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難解な、ではなく、緻密に様々な色と線とを重ねた美しい浮世絵を味わうような楽しさー『太平洋序曲』で叶ったソンドハイム作品との幸せな出会い (山本/海宝/ウエンツ回)

前書き

 登場人物の心情の描かれ方や脚本に張り巡らされた伏線の回収、物語自体への没入感を楽しむのと同じかそれ以上に、劇場には「演劇だからこそ」を味わえる演出や表現、「こんな発想/切り口があったとは!!」とそのひらめきに膝打つ瞬間を探しに行くのだけど、今回は後者に関する満足度がとてつもなく高かった。

 ソンドハイム氏の曲を「劇場で、お芝居の中で」経験するのが初めてだったのもあり、敢えてできるだけ作品自体に関する予習を最低限にして、劇場での第一印象がどうなるのか、帰り道に自分の心にどんな旋律が果たして残るのかを試してみたく、ナンバーも予め聞くのを禁じ、下記の前情報だけを携え着席:
・黒船来航時の幕末から明治にかけてを海外目線から描いた作品
・ソンドハイムもの=とてつもない難曲揃いで、「事故るとそれはもう大惨事」だが、「顔ぶれ的に本来のスコアで聴けるはず」らしい
・曲げわっぱ/浦島/ニーリー ()( ネタバレ予防を意識しつつTwitterを薄目で見ていた際、繰り返し出てきたキーワード。確かに~って実際なった/笑)。
・他に、演者の方々がお稽古期間中かなり学んでいらしたという情報に触発されて、前提知識として少し補強しておこうと図書館で武士道関連の本を幾つか(『なぜ武士は腹を切るのか』はじめ、山本博文先生のを1,2冊…全部読めずに期限が来てしまってどばーーっと流し読みなところ多かったけど/涙)。

 今回書くにあたってお供にするのは、進行や歌詞がどんなだったかを思い出す手がかりにするための”allmusicals.com (https://www.allmusicals.com/p/pacificovertures.htm)”、公式プログラム、幕末作品を見るときに手元にあると楽しい巻物的図鑑『幕末クロノジー』(木村幸比古監修/http://www.reki-c.com/shop_b_chronology.html)の三点。
Apple MusicにあるBroadway版のアルバムやTwitter/ふせったーの分析&感想/review群は一旦自分のこれを書き終えてから解禁することにして、余韻を頼りに観劇後の湯気が立つような感想をなんとか残すべく悪戦苦闘。
回想する場面の順番が実際と違っている可能性はいつもながら大いにあるのだけど、一旦up。とにかく消えないうちに書きたい。

今回もネタバレしています

 話の核心に触れるだけじゃなく、演出のここが刺さった!!ツボった!!をミーハーに書いています。考察は無いです。

観終わっての第一印象

 美しく緻密な浮世絵(版画)みたいな作品だ!!!!!!私こういうの大好きだああああ!!!!!となり、恐れていた「芝居の中でのソンドハイム…難解…ちょっと残念ながらすまんNFM(not for me)」となるどころか、おそらく出逢い方としては私にとっては最高の経験になった。
 繊細な描き込みも、淡い・渋い・柔らかい色味とグラデーションも全てきちんと調和していながら、一切の「にじみ」("予定外の"不協和音)や「ズレ」(本来の音や角度を外す残念さ)が無く、「言語化しきれない、けど、確かなイメージ・場面を相手に伝えるために注ぎ込まれた膨大な技術があまりにもさりげなく潜んでいる、凄腕たちによる共同作業」だった。

 浮世絵は、ぱっと見、様々な太さの筆で思いのままに一人の絵師が描いて塗った「絵」のように見えるけれど、実際には「絵師」「彫師」「摺師」と分業されていて、しかも色毎に版画の元となる板は分かれていると知った時の興奮、つくられる過程で、だんだんと絵が立ち上がってくるのを見る際の楽しさととても近い、しびれる感覚があった。
軸になる旋律(線画)だけでは捉えきれなかったところに、数小節ごとに新しい様々なパート(色)が少しずつ加わっていき、擦り方(歌い方)でグラデーションが美しく広がっていき、それこそ江戸時代に流行った様々なねず色も含む中間色/渋い色(名前はわからないけど確かにそこにある焦りや苦しみ、葛藤、ぶつかり合いなどが生む感情)が次々に目の前に立ち現れていき、時間の流れとともにゆっくり各シーンごとが完成していくような。
 一言でも聴き漏らしたら置いてけぼりを食らう、あの伏線をここで回収!!といった物語面でのスリルや疾走感を楽しむ作品とは違うけれど、なんて贅沢な時間と空間と演者の使い方だろう…とっても楽しい……叶うものなら毎年一回くらいこういった作品に出逢いたい……!!!と噛み締める帰り道だった。

