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俳句鑑賞

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句集に収められている俳句、俳句誌の俳句などを紫乃らしく鑑賞。
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記事一覧

俳句の鑑賞《52》

季語:白靴(三夏・生活) 靴を新しくするとき、人はささやかな幸せ、を感じることが多いように思います。通学靴であっても、通勤靴であっても、気づくと自分の口角が上がっていたり、自然と背筋が伸びて、真っ直ぐに前を見て歩いていたり。 白靴は、恐らく真っ白なスニーカーでしょう。おろしたてのスニーカーを履いて作者が向かうのは、海。もしかしたら、心を寄せている人とのデートかもしれませんし、もしかしたら、一人気楽に、その日を愉しむのかもしれません。 爽やかな青春の一コマであります。心が

俳句の鑑賞《51》

季語:春寒(初春・時候) 「春寒」という季語、「はるさむ」と読むか、「しゅんかん」と読むかで雰囲気がかなり変わります。(時候の季語にはありがちです) 作者は、どちらで詠んだのか、を考えたのですが、勢いのある「とびつく」の措辞から、「しゅんかんのあめがとびつくめがねかな」と読もうと私は決めました。 私自身は、視力が良い人生を送って来たので、外での眼鏡の経験がありません。(現在、老眼鏡は使用)ですが、いつも眼鏡をかけている夫の眼鏡が、たまに、まさに雨の飛沫で大変なことになっ

俳句の鑑賞㊿

季語:石蕗の花(初冬・植物) 蕗の葉のような葉をもつ、石蕗の花は、山道、街路、庭先、色々な場所で見かけることのできる、菊に似た鮮やかな黄色の花。 この花に黒い蠅がとまれば、さぞかし目立つだろうなあと思います。 冬の季節になり、あまり元気のない蠅がひと休みしたのは、真っ黄色な石蕗の花の上。夕暮れ時にそれを見つけた作者には、石蕗の花のシミ、或いは、ブローチのように見えたのかもしれません。 石蕗の花の一部となっている蠅に、可笑しみと少しの哀しみを感じます。 季語:水仙(晩冬

俳句の鑑賞㊾

季語:秋晴(三秋・天文) 清らかな水面や、水の中にただよう藻はとても美しく、それを静かに見つめているだけで、心が整うように思える私です。 秋晴のもと、清流の中の藻の景が、目の前に広がります。「水にしたがふ藻のゆらぎ」、とても心地の良い音です。濁音も効いていて、たまに、流れが急になるときもあるのだろうな、と思えます。 水の流れにしたがう藻、育った長い藻、まだ生まれたばかりのような小さい藻、それぞれが楽しそうでもあります。 季語:小鳥来る(晩秋・動物) 一句目は、流れる水

俳句の鑑賞㊽

季語:九月(仲秋・時候) 神社やお寺でしょうか、それとも、街中の歩道でしょうか。几帳面に道を箒で掃いている人がいます。そして、その道の上には、木の幹、枝、葉の影などがちらちらと映っています。 そして、まるでそれらの「影」を掃いているか、のように感じた作者。とても詩的な観点であります。 九月という季節、多くの木の葉は、まだ青々としていますが、桜の葉などは少しずつ落ち始めます。 残暑もありますが、秋の訪れを徐々に感じることができる、そんな時期。日々を「ていねいに」過ごしている

「宇佐美魚目の百句」を読む。

「宇佐美魚目の百句」より、好きな句、気になる句、二十五句選。      ・・・・・ 山口昭男句集「木簡」を読んだ後、「シリーズ自句自解Ⅱベスト100 山口昭男」を読み、自分なりに思うこと・考えることがあったので、南風・村上主宰に教えていただいた、宇佐美魚目氏の句を読んでみることに。 句集はすぐに手に入らなそうだったので、取り敢えず、図書館から今回の本を借りてきました。 印象としては、作為がないというか、見えないというか、とても自然な作りの句が多く、なかでも、『秋収冬蔵

「南風・五月号」を読む。

「南風・四月号」より、好きな句、気になる句。 (句順は掲載順、*=特に好きな句) 村上主宰「澎湃」十句より 津川顧問「春の風」十句より 「雪月集」より(敬称略) 「風花集」より(敬省略) 「南風集」より(敬省略) 「摘星集・兼題、新茶」から      ・・・・・ 卯月紫乃 載せていただいた句 「南風集」 嘶くや寒九の水の満つる桶 磨ぎ汁の真白を庭へ春来る 接木せし鉢一列に並べけり 空耳の懐かしきこゑ春の風 「摘星集・新茶」 いつぷくの庭師へ新茶まろき盆

