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【君の視点を疑うキッカケの物語】  売る人・買う人・作る人・楽しむ人①

【あらすじ】

 転売が問題視される現代社会。
 三十代半ばで平凡なサラリーマンとして過ごしていた男性は、自宅近くの大型商業施設でグレーのパーカーを着た人物に声をかけられる。
「お一人様一点の商品を買ってほしいんです」卵だろうか。ラップやトイレットペーパーのような消費財だろうか。
「ウィスキーを買ってきて欲しいんです」
グレーパーカーは高級なジャパニーズウィスキーを求めてきた。
 突然の非日常体験が”稼ぐ”ことについて考えさせる。

 お金を稼ぐ手段としての”転売”に向けられた視点を中心に、人のつながりや社会のルールとマナーの境界線について考える五つの短い物語。

一人目 三十四歳 男性(会社員)

 文字通り私の肌感覚の話だが、夏と秋の間は短い。半袖のTシャツ一枚で快適に過ごせる秋は二週間くらいしかない。
 自宅を出た時は清々しい空気に感じたのだが、徒歩二十分の商業施設に到着する頃には肌寒く感じていた。季節の変わり目はいつも体調を崩し、口唇ヘルペスが出る。今はまだ唇にピリッとする違和感はないが、明日からは一枚多めに羽織っていこうと思う。

 横浜市港北区にある複合商業施設〈トレッサ横浜〉は南と北の二棟からなる大型のショッピングモールだ。電車の駅が近くにないため、車かバスで来る人がほとんどである。休日になると駐車場に入れない車で渋滞ができているのをしばしば見かける。
 元々は自動車会社が所有していた土地らしく広い敷地に建てられている。南棟の一階では屋内にも関わらずテナントとして入っているスターバックスコーヒーはテラス席が設けられ、目の前に何台もの車が展示されている。天井の高い室内に止められた大小様々な車を見ると、太古の大型生物が模型となって博物館に展示されている光景を連想させられる。

 目的なく歩き回るだけでも楽しめ店舗のラインナップに、ただただ散歩をしに来ることもあるのだが、その日は夕飯の買い出しという明確な目的を持って訪れていた。十九時三十分をまわっている。夕飯の食材を買いに来るには少々遅めの時間である。野菜売り場を早足で通り過ぎた先にある、半額シールの張られた肉や魚を吟味しながら回る。井之頭五郎になった気分だ。「おれは今なにが食べたいのか」自問自答してみる。
 束の間の遊びを終えてレジを通す。夕飯の材料を買いに来ただけのつもりが、珍しい調味料や、スーパーにしか売ってなさそうな和菓子が買い物かごに入れられていたりするから驚く。「ペイペイ!」といういつでも楽しそうなペイ太(本当の名前は分からない)の声を聞いてハッとするが遅い。
 食材を無印良品のリュックに乱雑に詰め込むと、出入口の脇にあるクリーニング店にかけこむ。正確には駆け込もうとした。時刻は二十時を回ったところだった。クリーニング店の閉店時間をわずかに過ぎてしまっていたらしい。
 潔く、だがしっかりと肩を落とすと、降ろされたシャッターに背を向けて歩き出す。
 視界の端でグレーのスウェットの人物が腰かけているのを捉えた。トイレの前に置かれたスツールは二人まで座ることを想定して作られたサイズだ。一人分のスペースに座り、もう一人分の場所には黒い無地のリュックが置かれていた。意識して見たわけではなかったが、自分が持っている無印良品のものと同じだと思った。

 数秒後に「すみません」と声をかけられたので振り返る。先ほど頭に描いた残像から男が動いて、自分の肩を叩くまでの動きを見たのは、脳内で映像が作られただけだったかもしれない。いずれにしても、グレーのパーカーと膝の擦り切れたジーンズを身につけ、肩に黒いリュックを背負った男が目の前に立っていた。年齢は二十代前半にも見えるが、服装をはじめとする全体の見た目による印象だろうか、三十代後半と言われても納得できる。三十四歳の自分と比べて上にも下にも見える。グレーだったのはパーカーだった。
 思わず振り返ってしまったものの、そのまま視線をそらして、何も言わずに歩き去ろうとした。普段だったら確実にそうしていたのだが、その日はなぜか立ち止まったまま目の前の男の話を聞いていた。

