのかなと。

そういう面で、信仰が世の中のためとか、社会、世界のためになるものが宗教らしい宗教というか、そう思ってる。

自分のためにもなるし、世の中のためにもなる信仰とか宗教とか、そういうものでないといけないんだなと、改めて感じさせていただきました。

G子さん(青年、家庭連合信徒)
私は信仰2世で、高校生から家庭連合に入って信じてるんですけど、最初の目的としては、「何のために生きてるんだろう」とか、個人次元の解決ではあったんですけど、学んでいきながら個人次元のものではなく、もっと広い視点で物事を捉えられるようになりました。

外で本とか読んだら、個人次元での解決方法とか、自分に合ったものとか、あると思うんですけど、それをより広い視点、範囲で捉えるようにしていけるのは宗教ならではかなと思ったりします。

家庭連合は「神様の視点で」という教えだからこそ、私は神様の視点で見ようと生活圏の中でしていて、自分自身の見る視点を広げられるが宗教の役割だったりとか、自分の心の世界の安定をくれるというのは感じています。

周りの友達にも、「(家庭連合の)勉強し始めてから変わったね」っていう声があったり、「G子と喋ってるとハッピーになれる」とか、そういう声を聞くと、学んでるからこそ、その人を幸せをできてるのかなとか、感じます。

そういう部分で、宗教は、個人次元ではなく人を超えているんだなと感じています。

中川さん
神学研究所の所長が言っていることを見事に言っている気がして、「何で宗教があるんだ」というと、所長は「この世が間違っているからだよ」と。だからこの世から出ることが、宗教のあり方なんだなと。

「この世で成功する」とか、「うまく金儲けして生活をよくする」とかは学校でも教えるんですよ。

それで、宗教はなぜこの世から出るかというと、「人間が生きるってことは何なのか」とか、「人とは何なのか」と、その本質を問うことなんですよね。

それは本質的に「人間を生かすものは何か」ということだから、自分のためでもあるし、他の人にも伝えていくということが当然起こるんですよね。宗教の役割ってそういったところにある。

「自分の救いとか、命が本当に生かされたな」みたいなことと、「他者に伝える」ということ。それはほとんど表裏ですよね。話を聞いて、そうだなと思いました。

H男さん(壮年、家庭連合信徒)
公務員しているんですけど、試練の克服の仕方が違うかなと。

普通の人は、お酒とか飲んで悪口言って、試練とかに対処するけど、信仰者は、感謝、思いやりとか、そういったものって、なかなか普通だと持ちづらい。だから、試練の克服の仕方を宗教は教えてるかなと思います。

I男くん(大学生、家庭連合信徒)
自分は家庭連合の二世として生まれて、すごく幸せだなって思っていて、友達にも言ってるんですけど、「なんで、そんなに幸せなの」って言われたら、「自分のためにだけじゃなくて、人のために生きてる時に喜び感じることが多くて」と言ったりします。

それは、そういう性格だからとかじゃなくて、いろいろ学びとか、人と関わる中で、実践していく中で、自分自身で感じたというのがあるので、家庭連合二世としての立場が幸せだなって、自分は感じております。

でも信仰心を持つまでには、いろんな波はみんなあると思うんですけど、自分も、どん底に落ちた時に、「宗教ってなんだろう」みたいな時があって。

でも、まず自分自身が幸せにならないと人を幸せにできないから、幸せになりたいな、そういう気持ちが出てきて、もう一回頑張ってみようと立ち上がって信仰もずっと持っている。

宗教があって自分は幸せだからこそ、まずは近いところから、宗教のいいところを伝えていきたいなと感じました。

J子さん(大学生、家庭連合信徒)
人間に普遍的関係というか、共通しているものとか法則とか、本質的なものってあるなと思ってて。

世の中は、見えない世界と見える世界と両方大事だと思うんですけど、見えることだけにとらわれてしまってて、物とか名誉とかにとらわれてしまってるので、見えない内面的世界とか、誰かのために生きるとか、そういう部分を補っていくことができるのが宗教の役割にあるなと思ってます。

K子さん(大学生、家庭連合信徒)
いろんな方の話を聞いていながら、本当に家庭連合の教えとかを、無理に教えたり、伝える以上に、自分がこの教えを聞いて、本当に自分は社会の役に立ちたいとか、そういう思ったことを素直に伝えていくことが大切だなって思いました。

最近は家庭連合内部で話したりすることが多いんですけど、そうじゃなくて、いろんな人との関わりの中で、自分の考えとか価値観を共有していくことが大切だなって思ってるし、宗教の役割とかをまず自分が理解して、それを正しく伝えていくことが、日本にとっても大切なことだなというのは、すごく思いました。

A男さん
僕なんか20代の時、自分のことしか考えてなかったから、皆さんの話を聞いていて素晴らしいなと思いました。

僕が10代、20代の頃は、こういうところで発言するのは、「絶対当ててくれるな」っていうくらい話すのは大嫌いだったけど、こういう場で話ができるようになったりとか、できないことができるようになったりとか、こういう体験は、とても大事だと思うので、是非、皆さん、いろんなところに顔出してくださいね。

さっき言ってた家庭連合の中だけじゃなくて、いろんなところに、居心地悪いとこにも行って、顔出して、そうするとね、いろんなものが開けてくると思うので、個人レベルで伝えていくっていうのが、遠いようで一番の近道なのかなって思う。

こういう人との繋がりっていうか、若いうちは、どんどん失敗して、チャレンジしていける、エネルギーたっぷりあるんでね、ぜひ頑張っていただきたいな。

B子さん
メディアで聞く情報とか、あまりにも多すぎて、我が家はテレビがないんですけど、携帯でもなんでも、いろんなニュースが良いものも悪いもの入ってくるじゃないですか。

でも、こうやって直接、接して自分で観たものに勝るものはないなと思って、それが近道かもしれないなと思いました。なので、これからも私もどんどん外に出ていきたいなと。

とも
そうですね。やっぱり直接会うのがいいですよね。今日は、皆さん、ありがとうございました。

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