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BORN TO RUN "BIG GUN"


 これの逆視点。↓


 器用な子ではなかった。
 生まれつき、器量の良い子供ではなかったと両親は言う。
 言葉を覚えるのも遅かったし、話すのも得意ではない。勉強が出来る訳でもなかった。
 そして、多くの人間が信じないが、運動もからっきし駄目だったと言う。
 思い返すに、現在の言葉で言うならば、極めて弱度の自閉症だったのではないか、という疑いを持っている。
 石井宗達。空手界が産んだ怪物の名だ。
 両親は石井が小学生の時に離婚している。原因はおそらく自分だったのではないかと、石井は述べた。
 弱度ではあったにしても、おそらく障害を持って生まれた息子。育児や教育を頑張っても虚しさを覚えるのみ。母親はそんな状況に疲弊していたし、父親はそんな家に帰りたがらず、他所に女を作った。
 だから、離婚の原因は自分にあるのだと石井は述懐する。
 石井は母親に引き取られたが、育児に疲れ切った母は、アルコールに溺れたと言う。
 そんな中、石井を引き取ったのが、疎遠になっていた父方の祖父だった。
 田舎で空手道場を営む祖父は状況を知り、石井を養子に迎えたのである。
 浮気で家庭を捨て、我が子を見捨てた息子を恥じ、養子として面倒を見る事を決心した。
 祖父は決して世渡り上手な男ではなかったし、空手で名を上げた猛者という訳でもない。血縁ではない先代の後を継いで道場主になっただけだ。
 長年大工をやって体力には自信があった。若い頃なは腕っぷしで物を言わせていた時代もある。その勢いで始めた空手に入れ込み、上には上がいると知り、謙虚に空手を学ぶようになった。
 祖父が、石井に教えられるのは、空手ぐらいしかなかったのだ。
 だが、それは石井という巨大な石像に命を吹き込む魔法になったのである。
 それまでやってきたスポーツには、まるで才能がなかった。
 ボールを扱う。最も馴染みのあるであろう球技は、石井にとっての難関だった。自らの四肢ではないボールを介したり、自らの肉体ではないボールをコントロールする事が、石井には困難だったのだ。
 そして、チームプレイも苦手だった。チームメイトの考えや動きがわからない。
 敵も同じだ。何をどう考えているのか、どう行動するのかわからないのである。
 それは、対戦相手のいる空手でも同じ事だろう。そう思っていた。
 しかし結果はまるで違った。
 石井は、ただ愚直に正拳突きの練習を続ける事が何の苦にもならなかったのである。
 ひたすらに前蹴りの練習を、黙々と膝蹴りの練習をする事が、普段どうしていいのかわからない石井にとって、自分を剥き出しにできる瞬間だったのだ。
 祖父が「やめ」を命じるまで、石井は何時間でも練習を続けたと言う。
 石井に練習を命じたまま、用事で半日戻れない時でさえ、帰って「やめ」と言うまで練習を続けていたのである。
 そして、その時に「思う存分に練習ができた」と喜ぶ石井を見て、その才能に気付いたと言う。
 祖父は石井に、より強く突けと教えた。
 より速く突けと命じた。
 より短く、よりコンパクトに、そして、より遠くに。
 石井は目的を与えられ、自ら研鑽を重ねた。
 その結果が、最も威力のある打撃を、最も速く、最もコンパクトな形で、一番遠くまで届ける。
 打撃の理想形だ。
 石井は空手に没頭した。そして、その空手はほぼ完成形だと言えた。
 最大最速最短かつ最小。
 それは、達人のみが到達し得る究極の形。
 だが、空手も対人競技である。他人の考えがわからない石井に、相手が倒せるのか。祖父のその疑問は杞憂に終わった。
 相手が何を考えていようと、石井は拳足を当てるだけなのである。
 今でも、相手の攻撃は何が来るのかわからないと言う。
 しかし、明白なのは「自分を倒しにきている」という事。
 痛いのは我慢できる。致命打だけを避ければいい。防御の基本も徹底している石井には、相手の攻撃も、威力を殺せさえすればそれで充分だった。
 ほんの少し身体を捻る。ほんの僅かだけ外に弾く。ほんの少しでいい。それを食らっても、倒れさえしなければいいのだ。
 そして、倒れなければ、後は自らの拳足を叩き込むだけ。
 勉強も、運動も、絵や音楽も、会話も苦手だった。
 その不器用な獣が、空手という牙と爪を得て、自分のいるべき世界を見つけたのだ。
 石井は、中学を卒業する頃には、体格差さえも意に介さない化け物に成長した。高校生相手でも、体重差があろうとも、石井の空手は通用したのである。
 弱度とは言え、いわゆる発達障害のあった石井だが、それでも年齢と共に精神的な成長は著しいものだった。
 色んな欲が出てくる。そういう年頃にもなった。しかし、そこで石井の手綱を握ったのが祖父の言葉である。
 「ええか、宗達。お前には百の技は要らん。十で充分や」
 武道を学ぶ上で、より多くの技を身に付けたいと思うのは人の業である。
 実際に実力が拮抗したなら、より多くの技を知る方が勝つ。それはほぼ間違いない。
 だが、石井の場合は違う。より多くの技を知ろうとも、混乱するだけなのだ。
 「爺ちゃんは大工をやってきたけんども、木を切るのに金槌は要らん。釘を打つのに鉋も要らん。お前には相手を倒せる拳足がある。突きと蹴りがあるんや。それ以上は要らん」
 石井の拳足は、大砲なのである。
 放てればいい。当てればいい。それだけなのだ。
 相手の攻撃があろうと、沈みさえしなければいい。
 簡単な話だ。相手は無手。こちらは大口径の拳銃を持っている。
 引鉄さえ引ければいいのだ。急所でなくてもいい。命中さえすればいいのだ。
 「宗達。お前には大技は要らん。ただの正拳突きでいい。前蹴りひとつあればいい。お前はそれだけで勝てるさかいな」
 見た目が派手な大技は、格闘技の興行で好まれる。大技と言うだけあって、決まれば相手に与えるダメージは大きい。
 しかし、それはほとんど嘘である。
 大技など実力差がなければ、ほぼ決まる事はない。
 隙が大きい技なのだから、対処する時間もある。コンマ1秒を争う格闘技の世界において、大技はそれだけで不利なのだ。
 打撃は、受ける側が1ミリも動かない棒立ちの状態であれば、そのダメージを100%与えられる。プロ格闘家の打撃を不意に食らって立っていられる者は、プロ格闘家の中にもいないだろう。
 だが、ほんの0.1秒でいい。ほんの数ミリでいい。打撃のヒットポイントをずらすだけで、そのダメージは半減する。だから格闘家たちは倒れない。
 しかし、石井の打撃は違う。
 速度も飛距離も威力も尋常ではない。
 予期せぬ場所から、想像もしない場所へ、予想外の速度で、想定できぬ威力の打撃が来る。
 格闘技経験者だからこそ、それはまるで自分が棒立ちだったかのような打撃を食らう。あるいは、完全に読まれたカウンター攻撃のように。
 「お前の正拳突きはそれだけでピストル並の威力がある。大技は要らんっちゅうより、お前の技は全部が大砲や」
 実際、石井の戦績はそのほとんどが一本勝ちである。慣れない人前での試合や、知らない環境で闘うというコンディションの中で敗北こそあるものの、実にその9割が一本勝ち。
 まるでボウリングの球で殴られたような、とは対戦者の談である。重機にぶつかったような衝撃。中国拳法の発勁のようだと述べる者もいた。祖父の言葉に正しく、石井の拳は拳銃が如き破壊力を有していたのだ。
 祖父の薦めから、伝統派の所謂「寸止め空手」にも出場しているが、こちらの戦績はフルコンタクト空手を上回っている。
 だが、石井にとって「寸止め空手」は練習と何ら変わらぬ気がして面白味がないのだ。練習なら一人で黙々としている方がいい。
 ひたすら積み重ねた練習が、試合で間違っていなかったと証明される。石井はそれが好きだった。愚鈍な自分にも才能があると示せる瞬間が好きだったと言う。
 のちに祖父は、体の具合を悪くして入院。孫が目覚ましく活躍するのを頼もしくも思いながら、病床で自分の指導が正しかったのかを自問自答し始める。
 そして、孫が今後一人で生きていくためには、より広い経験が必要だと感じ、必ず大学へ進学するように言い遺し、他界した。
 石井は祖父の遺言を守り、大学に進学、空手部に所属。
 そこで、もう一人の怪物との運命の出会いを果たす。

