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偽りの在り処


 まず、何から話そう。そうだな。まずは僕のことを話そう。少しややこしくなるが、あまり難しく考えないでくれ。僕の名前は八乙女良雄。やおとめよしお。比較的、平凡なサラリーマンに分類されると思う。
 比較的、と言うのが味噌で、平凡なサラリーマンと言うには少々厄介な問題を抱えている。
 これを言うと誤解されそうだが、僕はいわゆる縁故採用なのだ。
 父の兄、つまりは叔父が上役を務める会社に新卒で縁故採用してもらった。
 あまり面に名前の出る職種ではないが、割と大きな会社なので、ツテのひとつでもなきゃ僕なんかが採用される事はなかっただろう。
 叔父が口利きしてくれたお陰で、末端の末端に滑り込めたが、正直な話、居場所がないのである。
 末席の末席であるにも関わらず、能力に見合わない仕事。
 それに、縁故採用である事は知れ渡っている。この八乙女という珍しい苗字の所為だ。
 叔父と同じ苗字だから、簡単にバレた。隠しても疑われたまま過ごす事になるので、居心地が悪い。少なくとも人事や叔父の周囲は知っている訳だから、僕だけが隠しても誰が口を滑らせるかわからない。
 だから、使えない縁故採用の末端社員として、僕は社内で針のむしろとして生きていくしかないのだ。
 しかも、勤めて2年で会社がM&Aの憂き目に遭った。いわゆる合併買収と言うやつだ。
 その際、会社は大改革を余儀なくされた。この時、叔父は事実上の左遷を言い渡された訳である。
 この辞令に反発した叔父は退職。そもそも年齢的にリタイアが近かったため、老後の予定とやらを繰り下げる形で、奥さんと娘さんが経営する小さな会社を手伝っている。
 そして、運が良かったのか悪かったのか、僕のいた部署は解体されず、僕もリストラの対象にはならなかった。つまり、僕だけが戦地に取り残されたのである。
 給料は据え置かれたが、状況は悪化した。会社に反発して出て行った男が縁故採用した、しかも使えない末端社員。優秀な社員が退職したりさせられたりした中で、生き延びてしまったのである。
 針のむしろは、毒針のむしろに進化した。
 特に、親会社から出向してきた上司が最悪だった。
 ドラマに出てくるような典型的に嫌な上司だ。僕は毎日、上司のいびりに耐えていくしかない。そもそも味方はいなかった。あの上司に差し出す生贄としては、僕は逸材だと言える、
 そんな僕の日々の安らぎは、いわゆるSNS、ソーシャルネットワークシステムだ。
 僕はこのネットの世界で自由に生き、生きる糧として嫌な仕事に耐える。世の中はそういう風にできている、と諦める事にしたのだ。
 そして、僕はネットの世界に潜り込む。
 僕は、ツブヤイターで3つのアカウントを持っている。
 ひとつは、「かんきとあ」@kankitoaという名前で、馬鹿馬鹿しいことを呟いているアカウント。
 名前の由来は雑誌で見た開発中ゲームのキャラクター名が謎の文字列だったので、そこから拝借した。特に理由はない。基本的に日常の楽しい話やつまらない話をだらだらと呟くだけの、雑多なアカウントである。
 メインアカウントはこれだが、残りは2つ。
 ふたつめが、「やぐち・おとめ」 @otumex_xyaguchi。僕は自分の実生活を身元がバレないように、社会の底辺で愚痴をこぼすOLという設定で、八乙女の愚痴で「やぐちおとめ」である。

