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【君の視点を疑うキッカケの物語】  売る人・買う人・作る人・楽しむ人④

四人目 五十歳 パートタイマー

「こういうね、小銭稼ぐためにね、転売するような奴らは命の回転が悪くなるんですよ。絶対にそう。ろくな人生が送れるはずないから」

 深夜のラジオ番組で人気お笑い芸人が尖った声で言っていた。年間のテレビ出演本数で一位の座を争うそのお笑いコンビは翌年に東京ドームでのライブを予定しており、グッズ販売を開始していたところだ。数量が限られるグッズにはプレミアがつきやすい。

 深夜のテンションで話す芸人の言葉を朝の通勤時間にYouTubeで聞く。無料でアップロードされている音声のみの動画は、放送の翌朝にはおすすめ動画として再生候補の一番上に表示される。

 通勤時間は徒歩で約二十分。大型ショッピングモールの中にあるスーパーマーケットが佐々木祐子の職場だ。住宅街を抜けた先に現れる巨大な建物は駅から遠く、バスや車で来る客も多い。毎日の通勤で満員電車に揺られる必要がないのは非常にありがたいが、記憶というのは美化されるのか、満員電車が少しだけ懐かしく思える。

 小ぶりながらも食品のセレクトショップでバイヤーをしていた頃は横浜から渋谷にあるオフィスまで毎日出勤していたのだ。その頃は、東急東横線で多摩川を越える瞬間にスーッと背中の筋が緊張する気がしていた。河川敷で社会人なのか学生なのか、ラクロスに励む人達が走る姿に一日を始める活力をもらっていた。帰りの時間になると街灯のない河原は真っ暗で、正直どこまでが川で、どこからが陸かも分からないが、川を挟んだ土地のあっち側とこっち側の違いを身体のどこかが感じ取っていた。生まれ育った横浜を出た先にある東京という場所は、目と鼻の先でありながら、いつまで経っても警戒しなくてはいけない土地のような気がしている。人間というのは勝手に、見えない線をあらゆるところに引いて生きている。

 結婚して子供ができてからは、日本中を飛び回り、時には海外に飛び出していくような働き方はできなくなった。その結果、現在の職場でパートタイマーとして働いている。その生活に不満はない。生きる上での優先順位は世代とともに変わる。生まれたばかりの娘の顔を見た時に、スパッと割り切れた。「七十二時間働いてもいい」と思えるくらい情熱を捧げていた仕事だったのに、自分でも不思議なくらい引き際はあっさりだった。

 ***

 スーパーではレジに入ることもあるが、基本はサービスカウンターで過ごす時間が多い。「年々おせちの予約開始時期早まってるよなぁ。佐々木さん、午後には本社からチラシが届くから。いつも通りにおねがいしますね」
この持ち場には、社員であるマネージャーの礒川(いそかわ)さんとパートの一人か二人が同時に入る。今日は礒川さんと私の二人だけだ。礒川さんは自分よりも在籍期間が長い私に対してはいつも適当な指示で依頼をする。四十代前半くらいだろうが、すでに頭はしっかりはげ上がっており、膨らんだ下腹が中年を強調している。オヤジであることを受け入れているところは礒川さんの良いところといえるのかもしれないが、見方によっては、まだ四十代前半、努力のしようはありそうだ。

 サービスカウンターではおせち料理の予約受付や、お中元・お歳暮の対応、ギフト券なども扱う。一日中声をかけられているような持ち場ではないが、高単価の商品を扱うので、一人一人のお客様に対して丁寧に接する必要がある。そのためか、パート歴の長い人や、バリバリ正社員として働いてきた経験がある人が配置されることが多い。

「あ、あと今日ね、ウィスキーで珍しいの入ってきてるから。鍵の商品ね。一家庭一本でよろしく」

 この仕事をするまでスーパーの酒売り場に鍵付きのケースがあり、その中に高級なウィスキーやワインが売られているなんて気に留めたこともなかった。夕飯の食材を求めて買い物にくる多くの客には視界にも入らないのではないだろうか。ガラスケースに入れられた高級ジャパニーズウィスキー以外にも、このサービスカウンターで扱っている商品が、どちらかといえばお買い得品の多い、庶民の味方といえるスーパーで買い物をする人達に需要があるということが信じられなかった。輸入食品を扱っているおしゃれなスーパーとは来る客層が違う。しかし、案外世間ではスーパーのおせちを買ったり、贈り物を手近なところで用意したりする人が多いらしいと分かった。贈り物を届ける相手によっては手っ取り早く済ませたいと思うこともあるのだろう。

 ***

「お客様は午前中にすでに購入されていますよね?」

と、眉間にしわを寄せながら質問すると、その客は「あ、だめなんですね。知らなかったので、すみません」と言って引き下がった。
 ふっと短く息を吐く。揉めることなくその場が収まったことに安堵する。

