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【思い出小話】やっぱり私はどこかでベルギーに呼ばれていたんだと思う。op.6

この記事には以下の小説のネタバレが若干含まれています。内容のネタバレ踏みたくないよ!と言う方はブラウザバックを推奨します。
・試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。/ 尾形真理子
・盲目的な恋と友情 / 辻村深月

先日、昨年ルーヴェンに交換留学で来ていた日本人の友達と一年ぶりに会った。私がInstagramにとあるストーリーズを投稿していたら彼女が2月末に旅行でヨーロッパ周遊する予定で、ルーヴェンにも行くから良かったら会わないかとメッセージをくれて、とんとん拍子に会うことが決まった。

彼女と私はお互いに読書が好きで、彼女は今回来るに当たって私に文庫本を3冊も持ってきてくれた。ベルギーに来て4年、あれほど活字を読み漁っていた私は一体どこへ消えたのかと思うほど本を読まなくなり(厳密に言うと論文や課題のために活字を読んではいたが(しかも9割英語)、いわゆる娯楽としての読書からは、ほぼ完全に離れていた)、活字を欲する禁断症状がそろそろ出始めていた私にとって、彼女が神様に見えた。本当にありがとう……。
久しぶりに見る紀伊國屋書店の紙袋に、ずっと感動するわ興奮するわで情緒が大変だった。笑

右2冊は私が事前にリクエストした本、左の1冊は友人チョイスの本。とても読むのが楽しみ。


さて、プロローグがとても長くなってしまったが。
彼女が持ってきてくれたうちの一冊、『隣人の愛を知れ』。同じ尾形真理子さんの作品で『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』という小説が私は大好きなのだが、この本と辻村深月さんの『盲目的な恋と友情』という小説とのエピソードをふと思い出したので、せっかくならnoteに書いてしまおうと思い、綴ってみることにした。

『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』(以下「試着室」)と『盲目的な恋と友情』はどちらも私がまだ日本に住んでいた頃に刊行されていて、本屋で見かけるたびにそのタイトルと文庫本の装丁に惹かれていたのだが、なぜか結局買わずじまい、読まずじまいのままだった。2年前日本に一時帰国した時、今回こそは買ってベルギーに連れて帰ろう!ということでついに購入し、ベルギーに持ち帰ってきたのだが。「試着室」を甘酸っぱいなんとも言えない気持ちで読み進め、エピローグの章を読んでいた時だった。

『今朝、カナメ宛にベルギーのアントワープから小包で洋服が届いていた。〔…〕カナメの恋人は、アントワープにあるメゾンでパタンナーをしている。ファッションの権威である王立芸術院があるこの地は、毎年たくさんのデザイナーを輩出していて、ニューヨークやパリ、ロンドンと並んで一流のメゾンが多くあった。』

『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』エピローグより

この一節を読んだ時の衝撃は今でも忘れることはない。
私は思わずこの本の発行年を確認した。2010年だった。店頭に並んでいれば必ず気にはなっていたし、ちょっと立ち読みもしたことはあったが、せいぜいプロローグと第一章の頭の部分だけだったので、最後にこんな展開が待ち受けているともつゆ知らず。服飾で有名なパリとかミラノとかではなく、まさかのアントワープ!!あまりにもピンポイントすぎないか。ベルギーなんて、日本じゃせいぜいチョコとワッフルとビールぐらいでしか知られてないのに。(あれ、これってちょっとディスってる?笑)
当時はびっくりしたと同時に、どうして自分がずっとこの本に惹かれていたのか、その理由がちょっとわかった気がした。

そして、「試着室」ほどの衝撃はなかったのだが、その後『盲目的な恋と友情』を読み進めていると、またしてもデジャヴかと思う出来事に私は遭遇したのである。

『師事している指揮者の手伝いで、ベルギーのオケの公演に随行するため、来年には日本にいないであろうことを匂わせながら、アマチュアの学生たちに、遠く、厳しい、夢見るようなプロの世界の話を聞かせる。〔…〕彼が現在師事している指揮者が活動の拠点をベルギーに移しているとかで、茂実は海外と日本とを慌ただしく行き来していた。』

『盲目的な恋と友情』恋 より

なんでベルギー!?!?普通そこはドイツとかじゃないの???
これが私の最初の感想。え、もしかして茂実の師事してる指揮者って某ブリュッセルのオケのO野さんだったりする???とか割と本気で思った。
作家さんがどのような意図を持ってベルギーをチョイスしたのかは知る由もないが(なんなら適当に選んだ可能性の方が高い)、ドイツでもなく、フランスでもなく、音楽の都・ウィーンでもなく、ベルギー。ただただチョコレートとワッフルとビールとムール貝とフリッツが美味しい国、ベルギー。

ちなみに、この本が刊行されたのは2014年。文庫本化は2017年。私が初めてベルギーに行ったのは2019年の3月。つまり、初めてベルギーを訪れる前から、私はベルギーに呼ばれていたんじゃないかと思ってしまうほど、この2冊を読んだことによってベルギーに運命を感じてしまったわけである。嘘だと思われそうだが、本当に2022年の一時帰国で文庫本を買うまで、一度もこれらの本を読了したことがないのである。それでも、刊行当初からなぜかずっと惹かれていた2冊。我ながらこの2冊をピンポイントで引き当てた(?)自分の直観力というか、何か「これだ!!」と呼ばれている感覚の鋭さみたいなものに自分自身、とても驚かされる。

そういえば、アンリ・ヴュータンというベルギー出身の作曲家がいるのだが、私はどういうわけか、小学校高学年〜中学生の間、彼の作品を弾く(勉強する)ことがなぜか異様に多かった。コンクールの課題曲が彼の作品になったり、そうでなくても先生から「次これね」と渡される曲がそうだったり。同じ門下生の中にはヴュータンのヴァイオリン協奏曲なんて一曲も弾いた事ないよー、という人もいたのに(大体何か一曲は勉強しているみたいだけど、実際やってる人の間でも知名度はあまり高くない)。

こういう出来事が、今となって思い出されては、やっぱり私はベルギーに呼ばれていたんだと思わざるを得ない。そして私はベルギーに来られて、とても幸せだなと感じている。22年の人生の中で、特にこの4年間は最高に幸せである。そして、日本に居た頃よりも、自分のことを肯定できて自分のことを好きだなと感じられるようになった。やはり神様は、その人に似合う場所、行くべき場所に辿り着けるように、あの手この手で導いているのだろう。しかし、それをキャッチできる器がないと、そこにはいけないんだろうなあ、とも思ったり。友人に本をもらったことで、人ってこんなに色々な記憶を思い出せるものなのね……。

最後に余談だが、『盲目的な恋と友情』を読むと、あー、やっぱり指揮者ってクズ多いんだな…….と思ってしまった(指揮者全員がそうではないということをここでは声を大にして念の為書いておく。)
のだめカンタービレの千秋先輩みたいなパーフェクト人間はこの世に存在しない、ということを皆様お忘れなく……。



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