 ここからは場面毎/曲毎の感想。複数回観て感じ方の変遷を楽しむというのが今回は状況的に実現できなかったので、すべて初見にしてmy楽となった3/27(月)マチネ、1階席センターブロック中央列からのもの。願わくば組み合わせ変えて8通り観たかったなぁ。。。

幕開き

 舞台セット、確かに曲げわっぱ!!!左側にぐわんと弧を描いて置いてある巨大なセットも、中央に重ねて置いてあるなだらかな山型の階段も、そして奥に月のようにまあるく大きく開けてある円もとても斬新で、威圧感や緊張感はなく、どことなくヒノキの香りを感じさせるような親しみの持てるデザイン。「あぁ私、この中を歩いて、何ならしばらく遊んでみたい!!」と童心に還らせてくれるような、とても強い魅力があった。
 途中、狂言回しの歌にも登場する(登場していたような…?)屏風に金箔が塗られていたり、宣伝美術にもあった、折り紙風の黒船を持ってアンサンブルが出たり入ったりもあって、その辺も目に楽しかったのだけど、全編通して舞台にあった円と山と曲線が一番印象的だった。

『The Advantages of Floating in the Middle of the Sea/此処は島国』

 米を食う、の強調されっぷりがとにかく印象に残り、そしてひたすらに「農耕民族系です!!!」というのも刻み込まれて(笑)、やっぱりベースとしてまずそのイメージなんだなぁ。。。と。ずっと平和でした!!!に、「いや戦国時代…」とか思いかけたけど、ちゃんと聞くと「江戸時代」の長さを歌っていて、「いや江戸時代にもちょくちょく一揆…」と再び思いかけたけど、おそらくは「いわゆる外敵からの侵略に晒されることがなかった」って意味での「平和」。

 今回やっと生で舞台を拝見できた方の一人、山本耕史さん。「体づくりに余念がない方」「とにかくなんでも出来る方らしい」「常に質が担保されてる系のいわゆる信頼できる俳優さん」というイメージはずっとあり、山本さんを観るべくこの回でチケットを取っていた(観終わった方々による、ネタバレ無しな叫びや呟きを流し読みしていると松下さんもめちゃくちゃ素敵だったらしく、あぁ組み合わせ変えて本当8通り観たかったよ…と思うのだけど、チケット取った時点では私は山本さん指定だった)。
最初の10秒で納得!!!!!!!!!(語彙……決して雑に書いてるわけじゃなく、とにかく納得、且つ、なるほどこの説得力!!!だった)。
 こういう佇まいが問われる、動きもゆっくり目な役ほど、体幹や筋肉や体の鍛え方が如実に客席に晒されるよなぁ。。。そして歌舞伎の隈取りのようにぐっとエッジの効いた目の使い方や、こってこての毒からチタンみたいな無機質までを自在に行ったり来たりする声色が、まさに私の好きなタイプの「狂言回し的役柄」で、あぁ、、、今日この回で観られて私これは安心だ、とその先への期待が高まった。

『There Is No Other Way/他に道は』

 たまてとの仲睦まじい香山(確かにいわゆる「浦島」ないでたちだった/笑)。海宝さんの、「純朴で冴えないけど優しくて正直!!」が極めて自然に出せる振り幅、好き!!!!最後まで観てから振り返ると、のちのBowler Hatでみるみる洗練されていく幅(ギャップ?)を確保する必要があるので、ここは「のどかな田舎の平凡な感」が必須なんだと分かるものの、もうそういった計算や推測が一切要らないくらい、20年来武士としての躾こそ受けてきたが、いわゆる緊張感のある世界とは無縁にのほほんと暮らしてきました、というのが全身に滲んでいて、あぁこの重ねてきた時間を一瞬で表し伝えてくださるスキル好きです!!!となる。
 たまてとのマイクオフでのやりとりも、それはそれはのどかで可愛くて、ほわほわと、ライトが無くとも、すっかりそこだけ春ののどけき陽射しを感じさせるような平和な空気が濃く集まってて、それだけに鮎が釣れた直後の不穏さは舞台上手に小さな暗雲が見えるくらいだった。。