 誰がいっていたのか覚えていないが、希少な高級国産洋酒を求めるのは圧倒的にコレクターか転売目的の人物が多いらしい。自分で飲む層はわずかだと聞いた記憶がうっすらある。まれにプレミアがつく商品がここのような地方のスーパーに流れてくる。その情報を知ってか知らずかピンポイントで購入に来るお客さんがいる。店としては一家庭一点の購入までと制限をつけて提供するルールになっているが、転売目的の客はなんとか店員の目をかいくぐって買えるだけ買おうとしてくる。
 祐子はそのルールをかいくぐろうとするところには苛つかない。苛つくのはもっと根本的なところだ。

 転売している人達は自分の目で選んでいるわけではなく、自分のセンスを高めて商品を集めているわけでもない。ただネットかそこらに転がっている情報を元に、転売すれば利益がでるらしいから、希少だと言われているから、という理由で商品を手に入れようとする。そして、その活動を「せどりやってる」とか、「フリマアプリでセレクトショップやってる」と言う。さらにその周りも「えー、バイヤーじゃん!」などとあおる。

 その浅はかさに苛立つ。出産をする前まで情熱を、心血を注いでやってきた仕事と似たようなことをやっている気なのかもしれないが、全く違うのだと言いたい。

 プロとして目を養った上で良い物を自分で探して、まだ注目されていないが価値のある物を掘り当てる。そして仕入れて店を彩る。これがバイヤーという仕事なのだ。当然、生産者との接点も大事にする必要がある。顔を見せ合って地道に築いた信頼関係の上で仕事をしていたのだ。
 それが、安易な転売が増えたせいで、テレビのコメンテーターや副業を進めるユーチューバーなども安易な発言をするようになる。

「なにが違うの?」
「安く仕入れて高く売るのは商売の基本」
何も分かっていない安易な結論だ。

 この状況が許せない。

 その結果、祐子が勤務するスーパーでも、店のルールをかいくぐって購入を狙う客への取り締まりが自然と厳しくなっている。
 スーパーがというより、祐子の個人的な取り締まりが厳しくなっていると表現した方がよいかもしれない。

 さきほど追い返した客がまだ店内をウロウロしているのは把握している。グレーのスウェットに寝癖を直しきれていない見た目。それでいて高級ウィスキーを買おうとしていたアンバランスな姿は強く印象に残っている。
 一本八千円の酒を飲むはずがない。と、怒りの波の隙間で人を見た目により判断している自分に気がつくが、同時にそういう問題の話ではないということにも気がつく。「多様性」とか「人の内面を見ましょう」という類いの話ではなく、野球のストライクとボールを見分ける選球眼のような、必要な違いに気づく感覚の話なのだ。

「主任。さっきのグレースウェットまだいますよ」
「あー、そうだねー」
主任からはのんきな返事しか返ってこない。
 
 昼の休憩後はギフト券の販売や返品の対応などが続き、気づけば夕飯の買い出しに来る主婦で店内が賑わいだしていた。毛髪が脂でへたってきているのを感じる。長時間の立ち仕事で足も腰も痛んできた。残り一時間程で今日のシフトは終了する。
 
 部活を終えた娘は帰宅して、夕飯前のこの時間に勉強をしているだろうか。しているだろうな。親である私も夫もそれほど熱心に学業に取り組んで来たわけではない。それでもその時々の、年代ごとの幸せはつかめてきた。結果、今は十分に幸せだと実感できている。そのため、我が子にも机に向かうことを強要する気はない。勉強しろと言わないから、子どもなりに何かを感じ取って自ら机に向かうのか。勉強しろと言っていたら反発してやっていなかったのか。一度だけの人生では知りようがない。比較できないのだから。
 自主的に努力を重ねていく娘には感心する。部活で学生生活を楽しみつつ、受験を成功させることが、娘の今の年代における幸せなのかもしれない。思春期だ。恋愛もしているかもしれない。知ってか知らずか、娘はおそらく直感的に理解して、彼女なりの幸せをつかみ取ろうとしている。応援してあげたい。

 そんなことを短い時間でぼうっと考えていたら、白のシャツに薄い水色のカーディガンを羽織った男が声をかけてきた。例のウィスキーを買いたいらしい。爽やかな見た目が俳優の誰かに似ていると思ったが思いだせなかった。

 この男は・・・・・・、うん、初めて見るな。案内しても大丈夫だろう。
 男の前を歩いて鍵付きのガラスケースへ向かう。

「こちらでよろしいでしょうか」
と、手のひらで〈山崎〉の文字を指し示すと、男はコクンと首を前に倒した。長身の水色カーディガンに隠れていたが、その後ろにもう一人立っていた。半袖のTシャツ一枚の男が、同じようにウィスキーを買いたいという。秋も終わりかけのこの時期に、少し薄着過ぎるように思えた。

