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自職業への疑念を血肉化する試行についての記録-自職業を取り巻く環境に焦点を当てて-

実践で直面する複雑な事象において、自分の”能力”ばかりに着目してしまうと視野が狭まってしまうし、自責ばかりが募ってしまう。

これが行き過ぎるといわゆるバーンアウトに至ってしまう。自分の場合、それを防ぐために採用した方法は、「自分の力不足は一旦棚に上げ(笑)、自職業を取り巻く環境のアセスメントを行うこと」だった。これは、自分にとっては大変助けになったように思う。

本エントリでは、自職業への疑念を得た経験、それをどのように扱い、どのような気づきを得たのか、ということについて「自職業への疑念を血肉化する試行について」と題し、自分の経験から記してみたい。


自職業への疑念

病院勤務時代、ネットカフェから派遣労働の現場へ出向き、現場で体調が悪化し、救急搬送されてくるたくさんの患者さんと出会った。

その方たちと生活保護の申請などをサポートする過程で教えてもらった生活歴をとおして、いくつかのパターンが見えてきた。

・被用者保険から国民健康保険への切り替えをせず/保険料を払えず「無保険」の状態
・無保険による受診控え
・求職活動がうまくいかず、家賃滞納、アパート退去、失業給付を受けていない
・ホテル、サウナ、ネットカフェを転々とし携帯電話から派遣の仕事へ
・働くことができると生活保護は受給できないという誤った認識

このようなパターンを聞く中で、さまざまなタイミングで支援情報や支援者に出会っていたならば、救急搬送されることはなかっただろうと考えた。

病院に来るほど酷くなる前に、つまりは、川下よりもっと川上でソーシャルワークができないかと思い、同時に、福祉現場でクライアントから聞かれる声には、社会的排除を生み出す社会構造を理解するためのヒントが詰まっているのだと痛感した。

しかし、パターン(言い換えればぼんやりとした介入の焦点)に対して、当時、わたしは医療機関に勤務をするソーシャルワーカーとして介入を行う手立てを持っていなかった。つまりは、ミクロソーシャルワークのスキルセットのみで、メゾ/マクロ・ソーシャルワークのスキルは持ち合わせていなかった。この事実は、国際定義には程遠い自身の知識や技術、そして自職業への疑念を生んだ。(自分を棚上げして)


自らの職業を取り巻く環境要因をアセスメントする

「なぜ、私は患者さんとの関わりを通して制度からの排除を問題だと感じていても、それらを対象にした実践を行えないのか?」という問いを、「どのような環境要因が私にそれをさせないようにしているのか」という問いに置き換えて考えることを試みた。

当時、その問いに対し、論文や本から学び、自分ででき得るアセスメント、大枠のプランニングをした。自分の職業を取り巻く環境へのアセスメントを通して、絶望的な気分になったこともあったけれども、ここからなら手をつけられるのではないかなど光明を得たこともあった。

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ネットカフェから搬送されてきた患者さんたちを通して得た課題意識についての解を得るために社会保障制度や社会福祉の歴史、ソーシャルワークの歴史などについて学び直し、先達たちの知から、さまざまなことを学び直すことを通して自身の職業の前提を問い直し、そのプロセスで多くの気づきを得た。この頃の材料をもとに、書いたものが以下になる。


クライアントが有する課題の原因を環境に求める問いに変換する

自職業を取り巻く環境のアセスメントの過程で、個人の問題を社会化する(ミクロからマクロへの展開)においても、当然、アセスメントが重要であるという(書いてしまえば当たり前のこと 汗)に気づいた。その当時の気づきをもとに書いたものが以下になる。

日々現場で出会う方とともに取り扱う生活課題を、
「BさんはAという状態にある」

「BさんをAの状態に至らせた環境要因はなにか?」
と変換することで「環境」という抽象度の高い実践対象を、個人の生活歴等をヒントに思考することに繋がり、メゾ・マクロへ実践を展開する際の焦点の検討を助ける。

人が生活課題を有したり、孤立に至る背景には、さまざまな社会システム(家庭、学校、会社、住まい、人間関係、制度など)からの排除があると仮定したとき、ひとつのシステムからの排除がトリガーとなり、複数のシステムからの重複的排除に陥る可能性を高める点に着目することは、ソーシャルワーカーが、個人のクライアントとの関わりを通して、実践をミクロ・メゾ・マクロに展開していく前提としてのアセスメントを行う上でとても大切なことであると腑に落ちたのもこの頃だった。その頃のメモをもとに作成したの以下になる。


行き着いた介入の焦点仮説の各々についてしっかりリサーチする。

メゾ・マクロに展開することを駆動するアセスメントのプロセス(と成果物)は、課題を広く社会に発信する際の「根拠」を強化することにも活きるように思う。この点については、申請主義によって生じる課題に対する実践を検討する上で痛感した。


なぜ、わたしは?

同時に、燃え尽きを避けながら長期戦に身を置くためには、クライアントと社会と自分を行き来しつつ、「私は、なぜ、この課題に対峙するのか?」と問う作業が必要であるように思う。

これは、社会正義や人権など、自職業が体現していくことを社会から求められている価値もそうだが、その価値とミルフィーユのように重なり、織り込まれ合う、自身が重きを置く価値にも眼を向ける必要があるように思う。これもまた自己覚知のひとつで、ここで手を抜くと、さまざまなジレンマ等に対処する内的動機付けの調達に手惑うように思う。次回は、この辺りの話を書いてみたい。

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