見出し画像

酸っぱいぶどう理論のぶどう、絶対甘えよ。

欲望の分しか頑張れない。

だからこそ自分の欲望を正しく掴む必要がある。

心の穴ボケはどうせ埋まらないから、それを埋めるための買い物とか色恋沙汰などにエネルギーを費やすのは、私のエネルギーがその穴から直接ドバドバ、ドブに流れ込んでいくような感じだ。
勿体無い。エネルギーなんてそんな豊富にないのに。

欲望がないと人間は動けない。

今のままでいいと思っていたら動く必要がない。

たまに、動かないために欲望を無視しているということもあると思う。

動かないほうが楽だから、「もっと良くなりたいなあ」と思っているのに「今で十分!!今でも十分ありがたいでしょうが!」と、その気持ちを不適切だと認識する。

高望みすることを贅沢だとか欲張りだとか言って押さえ込む。

お母さんみたい。

今持ってるもののありがたさを感じるのはいいけど、もっともっと、私は自分の生きやすさを増幅して、嫌だなと思うことは減らして行きたいとは思ってるのに。

リアル母親は、「今でも十分でしょう!これ以上何を求めるの。笑」とかいうけどうるせーとしか。

毎日の生活から嫌なことを一つでも貪欲に減らして、自分が心落ち着く時間を1秒でも多く確保したい。
そんな意識が低いのか高いのかよくわからない感じの欲望でも、それが本心ならそれに従うのが一番。

本心に沿う欲望じゃないと動けないからね。

怠惰な欲望はダメなことだと決めつけていては、やりたくもない勉強とかキャリアアップ。。?とか。空回りしちゃうよ。
つまんないと思いながら成し遂げられるほど私は能力高くないもん。

とりあえず母親みたいに何でもかんでも酸っぱい葡萄理論振りかざして、
選ばせずに、「どうせうまくいかなかったよ。」とか言わない。
もう大人になったから私の中で新しいお母さん役を私がやってあげようじゃないか。

酸っぱい葡萄とおもって見て見ぬ振りしていた葡萄、めっちゃうまいと思うよ食べられたら。笑
だから、美味しい葡萄食べてえなーという単純な気持ちで手を伸ばしたいです。
もう30ですけど。やって行きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?