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現世界グルメ『牛肉麺』


 中華麺、と言うと世間では多くの人がラーメンを思い浮かべる事だろう。
 読んで字の如く、中華の麺である。漢字では拉麺と書く。もはや、カレーと並んで日本の国民食と呼んでも差し支えない浸透具合である。
 だが、私は今ひとつ、ラーメンという食べ物に執着を感じないのだ。いや、別に嫌いな訳ではないし、ラーメンが好きかと問われれば無論好きだと答える。
 しかし、他の食べ物に比べると、魅力を感じていないのが本音だろう。
 ラーメンに強く惹かれない理由は幾つもあるが、ひとつは方向性が定まらない事であろうか。
 塩、味噌、醤油、豚骨とそれぞれのラーメンの目指す所が多岐に分かれ過ぎていて、洗練化が進まないように感じるのだ。
 例えば、うどん。うどんと言えば多くの人は、かけうどんを想像する事だろう。無論、人によっても違うだろうし、地域差やバリエーションがない訳ではない。
 しかし、うどんにはほぼ全国共通の「スタンダード」があり、それが共通認識として共有されていると感じる。
 蕎麦にしてもそうだ。かけそばか、ざるそばかと言う区分はあるが、そのどちらにも共通認識があると言えるだろう。
 何が言いたいかと言うと、料理に変化球を求めているか、豪速球を求めているか、と言う事なのである。
 要するに、究極に美味しいうどんを求めて、うどんの具を極厚レアステーキにしてみました! なんてのは変化球。
 小麦にこだわり、打ち方にこだわり、出汁にこだわり、より洗練された上質のものを求めるのが豪速球である。
 別に、うどんの具にステーキを載せても構わないし、それを否定するつもりはない。しかし、それはうどんの美味しさには関係がないし、うどんの味を引き立てもしないし、ステーキを魅力的に飾り立てもしないと思うのだ。
 無論、これは極端な例に過ぎないが、ラーメンという食べ物は、変化球に近しい部類ではなかろうか。
 やたらとチャーシューを売りにしたり、ムース仕立てにしてみたり、ダブルスープだのトリプルスープだのと喧伝してみたり。
 つけ麺を流行らせようとしたり、混ぜ麺だとか和え麺だとか銘打ってみたり、冷やし中華ならぬ冷やしラーメンが登場したりと、騒がしい限りである。
 それが悪い事だと断じるつもりはない。だが、私が食べたいのは、シンプルに美味しいラーメンなのである。
 単純に美味しい麺と、シンプルに美味しい出汁。このふたつが見事に調和するラーメンを食べたいだけなのである。うどんがそうであるように、蕎麦がそうであるように。
 だが、ラーメンと言うのは、とかく話題性に逃げがちである。ストイックであれば良いとは言わないが、削れる部分を全て削ぎ落とした、真の旨味のみを追求したラーメンが食べたいのである。
 しかし、それを望むものは少ないようだ。ラーメン業界は日々、流行りのスタイルとしてのトレンドを追求しているように見える。
 もちろん、単純にそれが悪いとは言わない。試行錯誤は料理の基本である。見向きもされず衰退していくより、ずっといい。
 だが私には、残念ながら、彼らの研鑽のレベルが高いようには思えないのである。
 真摯に取り組んでいる人たちには大変申し訳ないが、数ある料理の中では、おままごとの域を出ていないケースが多い。
 ちなみに私は格闘技や武術を好むが、感覚的には、「拳」も「蹴り」も「投げ技」も「関節技」も「組み技」も、全部あった方が強いんじゃないか? という小学生的発想なのだ。
 全ての技を使用する「総合格闘技」や「プロレス」のような例はあるが、総合格闘技が最強な訳ではない。ボクシングのルールに則って戦えば、ボクサーに勝つ事は不可能に近いだろう。
 総合格闘技も、総合格闘技として強いのであって、各ジャンルに特化した相手に勝てる訳ではない。また、総合格闘技が総合格闘技として確立するまでには、やはり10年ほどの時間を必要とした。
 だが、ラーメンはどうだろう? ラーメンは、ひとつの完成されたスタイルを作るのではなく、ただひたすらに「自己流」を追求する傾向にあると思うのだ。
 それはまるで。新しいルールを作って、そのルールの中では自分が最強と謳うようなもである。無論、料理や食事は勝負ではない。勝ち負けもない。だから、その自己流が悪い訳でもない。ただ私には、完成形の極みを目指す事から逃げているようにも思えてしまう。
 客の側もそうだ。やれ、チャーシューが分厚いだの、スープが濃厚で箸が立つだの、火を着けて燃やすだの、話題性で囃し立てる。
 もっと真摯に美味しさを追求して欲しいのだ。そういう意味で、私はラーメンという食べ物に、そそられないのである。
 とは言え、これほどまでに方向性が多岐に分かれ、自己流が氾濫する料理は、他に類を見ない。そういった食文化という意味では、ラーメンは非常に興味深いジャンルだと言えよう。
 そもそも、本場中国での、本来のラーメンは日本のそれと似ても似つかぬ料理である。
 中国本場の麺にも刀削麺や担々麺など色々あるが、あくまで拉麺(ラーミェン)のルーツを辿ると、打って引き延ばす細い麺に、シンプルなスープ。具はほとんどなく、薬味が入るのみ。
 感覚的に、麺は湯(タン。スープ)を楽しむ為の浮き実的な立ち位置である。日本で言うと煮麺(にゅうめん)に近い。
 主食として食べる事もあるが、どちらかと言うと締めのお茶漬けや、味噌汁的なポジションだった模様。
 これが、うどん・蕎麦文化の日本で、主食として独自の進化を遂げた訳だが、進化の方向が定まらなかった為に、亜種ばかりが生まれる羽目になったのだ。
 また、ラーメンにも「中華そば」「支那そば」「中華麺」などと複数の呼び名が存在しているが、更にややこしいのは別の料理である「中国の麺料理」が、ほとんど「中華そば」「ラーメン」と認識されてしまったのである。
 日本で言えば、そうめん、ひやむぎ、うどん、すいとんまでが同じく全て「うどん」と呼ばれている状態といえばわかりやすいだろうか。
 それも、かけうどん、ざるうどん、焼きうどんという料理法の別も全部含めての話だ。
 なので、後年知られるようになった担々麺や刀削麺も日本では全部が雑にラーメンという扱いになってしまっている。
 ちなみに、私の中では刀削麺も担々麺もラーメンとは別の料理なので、こちらは充分にそそられるのだ。
 中華版手打ちショートパスタとでも言うべき刀削麺。独特の噛み応えがたまらない。
 担々麺は日本版と中国版で大きな差がある。スープの有無だ。本場ではスープがない、いわばミートソースのスパゲティ状である。味も辛いだけでなくスパイスの風味が非常に強い。
 私は日本の担々麺も好きではあるが、スープが多過ぎて、せっかくの肉味噌がスープの方に流れてしまい、麺と一緒に楽しめない事だけは納得していない。スープの量は半分ぐらいにまで減らすべきだと提言しよ ておこう。