 よほどこのウィスキーはその界隈で有名なものなのだろう。この数分で高級な洋酒が立て続けに売れていく。バブル期の日本ではなく、不景気だ円安だと毎日のように耳にする日本でだ。

 周囲に目を光らせ、山崎の瓶をさらにもう一本手に取り、サービスカウンターへと移動した。
 Tシャツの男にも「こちらでよろしいでしょうか?」と確認する。男は少し緊張しているような面持ちで、手に握っていたむき出しの九千円を手渡してくる。
 少し、というか、なかなかに不審である。
 Tシャツ姿の後ろ側、菓子パン売り場の辺りでネズミ色の陰が見えた。なるほど。
「あちらの方にお願いされましたか?」
と尋ねてみる。
 「あちらの」と言いながら手で菓子パン売り場を指すと、グレーのスウェットがスッと背中を向けた。一方でTシャツ男の方は後ろを振り返ることもせずに、「いえ、違いますけど」と答えた。

 主任の方をチラッと見る。主任は目を背けてカウンターから出て行ってしまった。その行動に、小さくため息をつく。それ以上の追及はせずにレジを通した。
 主任は明らかに私の視線を感じてから、判断を逃れるためにその場を立ち去った。
 
 シフトの終了時間が来たので、他のパートやアルバイトの人達にも挨拶をして事務所へ移動する。主任に挨拶をするときに、問い詰めてやろうかという考えが頭によぎったが、やめた。もう今日の勤務は終わっているのだ。これ以上波風を立てても仕方ない。今日という一日を、いったんは終わらせたい。
 
 帰宅する頃には小さなモヤモヤはすっかり消えていたはずなのだが、寝室の電気を消した途端にグレーのスウェット男が頭の中に現れた。なぜかYouTubeで聴くお笑い芸人の声でしゃべっている。

 ――命の回転が悪くなるんですよ――

 お前が言うな。
 あぁ、夢の中にいるんだな。今日は疲れたから。
 あの男はもうウィスキーを転売しただろうか。いくらになったのかな。
 主任はどうして転売目的だと分かりきっていて、明らかに友人に頼んで、一家庭一本のルールを破ろうとする人間の購入を見て見ぬふりをすることにしたのだろうか。

 酒の作りに関わっているわけでもないし、酒を卸しているわけでもなく、飲みたいと思っているわけでもない。“当事者ではない立場”で、転売を問題視する方がおかしいのだろうか。おかしくはないか。珍しいって感じなのかな。

 あれ、いま私起きてる・・・・・・かな。

夢の中の男の顔が主任になっている。
「まぁ、おれの立場だとさ、早く売れてくれた方が嬉しいんだよね。正直さ」

 あ、まだ目覚めてなかった。

「元々の元をたどっていくと、作ってる人達も、どれくらいの人が転売されることを気にしてるんでしょうね。どんどん価値がつり上がっていくのを見たら嬉しいかもしれないですよね」
 主任の顔だったところがぼんやりしている。いつかのテレビのワイドショーか、どこか別の場所で聞いた話だろう。誰が言っていたかは覚えていないが、言葉の方だけが印象に残っている。たしか、ワインが投資対象になっていることを例えに出してしゃべっていた。そのことを思い出すと、ぼやっとしていた顔が、経済について語る評論家の輪郭に近くなっていく。

 「なるほど」と納得した時に心が動いた感覚を思い出した。

 主任の立場であれば主任の考え方も正しいのかもしれない。
 それぞれの言いたいことは「理解できるんだけどね」と心の中でつぶやく。私だってYouTubeのラジオ放送を聞いて楽しんでいる。グレーゾーンだと思う。合法なのか違法なのか。無料で楽しませてもらっている。
 種類は違うが、命の回転を悪くする行為かもしれない。
 私の立場では許せないことがある。そういうことなのだ。 
 
 次の日出勤すると、ガラスケースの中には、常識的な価格のお金を払えば手に入る種類のウィスキーだけが並んでいた。
 主任の顔は何も変わらない。
 おせち料理の予約受付が始まるらしい。その手順を説明された。主婦層の多いお客さんの方を向いて、フーッと長めに息を吐いた。

#創作大賞2024 #お仕事小説部門 #小説 #転売

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一人目:
https://note.com/preview/nd120a67cb87b?prev_access_key=c32d846c58f23ec1ba10cf88417d306a

二人目:
https://note.com/preview/n1677805de6fa?prev_access_key=0762beaea919a1eb2dff5fbfee0dd96a

三人目:
https://note.com/preview/nf01c83df1fe2?prev_access_key=17b8cb0d9032399990534626f81af60d

五人目(完):
https://note.com/preview/nd2de123d58f9?prev_access_key=d04b5f906836a869da85b412e0caa792

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