見出し画像

世の法治主義者の奴らは、一人残らず全員「スピ系」だぜ!

noteを開設したものの、現状、どうせ誰も認識出来ないだろうから、今んとこ説明する気もやる気も起きないんだが、2月に副島隆彦の学問道場の重たい掲示板にカキコしたので、それをのせとく。

人の子よ、あなたは「反逆の家(国家)」の中にいる。彼らは見る目があるが見ず、聞く耳があるが聞かず、彼らは「反逆の家」である。


「自分だけを信じて生きる スピリチュアリズムの元祖エマーソンに学ぶ」を読み、重要な気付きを得たので、書き込みます。

重要な気付きとは、この世は物質と霊魂で出来ており、「霊魂とは思考である」という事。そして、私見では、法律とは、スピリチュアルである。なぜなら、法律学を構成する用語や価値観、国家や社会や権利や義務や責任、平和や福祉や国際貢献、契約やコンプライアンスやポリティカルコレクトネスは、全て思考により出てきたものであり、質量が無い。物質ではない。よって「スピリチュアル」である。

世の法治主義者は誰一人としてスピリチュアルをバカには出来ない。お前らこそガチガチのスピ系じゃ!

対義と類義を並べてみよう。spiritualの対義はphysical。潜象に対しての現象。唯物に対しての唯識。空に対しての色。そして法律は「世の中の設計書」であるからして、物理的に空即是色を起こす。思考が現実化する。間違い(罪)は確実に輪廻転生を起こす。

ところで、思ってる事と言ってる事とやってる事をバラバラにして世の中の設計をやったら、どうなるのだろうか?現に、法案を書いているのは「出世したい」官僚であり、それを通しているのは「票が欲しい」代議士である。政官財学、与えられた知識のフィールドで、受験競争、出世競争、経済競争、口達者で秀でた秀才エリートどもが、「社会という偶像」の中で、ヨロシクやって、綺麗事を掲げ、下心(カネ、票、出世、性欲)に基づいて法律を制定し、結果として、下心が現実化しているのが現実だ。私が考えるに、法治主義(律法主義)で新たな法を公布するとは、どこぞの福音書にあるように、書いた法案の内容と違う事(出世したい、収入を得たい、自分の地位を守りたい)と、「思うだけ」で、「姦淫をやったのと同じ」である。起こることは、色即是空、空即是色。これは、マグダラのマリアが気付いた、究極の呪い(のろい)の呪文である。意味が解らん奴はとりあえずありがたがって唱えとけ!が、般若心経。

今の現実を見ると、グローバリスト・秀才エリート達は、受験競争、出世競争、経済競争。そこで行き詰った処で、新手の「ご破算願います」手法に飛びついた。私に言わせれば、秀才エリート達の、ジンルイの叡智とやらは、究極に間違えたと見る。カネ出世黒字経営に飛びつき、病気を怖がらせ、訳の解らない汁を注ぎ込む姦淫に耽った上に、国際政治では、負け組にオールイン。私に言わせれば、見せかけ違うだけで、戦前と同じことを繰り返している。

私には歴史上の政治的謀略というものには目的性が見えるのだけれど、前の戦争では帝国を壊し、国民国家を創設した。今回のは、国民国家が行き過ぎた福祉国家になったので、壊すのだ。歴史を通し、主権には、余計な生臭坊主どもがつきまとう。それこそが余剰である。

「主なる神のものだ」と言って税をかすめ取るのと、「主権者の福祉の為だ」と言って税をかすめ取るのと、何の違いがあるだろうか?

しかし「信じさせる側」だけに問題があるのではない。大多数の、主権者でありながら、肩書立派そうなもんを「信じて従う」ことこそが、原罪である。そもそも主権は、「主なる神」のものであったものを、王様に降ろし、国民に降ろしたものである。ニッポンでは、戦前の現人神の権威を譲り受けた。私が考えるに、主権者とは、「主なる神」の意識で生きなければダメだ。肩書名声、見せかけ立派そうに取り繕った偶像を「信じて従う」ではダメなのである。ところで日本の法体系は面白いことになっていて、諸悪の根源は、憲法の中の「論理的に無効な条文」に書いてある。「勤労の義務」「納税の義務」「教育の義務」という、「かえるのような」土下座姿勢の、「3つの汚れた霊」である。(これについてはここでは論証しない)

法学とは、ミシマの終活論文四部作のように、問題の「原因」を取り除く根本治療、「空を悟る」の追求でなければならない。罪あるものは生まれ変わり、罪なき清浄なるものは生まれ変わらない。今の文明は、始めの一歩の邪悪な蛇ペテロ(と偽預言者パウロ)が、下心で嘘を吐いたことから始まった。(この事の論証についてはここでは書かない)多数決で始まった文明は、騙されたことへの恨みによる、多数決で閉じるだろう。私は成り行きを眺めている。

「そうしてあなたがたは、私が主であることを知るようになる」である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?