 鮎釣りへのお咎めを受けるのかと思いきや、実際には思いもよらない大役を命ぜられ、一瞬それこそ「身にあまる光栄……!」と震えるも、よく聞くと99%無茶な内容、都合よくなにかの生贄にされてるようにしか思えないほど。
 将軍の前に召された場面、お咎めを覚悟していた香山が、大役を仰せつかり、しかしその内容に顔面蒼白になり、、、の一連の強烈なジグザグの流れが、海宝さんの、きめ細かく解像度の高いお芝居を思いっきり堪能できて楽しかった!!!!ほとんどここ香山は台詞がなくて(将軍の前だからってのもあり)、床に伏せたお顔の表情と時折見える瞳の輝き、佇まいやシルエットでしか語られないのだけど、太陽が昇った後にゆっくりと傾いていくように、喜びが漲ったかと思えば陰りが出てきて恐怖に凍りつく様子が、文字どおり手に取るようにわかって鮮やかだった。「繊細な演技」って字で書くとシンプルなんだけど、海宝さんのそれは、オペラじゃないと見えないアップの表情に頼ったものでもなく、マイクオンでのセリフありきの音に頼ったものでもなく、引きで観ても十分、そこにいるだけで感情の波が客席まで覆うように自然に伝わってくる。あぁ、これこそ、舞台役者!!!!!と何度経験しても毎回無性に誇らしくなる。

 たまてに事の次第を説明しながら、自分が放り込まれた渦の恐ろしさや、受けた命令の無茶さ、無謀さ、残酷さが、将軍の前にいた時よりいっそう具体的に沁みてきて怖がっている様子や、もはや避けられない、たまてとの今生の別れを確信して溢れる涙まで、やはり言葉はやっぱりほとんどなくて、限られた、繰り返されるフレーズ「他に道は(ない)」のみなのに、曲が進むほどに気持ちがひたひたと迫ってきて、とても苦しくて切なかった。
 このシーン、後ろの舞台セット(円)の隣に、おそらく御屋敷の使用人さんらしき役でアンサンブルの方が座っているんだけど、彼女も目にいっぱい涙をためて、主人の受けた命、奥方と主人の辛い別れをとてもしんどそうに見守っていて、あぁ、香山は家の者達にも慕われる、善い人だったんだろうなぁと思わせた。
 (ちょっと記憶が曖昧だけど)任命された後、香山は空の青さや鳥の美しさを歌っていて、あぁもう本当に「もう直ぐ死ぬんだな」と悟った人として身の回りの世界を見てるのが解って辛かった。

『Four Black Dragons/四匹の黒い竜』

 ここで、あ、これアンサンブルとかプリンシパルって線引きなくて、全員同じ比重の作品なんだ!!と気づく。
 多分この旋律が、難解な、という意味での「ソンドハイム節全開」なんだろうな、と頭の片隅でふむふむと思いつつ、漁師役の染谷洸太さん、泥棒役の村井成仁さんが、清々しいまでに「曲の難しさ」じゃなく「曲の美しさ」と「物語の中の意味での不穏な雰囲気」を直接胸に投げてくださるパフォーマンスで、純粋に「音楽に支えられた演劇を楽しむ」、という経験ができた。こういう時間大好き。。。!!!

 宣伝美術にも出ていた、折り紙みたいに作られた船を着た(履いた?)アンサンブルたちが行き来し、「とにかく、黒い、巨大な、恐ろしいものが来て、もう、阿鼻叫喚です!!!!!!!!」という印象がドーンバーンとこちらに刺さり、きっと本当に太平洋沿岸の当時の人々は天地がひっくり返ったような恐怖だったんだろうなぁ、、、と想像。

 さて将軍と老中。え、これ正弘?!え、あんなおじいちゃんなのに?!え、正弘?!というか上様これどの上様?!!!!と、なまじ中途半端に他の作品でミーハーに重ねた知識&印象が強かっただけにだいぶ混乱し、危うく上の空になりかけた。戻れるものなら観劇前の自分の肩をポンポンと叩いて「あのね、これはフィクションだからね」と念押ししてあげたい(笑)。よしながふみ先生の『大奥』にて私が憧れた阿部正弘はここにはおらず、しかも家定をはじめとする様々な上様と井伊直弼、他にもいろんな存在が、この作品では「老中」と「将軍」とにほわほわほわ〜と振り分けられ、時に渾然一体となっているのです……と。

