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Z世代の藤井風に中高年が心酔する理由

 藤井風のYouTubeやSNSのコメント欄には「この年で、こんな詞が書けるなんてすごい!」「若いのに人生何周目ですか?」という類の称賛をよく見かける。

 デビューアルバムのタイトルからして「HELP EVER HURT NEVER」とサイババの教えを引用しており、収録曲も「ハイヤーセルフ(何なんw)」「足るを知る(特にない)」「執着からの開放(もうええわ)」「幸せに死ぬためにどう生きるか(帰ろう)」などスピリチャルなコンセプト満載である。

 私は彼のファンである。ただ、「この年で〜」「若いのに〜」と思ったことは一度もない。何故ならば、、、、

彼の詞は若いからこそ書けるものだと思うからだ。

 もちろん若けりゃ誰でも書けるわけではない。幼少期から家族の愛情を一身に受けて育ち、上京前日に大泣きするほど故郷の人達からも愛されてきた青年。恐らく自分を嫌ったり、人を憎むことなどとは無縁だったであろう。インタビューで「怒り方がわからない」と語るほどに。

 誤解を恐れずに言えば、スピリチュアルワールドを信じ込み、自分の言葉として真っ直ぐに世に送り出せてしまうことに一抹の危うささえ感じてしまう。それほどにイノセントじゃなければ、あんな詞は書けないだろう。

彼特有のバックグラウンドのみならず、
世代論の視点からも見てみよう。

 2020年時点で24歳以下の若者は米国マーケティング論では「Z世代」と呼ばれている。この世代の最大の特性として、デジタルネイティブであること、禁欲的、健康志向、環境や社会貢献意識が高いなどが挙げられる。日本では「さとり世代」(*年代に諸説あり)とも言われ、ギラギラした「欲」がない。リーマンショック、景気後退、リストラ、、、。それ以前の浮かれた時代を遠目に、達観を余儀なくされた世代ともいえる。

藤井風はまさにこのZ世代に当たる。

 24時間闘う上昇志向と分不相応な欲望に彩られたバブル期や、その後に訪れた真っ暗な就職氷河期。この頃に青春を過ごした現在40代後半から50代の中高年層からみると、Z世代の価値観はなんと眩しく正しく新鮮に映ることか。

 社会の荒波に揉まれ、妥協や嘘がこびり付き、辛酸を舐め疲れた大人たちが、彼の音楽に癒され心洗われている。

 「帰ろう」のMVでは彼を天使に見立て白い羽が舞い上がる。また、歌詞中の仏教的なフレーズの数々に、仏だ菩薩だと言うコメントも散見する。しかし、私は彼にこのイメージが定着し神格化されることを危惧している。

藤井風は天使でも仏でもない。

もがき続ける生身の人間なのだ。

 有名になればアンチも湧き出し、金の匂いに群がる者も増える。商業的に自由な表現が制限されることも、心の平穏が脅かされるコトもあるだろう。そんな時、親戚の子を見守るように応援している中高年ファンは、「神様、力をちょうだい」と歌う彼を守ってあげたくなるに違いない。懸命にもがくいたいけな心は大人たちの保護本能を刺激してやまないのだ。

 また、昭和な面影を宿すルックスも中高年のノスタルジーを呼び覚ます。時に無邪気な表情に絆され、時に高い音楽性に唸り、時に往年のスター並みのオーラに悩殺され、爽やかな風に吹かれる幸福に酔う。

 彼も大人になっていく。突風や強風に翻弄されながら。

 野菜ばっか食おうがカルシウムが足りてようが腹の立つことは増えるだろう。
傷や汚れ、苦しみを避けていくのか?闘っていくのか?あるいは受け入れていくのか?

いずれにせよ、類稀なる才能で素晴らしい音楽へと昇華してくれると信じ、可愛い甥っ子の成長を見守りたいと、多くの中高年ファンが微笑んでいることだろう。


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