ハイスペな肩書きに惑わされないためにも、やっぱりここでも自分への信頼が大事だよ
ハイスペの記事を書いていて、派生で思ったこと。
医者とか弁護士のようななまばゆい肩書き。
そして普通のサラリーマンです。という人。
性格を見るとき、ハイスペな人はその肩書きでうまく性格が見えなくなりそうだなと思った。
「私よりすごい人だ。。」と思うとその分底上げされて見える。
普通のサラリーマンの人の方が性格が私と合うのに、同じタイミングでハイスペの人と付き合えるかもしれなかったら?
どっちの未来が幸せなのかな。
だから、私は自分の能力を高めるのがいいなあとつくづく思う。
ババくさい発想かもしれないけど、結局そこ。
自分に能力と自信があれば、パートナーを選ぶときに、「この人は能力が上だから魅力的だ。。」みたいなことにはならないと思う。
能力だけでもダメで、自分に自信がないといけないというのが注意点。
本当は能力がちゃんとあるのに謙遜で自分のことを大したことがない人間と認定している状況では、結局また「私は大したことない、、この人はすごい人だ」っていう選び方をしてしまうから。
能力が上がっても、比べたら上はいてキリがないから。自分に自信がないと比べることをやめられない。
だからその自信の付け方というのが、ちゃんと自分のやりたいことで大変なこともあるかもしれないけど楽しく頑張って、能力つけるということ。
私はこれだけやったからって自分に自信と信頼感があれば、変な人は選ばないと思う。
相手がハイスペだろうが普通の人だろうが、自分の強固な軸さえあれば、きっとうまくいくと思う。
ハイスペ婚できたと思いきやモラハラだった、みたいなパターンもちょっとはそういうので防止できるんじゃないかな。
ちょっと合わないけどハイスペだし、って目を瞑らなくて済むように。
自分のダメなところをハイスペ彼氏に埋めてもらおうとか。
自分は何もせずにハイスペ婚して贅沢だけ享受したいとか。
結局自分への自信のなさの裏付けをし続けてしまうから、チグハグで苦しさは何かしらで残ると思う。
自分に自信がないのは、頑張ってきた歴史がないからだし、それは自分が頑張れる熱中できるものを大切にしてこなかったから。
その分野に興味があっても、食っていけないとかどうせ無理だよとかお金かかるよとか。そんなことでぞんざいに扱ってきた自分の気持ち。
そういうのを大事にするというのが、一番身近なことなのに、一番難しいことだと自分で設定してしまってるんだろうなあ。
結局は、自分が頑張ったら根本的に幸せになれるということ。
そして頑張るためには興味ないことでは無理だから、自分の好きとかそういう気持ちを大事にすること。
この二つが重要なんだと思う。
何においてもやっぱり自分の在り方が大事。
何においてもそこに戻ってくるけど。
その自己肯定感というワードの解像度がどんどん上がっていくここ最近。
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