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【小説】ごちそうさまでした!

 残酷なまでに過ぎていく時間も、いつまでも変わらない自分のこの泥のような醜い姿も、 そんな俺を嘲笑うかのように、美しく、雄大に咲き誇る桃色の世界も、全て、全て、大嫌い で仕方なかった。


 … ああ、大嫌いで仕方ないはずなのに、地面が桃色に染まるこの時期はい つもこの場所に来てしまうのだ。

 楽し気に笑い、会話を楽しみながら次々と食べ物を口に運ぶ、能天気で幸せそうな人間達。 同じくらいの大きさの人間同士で来ている人間達もいれば、小さな人間を連れた大きな人間もいる。視界いっぱいに存在する全ての人間は皆笑顔を浮かべていた。 それに対して、俺は……。

 俺は歓喜の声をあげる人間達から目を逸らすように地面へと目を向ける。どろどろに溶け、黒ずんだ体から視線を落とせば、しばらくぶりに通った道だからか、やっとの思いで芽 を出したであろう雑草があった。しかし、すでにその草が持っていたはずの鮮やかな緑はその美しい彩を失い、黒く濁った土の上へ力なく項垂れていた。

 俺の体は自然の生命力を吸い取る。俺が通れば草花も木々も大地も、その全ては枯れ果ててしまう。何故か、なんて分からない。だって、生まれた時からそうだったから。だからきっと、あの桃色の花が咲き誇る木々だって、俺の体が少しでも一瞬でも触れてしまえば、花 びらから根の先まですっかり枯れてしまう。近づくだけで周りの大地は枯れてしまうから、木自体は無事だったとしても、この先あの木々が恨めしいほどに美しい花を咲かせること はできなくなる。


 ……もういっそのこと、この辺り一帯を枯らしてしまえば、いつも俺を苦しめるあの人間達の笑顔を見ることもなくなるだろうか。いや、そもそもここに人間達が来ることもなくな って、暗い地面の中でただ一人、静かに眠り続けられるようになるだろうか。


 その時、ずっと隠れていたせいで半分以上黒く変色してしまった植木がガサガサと揺れた。明らかに、俺以外の要因で。

 俺は思わず後ずさりする。しかし、ひょっこりと現れた「それ」と俺の視線が交わる方が先だった。

「それ」は小さな、…人間だった。


「おまえ、ひとり?」


俺を見下ろし、人間は言った。白に囲まれた黒い目玉がただ真っ直ぐに俺を見る。そこに宿るのは恐れではなく、ただ純粋な興味。「俺」という、明らかに人間ではないイキモノに対する、単なる好奇心。それだけだった。

 俺はまたずるりと後ずさる。これまで、嫌悪や憎悪、それと悪趣味で邪な好奇心にさらされたことはあったけれど、俺はここまで混じり気の ない純粋な正の感情にあてられたことはなかったから。 人間の言葉は喋れない。
 俺が人間をじっと見つめ返していれば、その小さな人間はこてん と首を傾げた。


「へんなの。」


 小さな人間はそう言うとぱっと立ち上がり、俺に興味を無くしたのか、どこかへと走り去っていってしまった。

 俺はほっと胸をなでおろす。あれくらいの小さな人間は一人でこんなところにはこない。大体大きな人間と一緒に来るものだ。大きな人間は俺に対して大概攻撃的だ。どうせあの小さな人間も大きな人間を呼びにいったのだろう。ならば先程の小さな人間が大きな人間を連れてくる前にこの場を離れよう。逃げられずとも身を隠す時間くらいはあるだろうから。

 そう決断するまでにそれほど長い時間は必要なかった。俺は桃色の空き地に背を向けて濁った地面を這いずって棲み処に帰ろうとした。


 刹那、ばたばたっと足音がして背後に大きな気配を感じる。俺は思わず、ばっ、と振り向いた。


「あ、まだいた!」


 たんぽぽが咲くような弾けた幼い声。そこにはさっきの小さな人間がいた。さっきと違うのは、その手に丸いナニカが三つ刺された、とげのようなものを持っているということ。
 小さな人間は俺の姿を捉えると、にぱ、と笑い、しゃがみこんだ。


「おまえ、ひとりなんだろ?ならこれ、やるよ!すっごくうまいんだぞ!」


 そう言って、小さな人間は俺に持っていたとげを突き出してくる。近くでよくよく見てみれば、そのとげに刺さっていたのはこの時期になるとよく木の下で布を敷いて人間達が食べていた菓子のようだった。

 人間達はニコニコと楽しそうに頬張っていたが、でも、もしかしたら、これは俺を殺す毒かもしれない。

 警戒してぴくりとも動かない俺のことを不思議そう に眺めていた小さな人間は、どういう真似か、もう片方の手に持っていた同じ見目の菓子をぱくりと食べる。そしてもぐもぐと口を動かしながら言った。


「食べねーの?もしかして、団子嫌い?でも、母さんがよく言ってるぞ、食わずぎらいはだめだ、って!」


 クワズギライ… が何かは分からないけど、正直に言えば少し腹が減っていることも事実で。木の実は食べる前に枯れてしまうし、そもそも俺の体を動かすのは吸い取った自然の生命力だ。だが、冬がようやく終わって腹ペコのままここに来てしまったからしっかりエネルギーが取れていない。棲み処からここに来るまでに得られる栄養なんて微々たるものだ。
 それに… 死ねるなら、本望だから。

 俺は思い切ってとげにかぶりついた。どんなに鋭く光るとげも俺の体に触れれば溶けるか腐る。だから、思いっきり。

 丸い菓子を体に含めば、一瞬だけころん、と体の中で菓子が転がって、じゅわりとそれは溶けていった。まともに味を感じることなんてできない。むしろ自然の生命力の方がまだ食べた気分になれる。

 でも、俺はその一瞬だけ体内に広がった 感じたことのない「味」が、どうしてか、もっと、もっと欲しいと思った。


 ぱくり、ぱくり、がぶり。


「… イタっ!おいこら、おれの手ごと食べる気か?あはは、じゃあ、お前にぜんぶやるよ!」


がぶり、がぶり、ぱくん。


 既に溶けているはずの体が思わずとろけてしまいそうなほどにまろやかな甘み。ああ、うまい。うまい。うまいな。
ニンゲンはこんなに甘いものを独り占めしていたなんて!




「雄介ー!そんなところでしゃがみこんで何やってるのー?もう帰るわよー!」
「お母さん!あのねあのね、俺、変なのにあったの!ソイツにお菓子食べさせたらすっげぇ喜んでくれたんだ!」
「コラ!あんまりむやみに動物に食べ物あげちゃいけませんよ!全くもう…」

「えへへ、ごめんなさい!」




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