 いわゆるネカマ。ネットおかまという存在になるのだろうが、誰かを引っ掛けて遊ぶつもりはない。目的が違うのだ。
 単純に会社や上司に対する愚痴をひたすら漏らし続ける、王様はロバの耳の穴である。
 いくらかの設定にフェイクを混ぜ込み、上司や同僚や会社に対する不満をドロドロと流し続けるだけの場所。
 上司や同僚の名前は、一定の法則の元で変えてある。日付も数日前の出来事を書き連ねてあるのだ。ただし、黒い感情は吹き出した瞬間に吐き出さないとストレスになる。
 だから、とあるbotアプリケーションを使い、その場で書き、きっかり3日後に自動でネットへアップされるよう、設定してある。
 これには愚痴を垂れ流す以外の目的があるのだ。今はまだ、僕の精神はネットで悪口を書き殴ることにより保たれているが、いつ心を病むかも知れない。その時の保険である。
 どんな嫌がらせがあったか、パワハラに該当するか、この手の記録は裁判時の証拠になると誰かから聞いた。要は記録としても役立てているのである。
 みっつめの名前は、「四月一日 和昭」@kazuaki_0401で「わたぬき かずあき」と読ませている。名前は嘘を連想させるエイプリルフール
 これはパワハラ日記だ。親会社から出向してきた、あの嫌な上司の立場から、僕や僕以外を理不尽に怒鳴りつけたり嫌がらせをした日記だ。
 「やぐち・おとめ」の方では、僕に向けられたハラスメントを綴るに終始している。正直、僕をスケープゴートに差し出した同僚を庇うつもりはない。だけどいざ、パワハラで訴えるとなると、証拠や証人は多い方がいい。だからそれを総括して、上司側から「こんな使えない部下がいて困っている。全く迷惑な話だ。だが、親切にも教育熱心な俺は、馬鹿な部下を丁寧に叱ってやった」という視点からその日に何があったのかをまとめている。
 僕はその3つのアカウントを使い分けることによって、日々のストレスをやり過ごしているのだ。
 このうち、「かんきとあ」には見事に反応がない。自分としては面白い事を言っているつもりだけど、まるでウケない。数年運用しているが、フォロワー数はようやく100を超えたところ。
 残念だが、どうやら僕にはセンスがないらしい。ここまでウケないと「ウケるためにやってるアカウントじゃない」って言い訳もしたくなる。
 一番ウケてるのは、やはり「やぐち・おとめ」だ。フォロー数は1000を超えている。別に、ネカマを演じて誰かを騙すつもりはないが、女性の振りをしている所為か、寄せられる言葉は優しい。
 「辞めろ」「訴えろ」という声も多く寄せられる。「辞めた方がいいよ」から「さっさと辞めちまえ」まで、語調は様々だ。どの程度までネカマがバレているのかはわからないが、疑われているのはどちらかと言うと「ネカマ」よりは「かまちょ」だ。
 別に目的は「かまってちょうだい」ではないのだが、それを非難するコメントを読みたい訳ではない。まだコメントの方はいいのだが、DMが誹謗中傷だったりすると非常に気分が落ち込むので、DMは閉鎖してある。
 驚いた事ではあるが、相当数のメッセージが届いていたのだ。無論、本心はわからないが「真剣に心配する文章」に始まり「お前が気に入らない」というご感想、「とにかく会おうよ」というナンパ、そして、セクシャルな文言を含む「いやがらせ」まで、その数や種類は多岐に渡った。
 僕はいわゆるフェミニストではないが、この手の「いやがらせ」がこれほど多いものとは思っていなかったので、さすがに閉口してしまったのである。いや、閉じたのは口と言うよりメールボックスだが。
 そして、意外だったのは「四月一日 和昭」の方である。
 内容が内容だけに、批判が来るかも知れないと覚悟していたにも関わらず、案外批判は来ない。
 実のところ「こんな頭の固いパワハラ野郎がいる」という形で、何度か引用され、晒されはしたが、意外にも炎上したのは一度だけ。プチ炎上ぐらいが3、4回ある程度。
 むしろどっちかと言うと「使えない部下をあてがわれた可哀想な上司」という解釈が数なくない。
 ああ悲しいかな。僕が「使えない」と言うのは世間の認識としても正しいらしい。
 確かに、文章の内容が偏らないよう、かなり「上司になりきって」いるのは事実だ。同僚が嫌いだから、彼らの悪い部分はしっかりと書いている。
 しかしそれでも、書いているのは「使えない側」の僕なのである。僕は僕の欠点を熟知しているし、本物の上司のように非情にはなれない。
 だから、結論として明らかに「部下をいびっている」文章を書いても、どこか「使えない部下」を持たされた不運な管理職の雰囲気が出てしまっているのだろう。
 僕の意図に反し、何だか妙な人気が出てしまったである。
 しばしば「無能な部下っていますよね。御愁傷様です」というコメントが入ったり、「コイツもパワハラ気味だけど、これは部下側が悪い」なんて引用され方もするのだ。
 割とフォロワーにはいわゆる「頭の固い管理職」が多いのか、「あんたは間違ってない」「個人の意見だろうし、苦労はわかるから擁護する」というDMまで届くのである。
 無論のこと非難もあるし、プチ炎上はするものの、その度にフォワーが増えた。中には「頭の固い管理職をウォッチする目的」でフォローする人もいるだろうが、どちらかと言うと応援メッセージが多くなって、今ではフォロワーが2000人。「やぐち・おとめ」を凌ぐアカウントになってしまった。
 しかも、本名がバレるのでアマサン欲しいものリストは「やぐち・おとめ」の方では公開できなかったのだが、試しに「四月一日 和昭」の方で公開したら、驚いた事に、結構な数のギフトが届いたのである。
 ギフトが引っ切りなしに届くなんて程ではないが、定期的に届く。だいたい月2回。
 おそらくフォロワーに多い管理職クラスの年齢だと、お中元だのお歳暮だのって文化がまだ残っているのだろう。