『Poems/俳句の歌』

 事前にスッキリ!で舞台映像を見てしまってたので、「あ、ここだったのか!」と途中で気づくも、全体的には美しい旋律と微笑ましい、和やかな雰囲気で大好きだったシーン。
 そうかー、香山の体の半分はたまてへの気持ちでできてるんだなー、とにこにこ思い、アメリカへの憧れを香山相手にならのびのび語れる万次郎、楽しそうだなー、とふふふと思い、が、だんだんと、あまりにその繰り返しが強いので「まさか、なんか、嫌な予感が。。。もう何日もたまてにたよりを出してないんだ、とか言ってたしまさか」と不安がどんどん育っていき、続く場面での訃報に見事繋がってしまって、香山と一緒に床にめり込みそうなくらいに……胸がつぶれそうになる。
 あのショッキングな演出は、きっとたまてが「沖から去らない黒船」を耳にした上で自害してしまったってことなんだろうなと。。。図書館で借りて読んだ「武士が粗相をした際は、その家の者も妻も責任を負うのです」を思い出して、最後まで武士の妻だったのねたまて…と辛かった。0.1%の望みをかけて夫を待つのではなく、おそらく既に他界しているであろう香山に恥をかかせずに自分もすぐあとを追うんだね…と。せめて「もとどり(武士が切腹すると家族に届けられたという)」が届くまで待てば良かったのに。。。!!!とも思ったけど。。香山の辛そうな、悔しそうな、無念と絶望にずぶ濡れになったような表情が強烈に印象に残ってる。

『Welcome to Kanagawa/ウェルカム・トゥ・カナガワ』

 こむちゃん(朝海ひかるさん)演じる「女将」の鬘のレースみたいなほつれ(シケ?)がめちゃくちゃ美しくて、何度も繰り返しため息。。。女郎屋にいる女性たちの演出について、もっと嫌悪感沸いちゃうかなと最初こそ身構えたけど、あまりにコケティッシュだからか、やっぱり音楽が面白いからか、狂言回しとの調和がしっくりきたからか、ただただ「商魂たくましく欧米人向けの準備に励む人々」を楽しめた。
 キャッチーに価値観を表すツールとしてホトトギス濫用しすぎだろ(笑)、とちょっと思ったり。あの音数で主義やスタンスの対比を印象付けるツールとして、よっぽど海外の方々に刺さったのかなぁ。どういうきっかけで紹介されて向こうに知られるようになったのか、知りたい。

『Someone in a Tree/木の上で』

 とにかく躍動感があり楽しかった。旋律だけじゃなくリズムの妙!
冒頭で書いた、「この作品って浮世絵みたい!!」という興奮はこの曲を聴いている際に電気がつくみたいに自分の中で繋がったもので、アンサンブルが丁寧に一枚一枚版木を重ね、ゆっくりと一枚の美しい絵を完成させて披露してくれるようだった。かつての「私」の明るい無邪気な軽やかな姿、今の「私」の得意げで飄々と回想する姿、床下に潜む隠密の、怖いんだけど横から少し離れてみるとちょっとユーモラスな姿が、上下左右縦横と文字どおり舞台いっぱい使って面白く秘密の小屋の模様をスケッチして見せてくれて、意外にも帰宅後ほぼ毎日思い出しては愛おしく反芻している場面。

