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真の共感とは。私が共感するときに気をつけていること

「わかるよ」「あ~それ、あるある」「私も同じでさ」と共感するのって、会話コミュニケーションのひとつとしてよく言われることだけれど。

特に、SNSで唐突に出てくる「恋人と長続きする方法5選」「彼氏が今すぐに彼女を安心させるためには」「女の子が求めているものはこれだ!」的な、どこの馬の骨ともわからない輩が語る恋愛術のほぼほぼ9割ぐらいに「話に共感しよう!」というのが出てくるのだけれど(ちなみに私調べ。私のAIおすすめ機能がそうなっているのか?)。


ちょっと一石を投じることを言ってしまうと、共感ってそれほど万能でもないよなと私は思う。

だって、あなたに私のことが簡単にわかるわけないし、そもそも一体何を「わかる」のか。何が「そういうこと、あるよね」なのか。

共感されてしまったことで「……ん?」と思うこと、同時に思われることってあると思う。「……あ~別にわかってないだろうけど、共感してくれたんだな」「何をわかってくれたんだろうか……」と、相手に聞こえはしない不協和音が、共感された人の中には鳴り響いている。それが気持ち悪くて、「別にわかってほしいわけじゃないんだけどな」「わかってなさそうだから、もういいや」と静かに扉は閉じられる。ほんとうにソッと、ソッと扉は閉じられる。赤ちゃんの寝かしつけに成功した部屋の扉を閉めるときのようにソッと。沸騰したお湯の中に、ゆで卵をいれるときのようにソッと。


だから私は、共感したときはなるべく抽象化して、それにあった具体例を出すようにしている。例えば「赤ちゃんの寝かしつけに成功した部屋の扉を閉めるときのように」「沸騰したお湯の中に、ゆで卵をいれるときのように」みたいな。

先日、友達が焼肉屋のサイドメニューが美味しいよね、と言った。彼女は「正直肉よりも冷麺が好きだし、ビビンバとか、クッパとかのほうが好きなんだよね。できることならそういうサイドメニューをたくさん食べたい」と言っていた。ああ、それわかるな、と思った私は「わかる」と言って、そのあとに「お寿司屋さんも、お味噌汁とか、実はいい茶葉を使っているからお茶が美味しかったり、ガリが美味しかったり、お寿司の他に、そういうのをもっと食べたいって思うことある」と言った。彼女は嬉しそうに「それそれー!」と言ってくれて、私も嬉しくて。

もちろんこれはうまくいったわかりやすい例だけど、その人言いたい気持ちにも「こんな感じだよね」と近そうな具体例を出して伝えるし、似たような状況を具体例として伝えて「わかる」を言うようにしている。

「わかる」って、「わかる」と言うだけだとたぶんわかってない。自分の中でどんなふうに「わかった」のか。それを言えてこそ、真の共感があるのではないかと私は思う。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。