1.3 台湾で考える

 実は、私がカナメと出会ったのは、バックパックを背負って旅していた時だった。当時は、バックパッカー同士、共通の趣味を持つという関係だったような気がするのだが、結婚後すぐ、カナメの仕事の関係で韓国に住むことになったので、カナメの脳内に「海外暮らし=旅してるようなもんやろ」的な構図ができあがったようだ。そしてびっくりするほど、旅行にでかけることがなくなった。

末っ子が大学進学のために家を出た後には、空の巣症候群になるママさんもいらっしゃるだろうが、私の場合は長年にわたり飽きるほど家に居続けたあまり、ほぼ「糸の切れた凧」状態になった。そこでついつい、カナメの海外出張時にあわせて、一人でバックパック(というか、実際は小さなデイパック)一つ背負って、ソウルから台北行きの飛行機に飛び乗ってしまっていた。

やばい。楽しすぎる(笑)。

そうして久しぶりに旅の風に触れて、バックパッカーズのドミトリーで同じく旅する世界の女性たちとの会話も楽しみ、ノリノリでソウルに戻ったのだが、やはり次回は仕事で来られなかった「元バックパッカー」のカナメも一緒に連れて来なければ、と決意を新たにした。
超富裕層になって、ファーストクラスのフライトで世界をバンバン行き交い、高級ホテルに躊躇なく泊まれる生活までは求めないけど、年に一度はバックパック背負って旅ができればいいな、と漫然とした近い未来の目標を立てた。

そして韓国を離れた私たちは、その後、台北、そしてクアラルンプールを経由して、とりあえずは荷物もあることだし、カナメの実家に身を寄せた後、本格的にどこに住むかを考ることにした。
カナメはすでに無職だし、私はもともとフリーランサーだし。住む場所に制約は全くない、と思っていた。その時は。

完全に忘れてた、というわけではないんだけど、ぶっちゃけ経済的な制約というものがあったのよね。そりゃそうか。住めるならオーストラリアに住みたいとチラと思ったりもしたが、シニアとして移民しようと思うと、それはもう桁の違うお金が飛び交う世界で、私たちの求めるものがそこにあるとは到底思えなかった。親や子供も日本に住んでいる以上、そこまで遠いところに住む必然性もないので、この選択肢は早いうちに消えた。

幾度となく経験した国際引越であるが、歳を経るごとに肉体的なストレスの与えるインパクトが大きくなってきていた。台北に到着した時には、とにかくゆっくり休みたいと思う気持ちが大きかった。が、カナメはというと、数十年経ての「朝起きても会社に行かなくてもいいし、ってか明日も明後日も会社ないし♡」というWAOな状態にいるわけだから、じっとしているわけがない。

引越のどさくさの最中に旅の予定を立てた。Booking.com経由で予約したレジデンシャルホテルは、台北駅直近で実に居心地が良かった。雨が降っても傘もささずに快適に飲食店街にも繰り出せるロケーション。当然のように日々あちこち食べ歩きの旅が始まった。台北駅周辺には日系チェーンレストランも多々あり、吉野家すらないソウルから到着した身としては、台湾料理に舌鼓を打つ合間合間に、牛丼やら天丼やら、和食レストランにも立ち寄り、そのクオリティの高さに驚いたりもした。

香港に住んでいたこともあるのでよくわかるのだが、台北は「中国大陸出身の中国人がいない香港」の趣があり、人々はルールをよく守り、行動が合理的で、親切であるけれどもお節介ではなく、めちゃくちゃ風通しの良い過ごしやすい社会に見えた。韓国の人にとっては「中国語を話す日本人が住む国」が台湾らしいが、言い得て妙である。つまり日本人にとっては違和感なく過ごせる空間で、こんなにストレスのない外国も珍しいんじゃないかと思えてきた。

「もう台北に住んじゃう?」というアイデアが何度も脳裏をかすめ、具体的にそれを実現するためにはどうしたらいいかとネットで調べる日々を過ごした。
長く住むビザを取得することは簡単ではないけれど、3ヶ月単位でビザランして滞在できそうなので、無理に長期滞在ビザを求めなくてもいいかなぁと思うに至った。実際にそうして住んでいる日本人も多そうだった。

レジデンシャルホテルは高くはないけれど安くもなく、そこに住み続けるのはコスト高だったので、3ヶ月住むつもりなら別の場所を探す必要はあるだろうが、その選択肢も色々とあるように見えた。

普通語(中国語)を勉強したいけれど、中国に留学するには敷居が高いと感じている人には、最もストレスの少ない留学先ではないかと思う。

そして私たちは徐々に「やっぱり海外に住もう」と気持ちが固まっていってしまった。住むなら海外、そしてシニアで住める国はどこかなと色々と調べ始めた。そんなこんなの状況で、次の目的地、クアラルンプールを目指すこととなった。


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