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釈迦の前世の雪山童子は自殺?

世間では、自殺駄目だと言っています。
法律では自殺してはいけないと言う法律はありません。

キリスト教は、自殺しては駄目
天国にいけないで地獄に落ちると言う教え

キリスト教徒は自殺を禁じられている・・・

悩んだガラシャは、洗礼を授けてくれた司祭・オルガンティーノに手紙を書く。

「死を選んだら罪になるのでしょうか?神に反することになるのでしょうか?」と。
キリスト教の細川ガラシャは自殺ができないから、家来に殺してもらった。  
踏み絵をしないで磔にされたキリスト教徒も、自殺願望があったが自殺ができなかったから、踏み絵をしないで磔にされて殺してもらったのもあるのではないかと、心理分析しています。

調べると、キリスト教でも自殺はいろいろ考えかたはあるようですが
😇

仏教は、自殺してでも他者を救いなさいと言う教え
🛐

昔々、いつも真実の法を求め続け、それを人々に広めることを願っていた雪山童子(せっせんどうじ)という名の少年がおりました。

 ある日、童子が山中で修行をしていると、恐ろしい姿をした食人鬼が、不思議な詩を唱えているのを耳にしたのです。

「諸行無常 是生滅法(しょぎょうむじょう ぜしょうめっぽう=この世に在るものはすべて移ろいゆき、変わらぬものは何も無い。生じたものは必ず滅していくことが、本来の道理である)」

 それを聞いた童子はいてもたってもいられずに、鬼の前に進み出て、詩の続きを唱えてくれるよう頼みました。しかしその鬼は空腹であったので、童子を食べることと引き替えになら、続きを教えると答えたのです。

 童子が約束を守ることを誓うと、鬼は再び詩を唱えました。

「生滅滅已 寂滅為楽(しょうめつめっち じゃくめついらく=生じることや滅することの苦しみから離れ、心が静まっていることが安らぎなのである)」

 童子は大いに喜んで、この詩を多くの人に伝えるため岩に刻み込むと、約束通り鬼の口に身を投げました。すると鬼の姿はたちまち帝釈天(たいしゃくてん)という神様に変わり、童子を空中で受け止めるとうやうやしく地上に降ろし、礼拝(らいはい)したのでした。

 この雪山童子こそ、お釈迦(しゃか)さまの過去世のお姿なのです。


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ほとけさまのお話
捨身飼虎

お釈迦様の前世の姿であった、ある慈悲深い王子は森の中で、飢えて動けない母虎と子虎に会いました。王子は母虎に王子自らの身体を食べさせて、母虎が子虎達にお乳をやれるようにしようと救う決心をします。目の前に体を差し出しても食べる元気もない母虎を見て、王子は崖から飛び降りて流れた血を母虎に飲ませました。その血を飲んだ母虎は気力を取り戻し、王子の身体を食べて子虎にお乳をやることができたのでした。

🛐

仏様のお慈悲は善いものだから救うという心ではなく、今、苦しみ喘いでいるものを救わずにはおれないという心です。
自殺の内容が、社会の苦しみや悩みから自殺するかたとは違いますが

さて、今の僧侶やカウンセラーや相談員は、自分が犠牲になっても救うまでの偉い方はいませんよね。
口で説得まででしょうね。
いっとき、自殺を思いとどまらせても、現実の苦しみは無くならないで、最後は自殺してしまうかたがたくさんいるんではないでしょうか?
現実の悩みを解決してあげるまでやらないと自殺は変えられないでしょうね。
金の問題なら金、仕事の問題なら仕事、家族の問題なら家族
精神的や心や思考を変えるのもあるでしょうが、一時やまったく変わらないかたがたくさんでしたよ。

大人になり、自我が凝り固まったかた
心理学では、スキーマや認知の歪みや防衛機制になります。
東洋医学では、病気になる前の予防医学からやっていきます。
仏教は智慧の修行を重視してます。
空や無は、智慧の修行もあってのこと
業の浄化の浄化法もやっていきます。
偏った教義や修行がたくさんです。
ながい年月を社会のなかでいろいろ修行や研究してきて、わかったことはたくさんでした。
私がいくら説明しても、宗教脳や科学脳や常識脳の方たちには、まったく理解できないできましたよ(笑)
話が、だんだんズレていくんで
今日はこのへんで
🛐
三昧に至るまでの具体的方法として、苦行(必ずしも荒行や難行のみではない)、スヴァディアーヤ(読誦と研究)、イーシュヴァラ・プラニダーナ(自在神祈念、念神)という3つの方向性を示し、これらをまとめてクリヤーヨーガ(行為のヨーガと呼ぶ)









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