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この世の中の真意は紙芝居に似ていると思った

紙芝居を読んでくれるおじさんって見たことありますか?
僕は確か一度だけ祖父に連れられて見に行ったことあります。

桃太郎だったり金太郎だったりの童話を面白おかしく読んでくれて聞き慣れたストーリーなのに引き込まれちゃって。周りにいた子供達もみんな微動だにせず紙芝居を楽しんでいました。


やっぱり大人になって見ると
このおじさんこんなことしてて大丈夫だろうか?とか大変なんかな?とか考えると思うんですよw子供に付き添ってる親とか結構そういう目で見ちゃうんじゃないですか?


それで紙芝居を読んでいるおじさん。
つい最近見かけたんです、なんだか懐かしいなって少しだけ足を止めて見ちゃったんですが。
やっぱり子どもの頃に比べて夢中に見ることは無くなって、直ぐにそこを離れちゃったんです。

「紙芝居の中のストーリーよりも、現実の方が色々とあるからな」


そう思った時にハッと気がついた。

この現実こそ誰かが読み聞かせている紙芝居なのではないかと…。

紙芝居って読んでくれる人がいて、紙がめくられていく様子をずっと眺めていますよね?まぁ当たり前のこと言ってますが。でも少しでも視線を外せば勿論現実の世界が広がっている。現実というストーリーの中でストーリーを見させられているってやつです。

何が言いたいかと言うと
僕たちが現実だと思っているこの世界。すなわち常識だと思っている物や、当たり前だと思っている全てのものというのは非常に良くできた紙芝居の様なもので、その芝居の中にちょいちょい甘い匂いがする様なものを挟んで、多くの人を誘い込んでいる。
必然的にその紙芝居に吸い寄せられて離れられなくなる。

多くのお客さんに見てほしいから、読み手のおじさんはある考えを思いつく。「この芝居を読まない、途中で抜け出す事がない様に、周りの客に監視させる事にしよう」
そしてその場を離れる人間は非常識だ、落ち潰れだというレッテルを貼らせ、除外するという行動を取らせる事によって離れたくても離れられない。

それが世の中の真意なのではないかと僕は思った。

はっきりと自分の気持ちを持っていたとして。
自分はこの芝居を見る気がない、いや見る必要がない!
と思い途中で離席をする。多くの人の冷たい視線や軽蔑の視線があったとしても抜け出していく。
その抜け出した先には現実というリアルな世界がある様に。また真実の世界があるのではないかと僕は思った。


そんな事をふと思いついて
僕は再び振り返ると読み手のおじさんは口だけ動かして目だけ僕をじっと見つめていた。


「なんだい兄さん。折角の物語読んでいかないのかい…」


ギョッとした顔をした僕の顔を見つめる彼の表情が少し緩んだ様に見えた。

彼の目の前に座る目が全てこちらに向けられていると感じた僕は、足早に振り返る事もなくその場を後にした…


僕の背中にはっきりと感じた冷たいもの
それはいつになっても張り付いて離れなかった…

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