『Please Hello/やあ ハロー』

 爆笑。演出というか展開というか、擬人化(実際使節が来てたわけだからある意味本当に「人」だったわけだけど)が好きすぎて、マスクの下で声を押し殺しながらひゃーひゃー笑っちゃって大変だった。
 アメリカの後に出てくるイギリスの上品「風」、女王陛下を背後にした強引さとものすごい自信(笑)、オランダの田舎くささ(もうオランダの時代は去ったもんねー、ひと昔前だもんねー感の演出を感じた)、「あの風車回ったら面白いなー」と思ってたら本当にくるくる回りだして、もう心の中で膝を打って大爆笑だった(笑)!!!
 フランスの、いつもフランスはそうされがちなんだけど、軽そうなロココ感(笑)。そして、暗い中からヌーっと現れてくるロシアの不気味さと、明らかに他の列強と一線を画す「やばい感」(笑)。
 もふもふのコートへの「さ、わ、る、な」が楽しすぎて、これ原語はどうしてたんだろう?!とい調べたらまんま「コートに触るな」で、あ、やっぱり極寒ならではの装束を珍しがられるいじりはそのまんまなんだ!!!と思ったり(注1)。胸にずらりとならんだ銃弾を見ながら、あぁこのデザイン、確かジョージアの民族衣装にもあったな、と新鮮な別の舞台の記憶に思いを馳せたり。
 ここ、一見ひとりの将軍が独断で次々サインして八方塞がりに陥っているように見えるけど、あくまで「当時の日本」の象徴として「上様」が用いられているんだよなと頭の中で補完。何かとドカンズドンと大砲を撃たれ威嚇されながらも、必死に立ち向かおうとしている姿はコミカルで、実際滑稽ではありつつも「(作品を通して)嗤われている感」は無く、「そりゃ大変だよね。サインもしちゃうよね。」とむしろなんだかカラッと面白くも当時に思いを馳せてもらっているような感覚があった。
 vsペリーで畳をひっくり返しながら砂浜をどたばたみんなが駆けずり回ってた場面もそうで、当時の日本の人々を揶揄するというより、全編通して日本へのリスペクトを感じさせる空気がずっと流れているように感じた。
 致命的に作品の印象を左右するこのさじ加減が舞台のどの要素から来てたのかずっと考えているのだけどまだ言語化出来ず。とても興味あるので、引き続き反芻/回想しながら探していきたい。

『A Bowler Hat/ボウラーハット』

 スポンジのような吸収力と素直さでみるみるうちに西洋化を遂げる香山。最初こそ物珍しさはあっただろうけど、自分に暗示をかけるように、旧いものから離れるように、西洋文化を一つ一つ頭の中だけじゃなく肌身に刻もうとしていて、良い意味での勤勉さ、素直さ、寛容さの象徴なんだな…と思いながら観、十字を切った時には、そうか、信仰まで変えるほどの、、、と正直ちょっと驚いた。でもそこまで徹底的に西洋を理解して、精神的にも馴染もうとしたんだよね。
 対照的に日本文化にどんどん自らを染めこんでいく万次郎。所作が数秒ごとに「和風に」洗練されたものになっていき、文字どおり服を着物に(着物を服に)替えるように空間を刻一刻と変化させていくのが見事で、あぁこの対比、とってもベーシックな演出ながら二人が見事に美しく変わっていって見応えある!!!と興奮。ウエンツ瑛士さんも今回初めて舞台を拝見する俳優さんだったけど、一曲の中で佇まいやまとう空気、眼差し、所作がどんどん鮮やかに変化していくのがめちゃくちゃ気持ち良く決まっていて、今回やはり最後までちゃんと楽しめるぞこれは!!!と喜び。次の出演作なんだろう、、、と心の中ではメモの構え。

帝に直々に褒められる場面。
香山が褒められれば褒められるほど悔しそうな辛そうな表情になるのが、あぁたまてを悼んでのことなんだろうなと響いてきて一緒に辛かった。生きていたら真っ先に報告したかった先はたまてだったのに。この晴れ姿を一番見せたかったのはたまてだったのに。たまてがいてくれたら、こんな身分も譽れもどうでもいいくらいだったのに、たまてだけがいないなんて。。。という風に私には見えた。
 帝の演出、声だけ当ててシルエットのみとか、能のお面とかを付けて人が出てくるとかもありえたのかな、と帰りに思い巡らしたけど、文楽のお人形を使うというのが、イメージとしても象徴としてもドンピシャで、面白い!!!!!!!だった。明らかに他の人間たちとは違うんだけど、完全に記号に落とし込むんじゃなくて、かろうじて「人」というバランスが、お人形にぴったりで、そこだけガッと明らかに段差がある(=違和感を与える)演出なのに、それがむしろ「帝」の説得力を強めているように見えた。