 こちらが言葉のみで、特に返礼をする訳でもないので、ほとんどの場合は一回きりで終了するが、月に2回ほど、まるで知らない誰かからのギフトが届く。
 その中で、1人はありがたい事に、毎月のようにギフトを届けてくれる。
 「逆さま魔法使い」という名前でアカウントは@reverse_mage。本名はギフトの送り主として判明している。小津孔明。どうやら孔明でヒロアキと読ませるらしい。
 彼のアカウントは基本的に空っぽだ。特に彼の意見や主張はない。時折、田舎の風景や食卓の写真をアップしてはいるが、どんな人物かは掴みにくい。
 彼とのやりとりや、他のアカウントとのやりとりを見る限り、良い人物のようだ。
 どうやら、大きな会社に勤めていたようだが、比較的早めにリタイアして、九州の田舎に家を買って家族と暮らしているらしい。
 仕事は半分趣味の野良作業をやる傍ら、稼いだ資産を運用して増やしている模様。あまり詳しくは詮索していないが、どうやら家族を養える程度の資産はあり、大した欲もなく、何となく気に入ったアカウントを見つけては、贈り物をしているらしい。
 DMで何度か会話しているが、好人物である。何だか、身分を偽っている自分が恥ずかしくなるぐらいだ。
 ただ、よく分からないのは、何故自分がギフトを贈られるほど彼の心を動かしたのか、である。
 彼のアカウントを見る限り、ギフトが贈られた幾人もの感謝のメッセージで溢れている。
 わからない。
 気になって、彼にギフトを贈られたアカウントを訪問する。すると、面白い呟きをしているような人気のアカウントは見当たらない。
 わからない。ある時に、その事を彼に尋ねてみた。
 「どうして僕なんかに贈り物を?」と。
 すると、彼はこう返した「圧倒的な人気のある人は、自分が支援しなくても誰かが支援するから大丈夫。自分は人間が出来ていないから、感謝されたい。幸い、生きるのには苦労しない資産がある。けれど、人から尊敬されるような人物でもない。だから、何となく気に入ったアカウントにプレゼントを贈って感謝されたいのだ」と。
 この言葉に感銘を受けてから、僕は彼と頻繁に話すようになった。嫌なパワハラ上司を演じる事を忘れそうになるぐらいだ。
 そんなある冬、彼から頼みごとがあると言われた。
 知り合いから「ミカンを大量に貰ったので、食べ切れないから貰ってもらえないか」という話である。
 僕はむしろ有難い話だ、と答えた。
 だが「アマサンギフト」とは違い、直接の住所に送る必要がある。それで本名と住所を教えて欲しいという頼みだった。
 僕は二つ返事で了承した。ただし、教えたのは叔父の名前と住所である。そうした理由は「やぐち・おとめ」のアカウントで、ネットストーカーっぽい男が僕の住所を割り出そうとしていたからだ。
 彼のことを疑ってはいなかったが、アマサンギフトだと送り主に「町名」まではバレるとか何とか。叔父は同じ町内に住んでいるから、何となくそちらの住所を教え、身元を隠してしまった。もうひとつは、荷物の受け取りの問題である。その時間に家にいなきゃならないのが面倒だと思っただけだ。叔父の家なら奥さんが娘さんは家にいるだろう。それぐらいの事だ。特に深い意味なんてなかった。僕は叔父に「ミカン受け取っておいて。食べてもいいから」とメッセージを送り、その事を忘れかけてさえいたのである。
 そして、あの事件が起きた。
 俗に言う「毒入りミカン配達事件」である。
 死者78人。重症者22人を出したネットテロ事件。
 犯人は小津孔明。警察が踏み込んだ時には、ミカンに入れられたモノと同じ毒を服用して、自殺していた。被疑者死亡により、捜査は終了。真相は闇の中。
 僕は偶然にも難を逃れた。警察からも事情聴取を受け、洗いざらいを話した。
 小津は特に犯行に対しては何の主張もしなかったが、自殺前にアカウントを消したりもしていなかったのである。
 そこから推察される事はたったひとつ。
 「復讐」である。
 彼が毒入りミカンを贈った先は、いじめやパワハラを肯定したり、自慢していたアカウントばかりだったのだ。
 実は彼は想像していた年齢より随分と若い30歳。金持ちの家に生まれ、学生時代はいじめられて過ごしたという。聞くところによると、加賀者側の財布として随分搾り取られたらしい。
 社会人になってもパワハラにさいなまれ続け、精神を壊して、親の金で田舎に家を買い、家政婦を雇い、ただひたすら「世にいるパワハラ肯定者」を探し続けていたのだろう。
 真相はわからない。実際にはミカンを受け取らなかった人、受け取るも難を逃れた人や、受け取り損ねた人もいる。実際には贈られた人物が何人いたのかわからない。
 少なくとも100箇所以上に贈られた事は間違いない。
 送るべき200人が決定したから実行に移した説。
 直接いじめた加害者を特定できたから実行に移した説。
 両親が亡くなり、足枷が外れたから実行に移した説。
 色々ある。
 僕は、どちらかと言えば彼の側だ。特に責めるつもりはない。
 だけど、死者78人の中に、叔父の奥さんがいる。
 僕は、実質的に彼女を殺したようなものだ。叔父は僕を恨んでいる。
 こんな結果になるのなら、毒入りのミカンを、僕が受け取っていれば。
 いたずら心でやった訳でもない。
 けれど、なぜ僕は身分を偽ってしまったのだろう。
 警察にも散々責められ、慰められもしたが、叔父の奥さんを殺してしまった罪は、もう消えないのだ。


 

 ※ 書いた人はプレゼント歓迎である。



 ※ この短編小説はすべて無料ですが、お気に召した方は投げ銭(¥100)とかサポートをお願いしています。なお、この先にはあとがき的な何かしか書かれていません。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。