 さて。ここでようやく登場する事になるが、本題である「蘭州牛肉麺」や「台湾牛肉麺」もまた、一括りにラーメンとされてしまっている不幸な料理だと言えよう。
 牛肉麺。ぎゅうにくめん、またはニュウロウメンと読む。
 元々は中国清真料理のひとつである。
 この牛肉麺がラーメンかラーメンではないかと言うと、麺を打って伸ばすので、言葉の意味では拉麺だと言える。また、ラーメンの発祥が中国回族(イスラム教徒)であると言う説もあり、そういった意味ではラーメンの先祖であるとも言えるだろう。
 しかしこの牛肉麺は、柔らかさが売りの中華麺と違い、コシが強い。
 回族がルーツであるため、豚肉を使用しない点も一般的な中華料理とは違う。
 そして、これがまた美味いのである。
 非常にあっさりとしたスープに、噛み締める味の牛肉。薬味のパクチーがまた、よく合う。
 そして、麺が美味い。細麺、平麺、三角麺と色々あるが、中では特に、三角麺独特の舌触りと歯応えがオススメである。
 面白いのは、具の大根。味がよく染みていながらも、ちょうど良い歯ごたえを残している。
 スープには辛味調味料を入れる所が多いが、なくても美味い。
 実に良いバランスで完成されている。
 唯一、危惧しているのは、これが一般的に「ラーメン」の一種として認識されてしまわないか、と言う事だ。
 日本のラーメンは独自の進化を遂げた結果、他者の追随を許さないほど、圧倒的に濃い味付けになってしまったのである。特に近年の「こってり」「濃厚」なラーメンの異常な濃さに気付いていないのは日本人だけだとさえ言われている体たらくだ。
 何しろ、日式拉麺(日本のラーメン)店が海外に出店する時には、テーブルに「味を薄めるためのお湯」が置かれるほどで、外国人には濃過ぎて気持ち悪くなるレベルなのである。
 それなのに日本ではテーブルに「ラーメン用のタレ」が置かれているぐらいだ。
 そう。その点で言うと、日本でそれなりにローカライズはされているものの、牛肉麺はスープの味があっさりしすぎているのである。
 別にうどんの出汁だと思えば薄すぎるなんて事はない。
 しかし、ラーメンのスープだと思うと、頼りないほどに味がしないのである。
 それほどまでに日本のラーメンは独特の進化をしているのだ。そして、人間はプリンだと信じて食べたものが茶碗蒸しだった場合、脳が混乱し、味を正確に感知できなくなる。
 つまり、牛肉麺をラーメンだと認識して食べると、物足りない、頼りない、水くさい味になってしまう。
 だからこそ私は、牛肉麺がラーメンとは別の食べ物であると、より多くの人に知ってもらいたいのである。

 ところで、私はラーメンを食べる時は、概ね同時にライスを注文する。
 正直に言って、日本のラーメンは麺で食べるよりも、麺だけをさっさと食ってしまい、白飯をぶち込んだ方が美味いと思っているからだ。
 特に、日本のラーメンは具と一緒に食べると言うより、麺やスープとは独立した具が入っている事が多い。
 だから、ラーメンを食べる時は、具には目もくれず、麺だけを味わい、残った具で白飯を食べ、最後はスープをぶち込んで(または、白米をスープにぶち込んで)食うのが基本スタイルとなる。
 ちなみに、牛肉麺は白米をぶち込んでも美味しいのだが、具は麺と一緒に食べる方が美味しい。

 しかし、何故か油断すると、麺だけを先に食べてしまっている自分がいるのだ。

 どうやら私も日本のラーメンに毒されている事は否めないようである。

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 なお、この先にはそんなに重要ではない注意書きしか書かれてません。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。