香山vs万次郎、対峙する場面。
 あぁ、やっぱり万次郎とすれ違ってしまうんだね。。。と天を仰ぐような思いになりつつ、一方で相変わらず史実と役がマーブル状な点に頭が一部引っかかり、あれこれ桜田門外の変?上様暗殺ってなんだ?!万次郎は攘夷側にはいかなかったようなー?!と混乱し、ようやくこの辺で「あ、そうかフィクションかも」と悟り、急いで物語に心を戻す。
 徹底的に西洋に傾倒した香山だけど、人を殺める時ですらピストルなのか、引き金を引けるのか?そんな小さな、骨の硬さも肉の重さにも無縁なピストルで相手と向き合えるほど、そんなに骨の髄まで香山は西洋に染まったの?染まれたの??と思いながら見ていたら、案の定銃口を下げて、倒れていたお付きから刀を抜いたので「やっぱり。。。」となった。何が一番コアが問われる場面となるか、はきっと意見が割れるところだけど、たとえ西洋風に聖書を読んで十字を切る毎日だとしても、生死と隣り合う、自分の根底がむき出しになる局面ではやっぱりまだ当時の武士で、それは結局十数年で塗り潰せるものじゃないんだよね、、、とか思いながら見てた。
 一方で、「殺陣があります!!」と事前に聞いた際に跳ね上がった期待値が、無事めでたくウエンツさんvs海宝さんという私にとって大!!満!!足!!な形で成仏し、ここの舞台写真ありませんか、ありますよね、照明と相まってものすごい見応えです、この場面全組み合わせ観たいです!!!と心の中で拳を振って咆哮を上げそうだった。舞台の殺陣からしか得られない独特の美しさとエネルギーって確実にある。自分のお慕いする俳優さんで、しかも相手役もしっかり張り合いある方で堪能出来るって、なんという幸せ。

『Pretty Lady/プリティレディ』

 いわゆる花売りと間違えたんだよね、きっと。。。でも彼女が持っていた桶の中のお花(水仙と桜とかで、お供えか、お着物的にひょっとしてお花に行く途中なのか、それとも家で活ける用に買ってきた帰りとかなのなぁとかぼんやり思ってた)は売り物じゃなく。というか、そもそも「geisha!!」ってささやき合ってたけど、芸者は遊女じゃありません!!!とあるあるのツッコミを心の中でしたり。
 この場面始まった瞬間から展開が想像できて、これはトリガーワーニング的なものがあった方が良かったのでは…とハラハラしつつ、「父上」の存在にギリギリ間一髪で救われた。
 生麦事件系や政府高官の暗殺事件じゃなく、敢えてこれを選んだのは、より直感的に攘夷(西洋人の排斥)を求める当時の声を客席に理解してもらうためだったのかな。。

『Next/次なる高みへ』

 その後の日本の歩みを、狂言回しが「これでもか!」と挑戦的な眼差し・口調で語る(ように見える)のを客席から見つめながら、「<この流れで、あれは必然だったのです>って字幕を入れる人もいるのだろうな……でも選んではいけない、繰り返してはいけない行いだったと振り返りたい」と胸中呟いた。開国をきっかけにもたらされた建設的な発想や価値観がトップダウンで徹底されていった中には良いところもいっぱいあったけど(混乱もいっぱいあったよね、と『國語元年』を懐かしく回想)、追いつけ追い越せの気運の中で、その渦の先を侵略に向けずに進むとしたらどういう道がありえたんだろう……と近現代もののお芝居を観るとき必ず自分の中に浮かぶ問いを頭の中で巡らせた。
 とはいえ、過去をただ責められているというよりは、文字どおり「次(next)、これからどう進むの?柔軟に、ときに必死に、試行錯誤をこれからも続けていくの?」という問いがより強く感じられた。Nextを歌う方々のダンス、生命力あふれる声、後ろに次々と万華鏡のように現れてくる個性あふれる映像からは、日本に対する前向きな、海の向こうからのエールが感じられて、そこに少しも威圧感や優越感、馬鹿にしたトーンが混じっていなかったのが、作品に対する明るい印象として、とても強く心に残った。


貴重なお時間を使ってお読みくださり、ありがとうございました!!

参考にしたもの

公式サイト

「浮世絵ができるまで ~摺りの工程~」Ukiyo-e from A to Z: The Printing Process of Japanese Woodblock Prints
東京国立博物館

注1…「さわるな!」の由来について、後日Twitterでお世話になっているフォロワーさんが調べて呟いてらしたのですが、なんと本当に「ネ・トロニ・メニャー(私に触れるな)」という名前の戦艦が当時あったとのこと。。。!面白いー!!!


4/13参考にしたサイトのURLを下にまとめて追記
5/2…「触るな!」の注釈1追記、誤字修正

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