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肉体の生か、精神の死か

一昨日あたりから、新しい薬を飲んでいる。
夜は眠れるようになり、鬱屈とした気持ちは晴れたため、この薬を非常に気に入ってはいるが、我が身から剥がれた垢すら羨ましいほど、自らの大切なものまで失った気持ちで一杯である。
抗精神薬は、考えすぎてしまう頭をとてもクリーンにしてくれるが、クリーンになりすぎて、時たま自らすら失う感覚に覆われている。
ホワイトスペース、とは良く言ったものだ。
自らを失ってまで、肉体が生きることを望んでいることは生きていると言えるのだろうか?
それとも、心身ともに疲弊してもなお、この身に宿る想いがあることが生きているんだろうか?薬に影響を与えられるたび、つくづく生きるという言葉の意味について考えてしまう。
どちらも生きていない、とも言えるし、生きている、とも言えてしまうのが厄介だ。ある意味、という前置きは必須だが。


それはそうと、先日の、
私が生きていて、私が迷わないように、母親や父親は名前を授けるのかとも考えた。もちろん、そこまで考えちゃあいないかもしれない。それでもいい、私が納得できる理由を見つけることこそが、忌まわしいものから私を楽にさせてくれるから。

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