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レジ袋を買わないとか水筒を持って行くとか、どこにエネルギーを使ってるんだろうという話

最近は何もかもめんどくさくなってきてほどほどに暮らしている。

暖かくなってから気のせいかもしれないけど、冷蔵庫の中で食べのがよく腐る。

冬の間はまとめ買いでたくさん買い込んで、ちょっと色が悪くなった野菜とかも食べていたけど。
最近は気候が暖かくなって食中毒も一層気になるということもあって、そういうのは食べたくないなあと感じる。

毎朝スムージーに入れていた小松菜も、洗おうとしたら小さな虫さんとエンカウントしてしまってから、なんだか気持ちわるくて今回は青汁の粉末を買ってみた。

葉もの野菜は、割高だからだと避けていたカット白菜を買ってみたり。

豆腐とかプチトマトとか、そのまま食べれる練り物とかを嬉々として買ってみたり。

新鮮で食べ切る分だけ、毎週ネットスーパーで注文するという方針にしてみようと思う。

コンビニも割高だから避けようと思っていたけど、最近は土日の朝にぱっと出かけてカフェラテやサンドウイッチを調達している。

今日も朝ごはんを食べそびれたから潔く出先のコンビニでおにぎりを二個買った。

レジ袋も買うし、前はジムに出かける時とか水筒に水を詰めて持って行ったりしていたけど、最近は買うことも多い。

前、節約ムーブが来た時は一ヶ月に使ったコンビニ代を見て「これを我慢していたら一ヶ月で三千円も浮いたのか。。」とか小さいことをクヨクヨ気にしていたけど。

水を買わないことで浮いた3000円があるのなら、水を買うことで得られた何かもあるはずじゃないかなーと最近は思う。

水を小さい水筒の口に注意深く入れる時間、家から目的地までの間ずっと水筒が入っている重たいバッグ、帰ってきて水筒を洗う少しの手間。
全部ちょっとしたことだけれど、トータルで見ると煩わしいことに変わりはない。

私はぼーっとすることに忙しいから、時にはそれらの煩わしさを避けるために150円ほどのお金を出すということも全くナシな判断ではない。

コンビニの袋も、ジュース1本くらいならカバンの中に入れるのは特にストレスはないけど。
小さいカバンで出かけてる時とか、いくつか商品を買った時とかは無理にレジ袋なしにしなくても。
レジ袋の5円だか10円を出すことで避けられるちょっとした不快感を思うと、その出費は気にしない方がいいものなのかもしれない。

水筒に水を詰めるのも、カバンの中で買った商品がぐちゃぐちゃになるのも。
割安だからと頑張ってでっかい白菜を買って切って洗って水切りするのも。

全部私が手間をかけさせられたり、ちょっと不便な思いをする代わりにいくらか節約が叶うということだけど。

その幾らかの節約に、私を煩わせる価値はあるのか?という。

浮いた分のお金の額と私が被っためんどくささのバランスはどうだろう?

節約は全部、ただ単に安上がりなのではなくて、自分が不便を被る代わりにお金が守られているという。
どこまでお金が浮く代わりに自分が不便を被るのを許容できるかというバランスの攻防。

節約のためのあれこれをする自分が被る手間はタダと見積もれる人はいいかもだけど。
節約のためのあれこれは意外と自分を煩わせていて、それが自分の機嫌や不安感に意外と影響を与えている気がする。

でっかい白菜をトントン切って冷たい水で洗って何回もサラダスピナーにかけるその手間が楽しいと思える時はいいけど、したくもないのにそれらをするには重労働で絶対に機嫌が悪くなる自信がある。笑

その手間がない場合、その逆に浮いた時間や心で、軽やかな気持ちで何か別のことがきるかもしれない。

節約をすることで浮くお金もあれば、節約をしないことで浮く自分の時間や心というものもあるはず。

節約の手間が私にとってしたいこと、してもストレスにならないことかを考慮することは意外と大事だと思う。

心に余裕がある時は節約もしたいし、何でもかんでもお金をじゃぶじゃぶ使いましょうということではないけれど。

手間と浮くお金のバランスを考えることが本当の合理的な節約なんじゃないだろうかと思う。

 

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