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不思議(神秘)体験とワンネス体験の違い

関係無いけど、今夜から明日に掛けてスーパームーンですね。まあ、たぶん見ないけど(家の中からは見えない)。

うん、大幸運日だって吉事イベントみたいに浮かれている人いますけど、「地獄の窯」の蓋の開く日(悪日)ですww
月と言う独房から、たくさんのエレメンタルや悪霊たち囚人(死刑囚や無期懲役刑)が恩赦とばかりに地球に戻ってくる…
どうしてそれがめでたいのだろう。
知らないって恐ろしい…タメイキ

私たちも過去生の負債、自分が創ったネガティブエレメンタル…それら戻ってくるカルマと対峙しなければいけません。

さてさて本題。
先日の記事ではお手軽にワンネス体験がやってくるみたいな、誤解を与えてしまったかも…で、追記的な補足です。

確かに予告無しに意外な状況下で起こることもあるのですが、お手軽にいつでもどこでも体験出来るということも無いのです。

そして、不思議体験(非現実的摩訶不思議、奇々怪々奇妙キテレツ…な心霊的体験)なんかとはまったく質が異なります。

不思議体験や心霊的体験て言うのは、普通にありますよね。
ああ…普通と言うのともちょっと違いますが、別に不思議ではない。誰にでも起こりうる現象です。

霊を認識してしまったり、幽体離脱してしまったり、臨死体験をしたり、ストップモーションでの体験、走馬灯的な人生や日常の振り返り、別の次元にあるものを見てしまったり、タイムスリップとか異世界的な体験とか、過去生体験とかetc

別に珍しくもない、ありふれた体験です。
その経験をする人がさほど多くない、回数としても多くない、非日常的な体験と言うだけで。

その体験をしたことで、目には視えない世界があるのでは…とか、霊の存在や神の存在、この世には人知を超えた、科学では割り切れない事象や世界があるのだと…そんな風に認識を新たにして、謙虚に物事を考え始める人もいますし、残念ながら、そうではない人もいます。
面白いことに偉大なる科学者ほど神(創造主)の存在を信じ、人知を超えた非科学的な存在を謙虚に信じていたりするものです。科学の限界を知っていると言うのかな。
"無知の知"を骨身に知っていると言いますか…

我々が知りうる唯一のことは、
我々何も知らないということである

ソクラテス&トルストイ

ワンネス体験ってのは…他にもたくさんの人がネットで書いていると思うのですけど。

まあ、一口に言って、地球または宇宙と一体化したかのような感覚を一時的に味わうこと。しばらくその感覚に浮遊することも含めて…ですが。
自分と言う枠組みが無くなって、忘我の状態になる体験ですかねー 

自分と言う肉体が無くなってしまったかのような感覚あるいは肉体(自分そのもの)が溶けだして、「個」としての境界線が無くなり、同時にあらゆるものが流れ込んでくるんですね。その他の意識が。他人の思考、想念、存在そのもの、そして創造主の想いのようなもの、愛情、智慧、情報等など。

一瞬にして、何もかもが自分の中に「ある」感覚です。
自分そのものが宇宙になり、神となってしまったかのような、憎しみも怒りも悲しみも無い、ただ悦楽と充足感だけが支配する永遠の静けさと平穏。すべてが愛おしくて、総ての存在が自分だと感じられる尊い瞬間です。他人も自分も無く、モノも人も空気も水も、全部が溶け合った世界。
全部が自分で、自分が全部の一部と言うより、自分が無い世界。その感覚の中では、自分という存在は、「そこにあってそこにあらざるもの」自我はあって無きに等しいって感じですかねー