「すみません。あぁ、ありがとうございます。ちょっとお願いがあるのですが。いやぁ、ありがとうございます」

まだ何も承諾していないにも関わらず男は「ありがとうございます」と二回も口にする。私はそのまま話の続きを促すように頷く。それを見た男はお願いの本題に入る。

「実はお願いがあるんです。時間大丈夫ですか?」

お願いがあることも最初に聞いたが繰り返す。誰かが通るのを待ち構えていた割には、呼び止めるための声掛けがぎこちないなと思う。辛抱強く頷いてみせる。

「お一人様一点の商品を買って欲しいんです」

なるほど。品薄の商品がなるべく多くの消費者に届くように、小売店が販売数を制限することはよくある。この男はどうしてもその食品なり消費財が追加で欲しくて、道行く人を捕まえてお願いしてきたのだろう。

 自分が買い物をした数分前の光景を思い出してみる。最近で品薄な商品というと、腸内環境を整えるヨーグルトや乳酸菌飲料が真っ先に思い浮かんだ。自分は飲んだことはないが、睡眠の質を向上させるらしい。他には卵も鳥インフルエンザの影響で価格が高騰している。ただ、卵は購入点数の縛りはなさそうだった。自分は通らなかったが、ラップやトイレットペーパーが特売になっていたのかもしれない。常に何かが足りないのだ。
 色々と想像をしていると、

「ウィスキーを買ってきて欲しいんです」
と言われた。

「え、ウィスキー、買うんですか?」
想像していたものとのズレが大きく、思わずそのまま聞き返してしまった。

 しかし、この反応がむしろ正常だったのかもしれない。男は話が一歩前に進んだことに手ごたえを感じたのか、少しだけ背筋を伸ばし、目当てのウィスキーについて説明を始めた。

 酒コーナーに置かれている税別で八千円の山崎ウィスキー。

 この商品を買って欲しいという。お一人様一点の商品にしては高額であるが、そもそも何本も購入する人がいるのだろうか。どれだけ美味いのか。

 頭の片隅で、受け取りが間に合わなかったクリーニングのことを思い出していたこともあった。半笑いで「あぁ、いいですよ」と口にしていた。物心ついてから、この瞬間まで自分の根っこは人見知りであることを自覚している。見ず知らずの男の頼みを承諾していることに一拍置いて驚いてしまった。とはいえ、一緒にレジに並ぶくらいであればすぐに終わるだろうし、珍しい経験だと思えた。
 すると、男は「ありがとうございます」と言いながら、財布から現金で九千円を取り出して、「これでお願いできますか」と差し出してきた。
 レジで買う時に付き添えばよいと思っていたのだが、どうやら現金を握りしめて、初めてのおつかいよろしく、一人で買いに行く必要があるらしい。
「いや、知らない人なんで、現金だけ渡されて、一人で買いに行くのはちょっと。なんか変なことに巻き込まれたくないですし」
と、慌てて答える。どこか普通ではない状況に、危機管理センサーが反応している。「じゃぁ、見えるところにいますんで、なんとかお願いします。さっき自分は買っちゃったから、もしかしたら店員に顔を覚えられているかもしれなくて。それでダメですか……?」

どうやら該当のウィスキーは酒売り場には並んでいるが、鍵のかかったケースに入れられている商品らしく、売り場近くのサービスカウンターにいる店員にお願いして鍵を開けてもらい、その上で通常のレジではなくサービスカウンターで支払を行う必要があるようだ。 スーパーではビールかチューハイ、コスパのよいチリ産のワインくらいしか買ったことがなかったので、ケースに保管されている商品があることすら知らなかったし、そのケースの中にある商品を購入する人物を見たこともない。自分のような客が大半の中であれば、たしかに、店員もその日にそのウィスキーを購入した客の顔くらいは記憶に残りそうだ。

 当初考えていたよりも面倒かもしれないな、と思い始めてきた。しかし、何だか断るのも面倒に感じて、「分かりました。それじゃぁ一緒に行きましょう」と答えていた。

 昔からこうなのだ。頼まれごとに対して深く考えずに引き受けてしまう。その後で手間がかかると分かるのだが、断ることの手間と天秤にかけて、けっきょく最後まで請け負ってしまう。内心でため息をつきながら売り場の方向へ足を向けた。

