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悟りと願望実現でモヤっとしたとき。

「 悟りとは探求が終わること…なのに引き寄せとか願望実現ってどういうことですか?それって「探求」終わってないじゃないですか… 」

これも探求中によく湧き上がる疑問であるようにおもいます。

それゆえに一般的にいうと「引き寄せと悟り」って相性が悪いというか、、、悟りやノンデュアリティ系の人たちからは願望実現的なものってバカにされがちであるようにおもいます。

でも、この疑問がわきあがってくる視点というのも、個の意識(自分ごと思考)が強いからなのだろうとおもいます。たとえば、、、


探求が終わる…というのは
「 “自分” が探求しているという自意識過剰状態」が終わること


、、、そう捉えてみたらどうでしょう。

そういうことにこだわっている自分(という思考のうごき)のなさ……。


自動思考が消える or 「わたしはいない」

悟り体験をざっくりとこの2パターンで分けてみると、自動思考が消えてなくても個の意識がきえていると、自動思考を含めたいろいろなことが気にならない(主体感がないから「自分ごと」としての感覚がうすい。)

いきなりストーンと「自分がいない」体験が一瞥体験的におきることもありますが、この主体感や個の意識を消すことよりも「自動思考を消すほうがアプローチしやすい」ので、まずは自動思考を消そう…みたいなことを三脳バランス研究所ではしているようにおもいます。 (だって、、、「自分がいない」ってナンジャそりゃ?じゃないですか。まだ自動思考を消すのほうがイメージしやすい。)

いわゆる一瞥体験みたいなのは、自動思考が消えるというより、ストンと個の意識が消えるバージョンなのかな…っておもいます。

なんだけども、、、そういう体験がおきても、自動思考が消えてないと戻っちゃう(一瞥でおわっちゃう。)ってことも起きがちです。

自動思考=自分ごと思考

なぜかといえば、自動思考という「自分ごと思考」の動きが、そのような一瞥体験も「自分ごと」として掴んでいく動きが起きてくると、、、そうやって左脳過剰のほうに戻るような動きが自動思考が活発であることによって起きがちだからです。

そして、そういう「自分ごと」にしている
左脳の動き・思考の動きのなさ「 自分はいない 」

なので、とりあえず、、、

自動思考という動きを鎮静化しておく。

そうすると、一瞥体験的な「右脳域にストンと入る」ようなことが起きても、それを「自分ごと・自分のものにしてしまうような自動思考の動き」が起きてこないので、そのような右脳優位な意識状態を安定的に維持できるような状態もつくっておける…ということにもなるようにおもいます。

いわゆる「小さな悟り」封じ、、、

自動思考が沈静化していることで、そういう「自意識過剰という思考の勘違い=思考との一体化」が起きてこず、空病とよばれるようなアンバランスな意識状態に陥ることからも守ってくれるようにおもいます。



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