チャクラが開いたって、そう表現している人もいましたっけ。まあ、それとはまた違うのですが。

ドラッグでのトリップもこれに似ているけど、似て非なるものですかね。あれは解き放たれたような解放感と恍惚感を得られて気持ちいいけど、愛とか充足感とか、全知の存在になったような感覚とはまったく違います。エセな疑似体験て言うのかなー そのエセな解放感と恍惚感を求めて、人はトリップする感覚という日常からの現実逃避、ドラッグに依存してしまうのでしょうけど。
本当のワンネス体験は、ドラッグで得られるエセ体験とは別物です。逆にワンネス体験したら、ドラッグなんか馬鹿らしい。本マグロの大トロ食べたら、アボガドでは騙されませんって、そんな感じ?ww 違うか。

で…この感覚の中にあるときには、全部が解るんです。全部が自分の中にある。解らないことが何一つないよって位にww

でも、分離した自分に戻ると、何もかも解りますって状態は保てませんが。何かが残っている感覚はありますよね。

日常生活での気づきとはまた違うんですよ。
して、悟りとも違うかなあ。はい、違うような気がします。

「気づき」は、「ああ、そうなんだな」って、納得し、理解する過程をふっとばして答えが流れ込んでくるわけですけれども(方程式すっとばして、唐突に答えが解っちゃう状態)。ワンネス体験で得る「すべての回答」ってのは、それとも違うんですよねー こういうのって言葉で説明するのは、とても難しいです。「解る」という過程も直接的な回答である数字や数値もすっとばして、体の中に入った…そんな感覚ですので。脳では無くて、全身にダイレクトにインプットされたような感じと言った方が近いのかなあ?

ものすごく抽象的な言い方しか出来ませんけど。

チャネリング(宇宙イタコw)ともまったく違いますかね。
繋がるってのとも、まったく異なります。
あれはアンテナのチューニングがピッタリ合って受信出来ている状態。触覚で捉えるようなww 自分がラジオやらの受信機として機能している感じなので。

ワンネス体験においては、物質も気体も液体も同じレベルなんですよ。ぜんぶ一つなの。モノも命も、遠くも近くもない。地球の緯度経度の一点にいるのに、それでいて太陽系通り越して遠い銀河の宇宙まで全部ひとつなんですよ。
それを同時に感じることが出来る。

座っている椅子や床や、住んでいる家も、それを取り巻く空気も大気圏も海も、隣の家に住む人々も、もう全部一緒。

ここにありてあらざるもの…

嫌いな人も当然いないです。憎悪も恨みも介在しない。
すべてが愛おしく、愛くるしい。母の気持ちと言うのかな。
慈愛と慈悲しかないと言えばそうだし。
かと言って、人の情、感情とも違うのです。

このうるわしき、美しい世界… 

聖人の気持ちと言えば、そうなのかな。

このろくでもない、すばらしき世界…だと
宇宙人ジョーンズのセリフになっちゃうかっっっ

このワンネスに常時入り浸れる?状況だと、聖人になれるでしょうし、悲しみも憎しみも恨みなどの感情とは一切無縁でいられて、愛だけを他人に向けることが出来、悩みも不安も無い、迷いもない人生を生きられて、人生平穏で楽勝なんだと思いますけれどっっ そうはいかないのが現実。

しばらく経つと、
あっという間に元の状態に戻ってしまいますww

何しろ一時的な疑似体験ですからね。残念ながら。

ただ…「何か」はお持ち帰りすることは出来ます(おそらく)。
アクセス権みたいなものなのかもしれません。
例えてみるならば、IDとパスワードみたいな感じ?
あくまでの例えですけどね。

なんてったって、まだサイコノエティカル体は成長しきっていませんから。6次元の身体をゲット出来ていない以上は、「気づき」は日々得られても、悟りつーか解脱なんてとんでもない。そこに至るにはまだまだ、たくさんの経験と年月が必要です。あと何千年?いやさせめて何百年かで到達したいものですが…

てなわけで、軽くサクッと、ワンネス体験ってこんなんだよ、不思議体験や心霊的体験とはまったくちゃうねん…ってハナシでした。

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