俳句の鑑賞㊼

季語:蛍火(仲夏・動物) 暗闇に浮かぶ蛍火を見ている作者。人気のない、静かな夜なのでしょう。 蛍火と、自分だけの世界の中、ふと、草の囁きが耳に入ります。やがて、その草を揺らした風は、作者の元にも届いたのでしょう。 もしかしたら、蛍もその風に乗って、それまでとは違った動きになったのかもしれません。 蛍火と、草の囁きと、吹き始めた風と、作者との静かな時間であります。 季語:未草(晩夏・植物) 深緑の木々に囲まれた池、或いは、湖に、さざなみが立ちます。水面に映り込んだ森のい

俳句の鑑賞㊻

季語:花明り(晩春・植物) 花明り、という季語、とても美しいと思っています。桜の花、とくに満開のソメイヨシノは、まるで雪明りのように白く浮立ち、夜になってもその存在感は際立ちます。 そのような特別感のある花明りの下においても、そこに転がっている石ころは、「常の貌」をしていると感じる作者。恐らく、いつも通っている道の、いつも視界に入っている石ころなのでしょう。 この冷静な眼と、「貌」との表現から、特別に美しい花明りの季節にあってでも、自分自身をしっかりと省みている作者を感じ

俳句の鑑賞㊺

季語:梨(三夏・植物) 仕事からの帰り道、店先に並んでいた梨を買ったのかもしれませんし、故郷から送られた梨かもしれません。 何れにせよ、作者は梨がとても好きなのだと思います。 一人静かに、丁寧に、皮を剥いている包丁と、梨の汁にまみれた手が見えます。そして、梨のなんと美味しそうなこと。 同時に、なんとも言えぬ、淋しさも漂います。 現在は、俳人の奥様と、元気いっぱいの息子さん、愛くるしいお嬢さんに囲まれた村上主宰。きっと、賑やかに梨を召し上がっていることでしょう。 季語:良

俳句の鑑賞㊹

季語:日盛り(晩夏・天文) 夏真っ盛りの最も日差しの強い時間帯、「ぴし」と音をたてて地面を打ったのは、鳥の糞。 余りの暑さに身体も気持ちもだらりとしている中、その音と、真新しい糞に驚いて、一瞬、暑さを忘れるように思えます。自分に落ちてこなくてよかった、な気持ちも。 共感を得る読み手も多いのではないでしょうか。 あまり美しくはない景を、品よく収める、が際立っていると思います。 季語:冷やか(仲秋・時候) 白波、陸側から見ると、確かに沖をふりむくことはありません。この目線に

「南風・四月号」を読む。

「南風・四月号」より、好きな句、気になる句。 (句順は掲載順、*=特に好きな句) 村上主宰「道の果」十句より 津川顧問「小舟」十句より 「雪月集」より(敬称略) 「風花集」より(敬省略) 「南風集」より(敬省略) 「摘星集・兼題、桜貝」から        ・・・・・ 卯月紫乃 載せていただいた句 「南風集」 裸木の雪蹴散らして鳥遊ぶ 雑煮椀ミニカー横に並びをり どよめきの渦つぎつぎとどんど焼 すみれ縫ふ糸を選びて日脚伸ぶ 「摘星集・桜貝」 引き波の泡より

俳句の鑑賞㊸

季語:梅雨に入る(仲夏・時候) 「遅日の岸」では、時折、「握る手」や「拳」の景の句が登場いたします。 ポケットのなかに握る手鳥渡る 団栗の青きが握り拳の芯 これらの両句に比べると、吊革を握る拳は、大人びた拳、のように私には思えます。 そして、敢えて「しづかな」と形容していることで、逆に、しっかりとした信念を心に秘めている、ようにも。 梅雨に入った日の朝の景、しづかな闘志をもって会社に向かう姿の作者が見えます。 季語:梅雨明け(晩夏・時候) 人ごゑに揺れ、と連用形で

俳句の鑑賞㊷

季語:寒林(三冬・植物) 逃げどころなし、と言い放たれた始まりに、読み手は「何?何処?」と疑問に思い、直後、それは、光りに充ちている寒林、であると知ります。 葉をすっかり落とした裸木ばかりの「寒林」。夏であれば、葉葉に日光を遮られる、暑さを凌げる涼し気な場所でありましょうが、冬には、燦々と日の光が注ぎ、正に光の充ちる、暖かな空間であります。足元に広がる落葉たちも光輝いていることでしょう。 その様子を、「逃げどころなし」と表現することで、圧倒的な光に読者は包まれます。 倒置