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もう聞けないと思った音楽。もう見れないと思った映画

私は中学生のころから邦楽ロックが好きで、バンドマンが大好きだった。肩ひもを最大限伸ばして、膝のあたりで弾いているベースマンに夢中になっていた。前髪は重ためのマッシュが好みだったし、黒いスキニーを履いている人が私にとっての正義だった。売れてないのに、世界平和を願う歌が好きだった。

ただ、「好き」だけでは、私の想いは届かなかったことだってある。好きになって何度もライブに通ったバンドのいくつかは解散してしまったし、グッズのTシャツにサインを書いてもらった好きな人たちの音楽はもう鳴らなかった。

YouTubeや音楽サイトで知ったときにはすでに解散をしていたバンドだって、活動休止をしていたバンドだってあった。かろうじてある楽曲を擦り切れるぐらい聞いて、聞いて、そして、もうこれ以上ここに音楽が増える可能性がないことに落胆した。

私はライブに行くことも好きだったから、好きだと思った音楽を生で聞けないことは、私をぎりぎりと切ない気持ちにさせた。聞きたい、だけど聞けない。それは、手を伸ばしても届かない星に似ていた。光っていることがわかる、そこにあることだって見える。だけど触れない。聞けない。切なかった。

解散や活動休止でなかったとしても、曲数が多いバンドは、ライブでかつての曲を生ですることはなかった。ライブの時間は限られているし、来てくれているお客さんのためには知っている曲や盛り上がる曲で喜んでほしいというバンドマンたちの気持ちもわからなくなった。でも、私はデビューした当初の、カップリング曲を聞きたかった。……そんな願いはほとんどの場合、叶うことはないのだけど。

でもだからこそ、ふと彼らは思い出したかのように昔の曲をしてくれることがあった。それは私の中に深く深く染みこみ、「ああ、生だとこんな音なんだ」と頭蓋骨に響いた。


とまあ、なんでこんなことを思い出したのかというと、夏、15周年を記念して映画「サマーウォーズ」が2週間限定で全国公開するというニュースを見たからだった。

そうか、映画なんてもっとそうだよなと思ったのだった。上映期間はだいたい決まっていて、ふかふかの椅子、大音量、大画面で見たいと思ったとしても、もう見ることは叶わない。DVDになるか、動画配信サブスクで見るかになってしまう。

サマーウォーズ、見に行きたいな。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。