 まず、ウィスキー売り場に行くと、鍵付きのケースの中を確認する。山崎の2021年。八千円の値札の奥に箱入りでまだ数本が売られている。
 目的の品が残っていることを確認して、サービスカウンターに向かおうとするが、自分と同世代くらいの男性が店員と共にケースの前に現れた。グレーパーカーの男はスッとその場を離れると、近くの菓子パンを手に取って眺めるふりをした。

 自分達が買おうとしていたウィスキーと同じものが一本ガラスケースから取り出されていく。

 私はそのまま店員に声をかけて、同じものを買いたいと伝えた。店員はちらりと周りを眺めまわした後で承知しましたと言って、前の男性の分と合わせて二本の瓶を掴み、来た道を戻る。店員は「こちらでよろしいですか?」とラベルを見せて確認してくる。「はい」と返事をしたかどうかは覚えていない。短く答えたような気もするのだが、どうだったか。とにかく、サービスカウンターで握りしめていた九千円分のお札を手渡すと少し気持ちが楽になった。

 安堵した私を見たからではないと思うが、店員はこのタイミングでもう一度周りを見回すと、
「あちらの方にお願いされましたか?」
と尋ねてきた。

 どうやら私の背後にある菓子パン売り場にいるグレーパーカーの男を見て言っているらしい。早くその場を離れたい気持ちで「いえ、違いますけど」と、後ろも振り返らずに答えた。店員も訝しんでいただろうが、それ以上の追及はせずに、レジを通してくれた。

 お釣りの二百円と商品を受け取ると、まっすぐに一番近い出口へ向かった。グレーパーカーの男がついてくるのを背中に感じる。

 店を出たところで男と向き合うと、ウィスキーと二百円を手渡した。
 男は「ありがとうございます。お釣りは取っておいてください」と言うが、少しでも金銭を受け取ったという事実を残したくないと感じたので、「いや、そういうつもりじゃないんで」と伝えた。「その代わり」という言葉は遣わなかったと思うが、
「そのウィスキー、レアなんですか?」
と尋ねた。
「そうなんですよ。二年前に作られた新しいウィスキーなんですけど、まだ出回っている数が少なくて、珍しいんです」
という答えが返ってくる。「高く売れるんですか?」「美味しいんですか?」と二つの質問が続けられそうだったが、やめた。代わりに、なぜか「ありがとうございました」とお互いに言い合って男とは別れた。

 男と別れて歩き出すと、スマートフォンを取り出して、「山崎ウィスキー 2021年 転売」のキーワードで検索してみた。先ほど購入した価格の三倍から五倍の金額で取引がされている。2021年の販売当初は十倍の価格がついていたという記事も出てくる。

 男の服装を含む見た目からだろうか、それともウィスキーという商品からだろうか、最初から転売だろうと思って検索していた。無意識にどこかで、何かの情報を吸い上げて整理し、結論を出していた。

 本当に転売が目的だったとして、一本で数万円の利益が出る。最低で二本は購入していただろうから、それなりの金額を手に入れることになるはずだ。

 グレーパーカーの男が、あのウィスキーをどうしたのかは知る由もないが、羨ましいとは思わなかった。普段から株式投資もしているし、フリマアプリも利用している私だったが、同じようにすれば最低でも三万円程度の利益がすぐに手に入れられるはずの出来事を、目の前で起きた事実を、なぜか遠くから客観的に眺めているだけだった。

#創作大賞2024 #お仕事小説部門 #小説 #転売

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二人目:
https://note.com/preview/n1677805de6fa?prev_access_key=0762beaea919a1eb2dff5fbfee0dd96a

三人目:
https://note.com/preview/nf01c83df1fe2?prev_access_key=17b8cb0d9032399990534626f81af60d

四人目:
https://note.com/preview/ncbd0c7bda024?prev_access_key=a6dd2cff405d206054f7d1b1a83557c1

五人目(完):
https://note.com/preview/nd2de123d58f9?prev_access_key=d04b5f906836a869da85b412e0caa792

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