Lonely Planet世代、地球の歩き方世代

 ちょうど一年前の話になる。マレーシアにいた時のことだ。

 クアラルンプールの中心部であるKLCC(Kuala Lumpur City Centre)のエアビーでシェアメイトになったオーストラリアからのカップルが、具体的な年齢は聞かなかったものの、私と同世代と思われるバックパッカーだった。

ブリスベン出身の彼らは、そこから北上してクアラルンプールに来て、その後少しマラッカに滞在して、さらにクアラルンプールに戻ってきたところで、これからさらに北に位置するタイを目指すという。

海外のYoutuberが紹介するクアラルンプールのストリートフードに必ず登場する「Mansion Tea Stall」というところで食事をしたが(美味しかった!)、そのReviewの中に「Lonely Planetで紹介されている店」という表現を見つけて、心踊る私……。私もかつてのバックパッカーで、初期の頃は「地球の歩き方」を持って行ったけれども、訪れた先から別の国へと旅するうちに、海外で手に入る英語のガイドブックといえばロンリープラネットだったので、ネットで情報収集する時代には忘れていた単語を目にして少しドキッとした。

シェアメイトの彼らは、(アーリー)リタイアメント後の旅だと思われ(3ヶ月だもんな……)、仕事人としての現役世代にはできなかった旅のスタイルを、数十年の時を経て取り戻しているのかなと思うとなぜか心踊り、彼らもきっと私と同じく、若い頃はロンリープラネットを抱えて旅していたのでは、なんて思ったりした。

ちなみに彼らとの最初の会話のきっかけは「ここの部屋のWiFiパスワード知ってる?」というものだったので、ネットアクセスができないと何もできないという現代を生きる人である点は、当時とは大きく異なるなぁと。

同世代の彼らの行動を見ていると、いまの若者が30~40年後にどういうリタイアメントライフを送るかというと、それはきっとバックパーカーとして世界を旅するということではないだろうな、とは思う。

時代によって若者が追い求めるものが違う限り、彼らが何を求めて、何に郷愁を感じ、年齢を経て再びやってみたいと思うことは、今の私のそれとは異なって当然。いやもっと言えば、仕事とプライベートの線引きが溶けて、自分が能動的に使える時間がどんどん多くなると、「リタイアメント」という概念すらなくなっているのかもしれない。私たちがいま「時間ができたらあれしたい、これしたい」とずっと思い続けていたことが、時期を選ばずに普通にできることであれば、あえて高齢になってからやってみたいことなんて、特にはないのかもしれない。

ロンリープラネットや地球の歩き方世代における、その旅の情報はほとんどがテキスト(文字)で表現されていて、その鮮度が低いため間違いも多く、そういう間違いから引き起こされるトラブルも旅の醍醐味だったりと、若い人からすると旅の目的が何なのかさっぱり理解できないかもしれないけれど(笑)、そういう日々のドタバタと問題解決と、そこで繰り広げられる人間ドラマのなかに異文化を感じていたなぁと、色々なことに思いを馳せたりもした。

今では目的地をGoogleマップに入力すると細やかに経路を示してくれるので、目的地まで到達するための難易度は格段に下がった。逆に、現地で使える時間がより多くなり、より幅広い体験が可能になったことは無条件に喜ぶべきことである。以前のように、まず紙の地図を求めて街をさまよい、時には方位磁針まで使って右往左往していた頃を懐かしく思い出してはみても、もう一度その世界に戻りたいとは絶対に思わない。そんなことよりも、目的地について目一杯見たいもの得たいもの感じ取りたいものを余すところなく得て、さらに知見を深めたい。さらにはもっと多くの場所に行き、もっと多くの体験を得たい、そういう次のレベルの欲求が出てくるわけだ。

テキストの時代には、脳内で勝手に作り出したイメージが実際にはどうなのか確かめたいという欲求があり、それが旅の目的でもあった。今では高画質の動画を見ることができるので、もうそれで見たから行く必要はないと思うかというと、そういうわけではなく(笑)、彼らが「うわー、これめちゃくちゃ美味しい!今までに味わったことがない味だけど美味しい!」と感嘆しているのを見て、今度は自分の味覚嗅覚で確かめてみたいと思ってしまう。現時点のテクノロジーではVRによって視覚と聴覚の再現にはかなり成功してるけれども、味覚、嗅覚、触覚(肌感覚)の再現はまだまだで、そのあたりの欲求におされる形で、人はまだまだ旅することに興味をそそられてしまう。

ちなみに、触覚と嗅覚の再現は、時間とともに実現しそうな気がするのだが、味覚の再現は、脳信号のマニピュレート(操作)でしか実現しないのではないかと個人的には思う。食べる時の感覚は、味だけではなくて、口腔内と歯につたわる食感も含まれるので、それを総合的に再現するのは、ちょっと難しいなぁと思う次第。

最終的には、人は「食べる」ために旅するようになるのかも(笑)。

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