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ヴェネチアはスエズ運河を作ろうとした


 この前、塩野七生が書いた『海の都の物語』というヴェネチア共和国の歴史を描いた本を読んでいた。その中でとても興味深い記述を目にした。1500年頃、ヴェネチアはスエズ地峡に運河を建設することを試みたというのだ。
 ヴェネチアはその頃、主要な貿易商品である香辛料をめぐってポルトガルと競争を繰り広げていた。ポルトガルはヴァスコ・ダ・ガマが発見したアフリカ周りの航路を使ってアラブ商人を経由せずに安価に香辛料を手に入れ、それをヨーロッパ市場で販売していた。ヴェネチア共和国はポルトガルに対抗しようと解決策を探し求めていた。エジプトを支配していたマムルーク朝が航海に艦隊を配備する支援を行ったりもした(この艦隊は最終的にはポルトガルに負けた)。その解決策の一環と知って考えられたのが、スエズ地峡に運河を建設しインドにヴェネチア商人の船が直接アクセスできるようにするというものだった。そうすることでヴェネチアも直接、香辛料にアクセスできるようになり、安価で香辛料を販売することも可能となる。
 結果としてはこの計画は実現しなかった。スエズ地峡を支配するマムルーク朝のスルタンがこの計画に合意しなかったのだ。ヴェネチアは必要な資金や技術は全て提供する予定だった。しかしスルタンは貿易がアラブ商人を介さなくなり、マムルーク朝が得る貿易の利益が減少することを恐れたのだった。

ヴェネチアとオスマン帝国は常にライバルだった。

考察


 運河建設にスルタンが応じていたら、どのような影響があったのかを考察してみたい。運河建設は当時のヴェネチアの資金力と技術力を生かせば、十分可能だっただろう(なんなら紀元前にエジプトのファラオは地中海をナイル川経由で紅海を繋ぐ運河を建設した)。ただ建設にかかる期間は膨大なものとなる。史実のスエズ運河でさえ建設に10年かかっている。技術革新が進んでいた19世紀でも10年間かかったのだから、ヴェネチアが作ろうとした場合は運河の規模などが小さく済むとしても20、30年はかかるのではないのだろうか。完成するまでには他の問題もある。ヴェネチアとマムルーク朝の関係は基本的に良好だった。だがマムルーク朝はオスマン帝国に1517年に滅ぼされてしまう。オスマン帝国とヴェネチアの関係はいいものとは言えず、エーゲ海のヴェネチアの領土をめぐって戦争を繰り広げた(もちろん普通に貿易もしていた)。そのためヴェネチアの運河建設の動きはオスマン帝国によって停滞するかもしれない。だが結局のところ運河建設はオスマン帝国は協力する気がする。運河建設によって紅海経由の貿易が増加しオスマン帝国は経済的利益を獲得できる。また艦隊も航海への進出が可能となりインド方面やアフリカ方面への進出の難易度が下がるだろう。オスマン帝国にとってもスエズ運河の建設は悪い話ではなかった。その証拠にオスマン帝国もスエズ運河の建設をのちに何度か試みている(資金不足でどれも中止となった)。
 ヴェネチアはオスマン帝国で海では互角であったが陸では圧倒的に不利だった。そのため力関係から見て運河の所有権はオスマン帝国が持つと思われる。オスマン帝国は高額な通行税をスエズ運河を通行する船にかけるだろう。昔は高額な通行税を徴収するのは一般的だった。そしてオスマン帝国はそのことができる地位にある。スエズ運河の魅力はとても大きく、オスマン帝国はヨーロッパ有数の強国だったため支配も容易だろう。
 また希望峰周りの航路は圧倒的な不利になると思う人もいるかもしれない。ただ、ここで思い出してほしいのが喜望岬経由の航路が開発された理由だ。アラブ商人を経由して胡椒を輸入する場合、彼らの利益を獲得するために香辛料の値段は原産地での値段より遥かに値上がりする(あとヴェネチア商人の介在も香辛料の値段を引き上げていた)。先ほど説明したようにスエズ運河を通る船に対して、運河の経済的価値からオスマン帝国は高額な通行税をかけるだろう。そのような点で喜望岬周りの航路にもコスト面での一定の競争力はある。
 スエズ運河はヴェネチア共和国のアキレス腱にもなりうる。オスマン帝国はスエズ運河を封鎖するだけで、ヴェネチアの貿易に大打撃を与えることが可能となるからだ。史実でイギリスがスエズ運河の建設に積極的でなかったのはイギリスもスエズ運河への過度な依存を懸念したからだった。ただこの点は、元々ヴェネチアはオスマン帝国が主要な貿易相手だったので『依存』という問題はスエズ運河があろうとなかろうとヴェネチアにとっては変わらなかったのかもしれない。
 だがオランダの台頭はスエズ運河があったとしても、ヴェネチアの香辛料貿易に大打撃を与えただろう。オランダとポルトガルは両方とも香辛料の貿易で成功した。だがその『成功』の度合いには大きな差があった。ポルトガルは独自の貿易経路の確保に成功したに過ぎない。そのため香辛料貿易を独身することは不可能だった。だが、オランダは香辛料の生産地であるモルッカ諸島を支配することに成功した(その過程で現地住民を虐殺したりした)。香辛料の生産を独占されてしまえば、ヴェネチアにとって対抗のしようはない。対応に迫られるだろう。史実ではヴェネチアは、ヴェネチア経由の香辛料貿易が衰退すると、手工業の強化やイタリアでの農園開発をおこなったが、スエズ運河という大きな武器があれば、その対策も違ったものになるのではないのだろうか。

まとめ


 スエズ運河が作られたとしてもヴェネチアが支配権を保持できるとは思ず、オスマン帝国に支配されることになっただろう。また、スエズ運河を利用した貿易もオスマン帝国に依存する不安定なものになったのではないだろうか。スエズ運河を建設していたとしてもヴェネチアは強力なライバル(オランダなど)と競争に見舞われることは確実だ。
 近代の歴史は大きく変わっていたとも思う。西洋と東洋の貿易はまちがなく促進されただろう。大航海時代も史実とは大きく違ったものになりそうだ。




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