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「推す」

※独り言です。例のnoteを読んで少し自分なりに思ったことをまとめたけれど、誰かに宛てたものではないです。

「推す」という行為には自身の中に他者を内在させる、という側面があるように感じる。私も「SEVENTEENのJUN」という人間が自分の心の中にいる。(「推し」という言葉を彼に当てはめたくはないけれど、まぁ世間一般で言う「推し」です。)やる気の源でもあるし、「こういう時、彼ならどうするかな」なんて考えながら善悪を判断することもある。そこから学べることがあったり、しんどい時に踏ん張り切れたり、いい影響を受けることができる。

だからつい身近に感じてしまう。まるでアイドルが自分の身内かのような感覚に陥ってしまう。(身近に感じてしまうことの原因は韓国のアイドルだとプライベートを丸出しにする点も大きく関連しているだろうけど。)でも、アイドルはあくまで「職業」だ。「愛しています」の言葉にきっと嘘はないけれど、お金を出すことは口を出す権利を買うことではなくてパフォーマンスを見る権利を買うことだ。

多分私がある程度線を引けているのは、JUNのアイドル性がそれを可能にしているのだと思う。「結婚してください」というファンあるあるコメントには「会社にメールしてください」と返し、あからさまではないけど断る。自宅でライブ放送もしない。プライベートはVlogなどで見せてくれるけれどそれ以上は踏み込ませない。ちょっとミステリアスな人。自他境界がはっきりしてるんだなって思う。私もたまに言われる。私の周りだけかもしれないけど、JUNのファンはそういう人が多い気がする。

私はいつも彼が一番正しいと思っている。盲目と言われたらそれまでだけど、彼は彼の規範を一番大事にするから私がとやかくいう隙がない。私が見たいコンセプトと彼が見せてくれるコンセプトが違う時はあるけれど、彼がやりたいことをやればいいし、JUNはいつも様々な姿を見せてくれるから文句もない。JUNはやりたいことが明確だし、やりたいことを表現する実力もある。
万が一JUNが進む道に対して私が不満を持つようなことがあれば、きっと私は彼のファンを自称しなくなるだろう。アイドルとファンとはそういうものだ。大切な人の進む道を応援できなくなったら見なければいい。ただそれだけ。簡単だけど難しい。知ってる。私もできなかったことがある。ずっと依存してしがみついて、それ以上に好きな人ができなくて苦しくて、大好きなのに嫌いになりそうな気持ち。知ってる。
だけどアイドルはファンの操り人形じゃないし、こちらが思ってるよりも社会を知らない子供で、社会の苦さを知っている大人だ。

「推し活」なんて言葉が昔よりずっと当たり前の言葉になったけれど、線引きはファンがしていかないといけない。アイドルは仕事だからイヤな顔はしてくれない。行為に移さない愛があるはずだ。私はそうして自分に圧をかけて押し込めている。「その感情は持ってはいけない。」と。別に綺麗な人間じゃないから。でも大切な人の幸せを願っているのは本当だし、やりたいことを全部やってくれたらそれが幸せだと本気で思う。JUNが輝けば輝くほど私のエネルギーになるし、私も頑張れる。

これは私がJUNに思っていることだから、100人のファンがいれば100通りの美学があるだろうけど綺麗事抜きにしたってやっぱり一番は大切な人の笑顔なので、身勝手な「推し活」というのはあるべきではないな〜と思う。自分が良ければいいわけじゃないし、SNS上の何気ないつぶやきでも群衆の声は意外と本人に届いてる(気がする。)

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