見出し画像

完璧主義とは、承認欲求の強さであり、他者への不寛容さ、であるという話

  • 些細なミスや失敗を許せない

  • ルールや規則は厳格に守る

  • 仕事を他人にお願いできない

  • 他の人が気に留めないことや、見落としがちな細かいところこそこだわる

  • 24時間、全ての時間を有効活用しないと気が済まない

これらの特徴に当てはまる方は、間違いなく完璧主義であるといえます。


かくいう私も、以前は極度の完璧主義者でした。

  • 東大、京大、医学部医学科、以外は大学として進学するに値しない(大学としての価値がない)

  • 年収は30歳で最低1500万、それ以外は人権なし

  • 人が5年かけて習得することを自分は1年以内で達成しなければならない

こう言うと側からみれば、「もはや度がすぎていてふざけているのでは?」と思われるかもしれませんが、当の本人は真剣にそう信じていました。

しかし、その裏では悩みもありました。
端的に言えばその生活が息苦しかったのです。

自分が常に圧倒的に他人より優れていないければ存在価値がない、とそう信じ込んでいたばかりに、他人と大して違いが出せない状況では生きる価値のない人間だということを自覚しなければなりません。

つまり、完璧主義の裏には、「他人とは違う自分でありたい」という承認欲求の強さがあったわけです。

そして、その完璧主義、すなわち承認欲求が強ければ強いほど、他者にも高い基準の行動を期待するようになります。自分はこれだけ頑張っているんだから、せめてこれぐらいは簡単にこなしてくれと。こうなると、もはや、我慢比べのために、マウントを取るために、日々生きている(頑張っている)と言っても過言ではない状況です。

しかし、そんな中、20代という人生で最も体力のある時期に、難病で数年間にわたり生死をさまようことになります。(闘病生活の詳細は他の記事をご参照ください)

そして、その闘病生活の中であることに気づきました。
それは、他人との比較からは本当の幸福は得られないということです。

もっと言えば、そもそも他人と比較することなどできないということです。
なぜか。生活習慣(いわば自業自得)の果てに辿り着く病もあれば、私のように突然病となり九死に一生を得ている人間もいることを初めて知ったからです。

それまでの私は、あらゆる難題も全て努力(量)で解決できるという考え方でしたが、この時ばかりは、何年費やしても光が見えず、世の中はなんて理不尽なんだと何度唇を噛み締めたことか数えきれません。

つまり、この世のあらゆること、モノ、能力、運は全て環境依存しているのです。


また、極端な話、体調を崩す前の私の考え方(理論)でいけば、理系であればMIT、文系であればハーバード大学など、世界で超一流と言われる大学の中でも上位一部の方を除いたら、全ての方が「負け組」ということになります。

しかし、実際はどうでしょうか。
確かに、傾向として彼ら(グローバルレベルでの超エリート)は年収が高い傾向にありますが、一攫千金を手にしたばかりに、無惨な人生を送ることになった人も少なくありません。
(実際に優秀でありながらも、若くして自ら命を断つことになった方も見てきました・・・)

一方で、世間的には超一流と言われるような企業に勤めずとも、毎日の仕事にやりがいを感じ、自宅に帰れば家族がいて、休みの日には趣味にどっぷりと浸かり、なんだか楽しそうに日々を送っている方も多くいらっしゃいます。

そこで、考えてみたのです。
いったい何が楽しそうに生きている人間と、そうでない人間を分けているのか。

そしたら、あることに気づきました。

(年収が数億円あろうと)外側にある価値基準で自身の行動を縛っている人間ほどつまらない人生を送るハメになり、反対に自身で何が自分にとってのストレスか、そして何があれば満足かを自覚できている人ほど実り豊かな人生を送れるということです。

幸せそうな人には、誰にも披露しない好奇心を追求する時間がある。
一言で言えば、生き方をファッションのように一時的な流行で固めるのをやめ、あなたにとっての足るを知ることが本当の意味で人生を充足させるということです。
(このことは以前ツイートしました。)


あらゆる人間の焦りや不安、欲求の土台にあるのは「他者との比較」です。巷にあふれる広告を見てもらえればすぐにわかりますが、人の行動を促すには、不安を煽る(つまり誰かと比べる)のが最も手っ取り早いのです。

若いうちは、比較されながらでも生きていけますし、まだ取り返しもつきます。

ですが、どうでしょう。
個人的なイメージですが、40を過ぎてもその生き方をしている方は、おそらく半生を振り返ったときにとても寂しい人生なのではないかと思います。
自分の心地よさではなく、他人によく思われるためだけに生きてきた人生。これほど、虚しい時間の使い方はありません。

また、独断と偏見強めではありますが、おそらく500年後に名前が残っているのは、ビルゲイツやリオネルメッシといったスーパースターの中でも一握りの人物ぐらいでしょう。つまり、ほとんどの人はこの世に存在したことすら記憶されずに消えていくわけです。

だからこそ、提案したい。完璧に生きようとすることを辞めてみませんか、と。もっと肩の力を抜いて生きてみませんか、と。

現代社会では、他人からどう思われるかでなく、自分がストレスを感じないような生き方を選択する、ことの方がはるかに難しく、真に自分を癒してくれます。

いわば、ゆるく生きるとは、自分にも、周りにも余裕をもたすことができ、何事にも過度に期待しない「上機嫌」でいるための唯一の生き方であると言えるわけです。

20代までは日本で一番生き急いできた自負があるからこそ、これからはゆるく、自分にも、周りにも優しく生きていけたらと思っています。

全国の頑張り屋の皆さんも、肩の荷物を全ておろして、もう少しゆるく生きてみてはいかがでしょうか。



この記事が参加している募集

自己紹介

新生活をたのしく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?