 後に空手界のプリンスと呼ばれる男、愛川心である。
 この、心を持たない機械のような天才は、遊び半分で空手部に体験入部した。
 昨日真剣に空手の本を数冊読破しただけ。数時間、空手のビデオを観ただけ。
 実際にテニスと陸上しか経験のない愛川は、ただの悪戯で空手部を訪れたのだ。
 そして、遊び半分に上級生を4人、ノックアウトした。
 最初、上級生側が舐めていた事は間違いないだろう。だが、3人目からは本気だった。体験入学生にノされました、では格好がつかない。そんな思いが空回りを生んだのかも知れない。だが、結果は結果だ。
 4人が負けた。
 その時、5人目の対戦相手に選ばれた男こそが、石井宗達である。
 石井の纏う空気に、愛川は本能的な危険を察知した。
 だからこそ、警戒したのである。
 しかし、石井の拳はまるで見えなかった。
 来るとわかっていた筈なのに、想像よりも小さく、予想よりも速く、思いもしない軌道で、もう、届いていたのだ。
 胸中から肺を殴られ、それだけで動けなくなった。
 それは愛川にとって、かつてない衝撃であり、かつてない屈辱であり、そして、かつてない喜びだった。
 化け物がいる。他の誰とも違う、純然たるモンスターが人の姿をして自分の目の前にいる。
 人の心がわからぬ天才は、初めてこの化け物に恐怖し、嫉妬し、焦がれ、興味を持ってしまったのだ。
 石井という化け物が、愛川という天才を目覚めさせてしまったのである。
 そしてそれは、石井にとってもその能力が開花する切っ掛けとなったのだ。
 石井にとって、愛川は当初、ただの体験入部生でしかなかった。自分の技を磨く以外に興味がない石井は、試合相手にも興味がなければ、相手を研究する事もない。
 それは愛川でも同じだった。
 試合を命ぜられたからいつも通りに戦った。正拳突き一発。相手は倒れる。いつも通りだ。
 だが、この日を境に入部した愛川は、事あるごとに石井との対戦を迫った。
 そして、愛川は日を追うごとに目覚ましい成長を見せたのだ。
 とうとう、石井が膝をつく日が来た。
 この敗北を機に、石井は「強い相手」を想定した戦い方をするようになる。
 石井と愛川は、お互いに噛みつき合う事で、その牙を磨いたのである。


 ※ この短編連作はすべて無料で読めますが、お気に召した方は投げ銭(¥100)をお願いします。
 なお、この先には大した事は書かれてません。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。