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現世界グルメ『デパ地下』


 美食とは何だろう、と考える事がある。いや、そんな簡単な事もわからないのか?と問われそうだが、少し考えてもらいたい。
 「グルメとは、少しでも美味しいものを追い求める生き方である」 こう言うと特に何も間違っていないし、問題はない。
 では、続けよう。
 「グルメとは、手間暇を惜しまず、美味しいものを求める生き方である」 おそらく、ここまでならば「そりゃそうだろ」と思うだけであろう。
 問題は次である。
 「グルメとは、金に糸目をつけず、美味しいものを求める生き方である」
 ほうら。ここで意見が割れる。手間暇、という意味では、それを手に入れるための金を稼ぐ事も同様で、何一つ言っている事は変わらないはずだ。
 しかし、湯水のように使って美味いものを食べる、と言うと、途端に露悪的な印象が生まれてしまう。
 いや、冷静に判断すると、より良いものを追求する際に、そこにかかるコストが跳ね上がって行く事はグルメに限らない。当然のことである。
 だから、その点で「良いもの」に金を消費する事は、根本的に正しく、それは露悪的でも何でもない。それでいいのだ。
 では、なぜ人はこれらに対して品がない、悪趣味、成金趣味だと感じるのか。
 ひとつは間違いなく「妬み」「僻み」「嫉み」だ。悲しいかな。人は手に入らない幸福に対し、「あんなものは真の幸福ではない」というルサンチマンを引き起こす。
 つまり、金持ちは悪どいに決まっている、とか、権力者は悪人だなんて、食べられない葡萄は酸っぱいに決まっている、という感情で自分を慰める。そう言った感情は誰にでもある事だろう。
 特に、日々の食事という「消えもの」に大金をはたくのは勿体ないという部分もあると言える。
 だが、小学生が日々の小遣いの使い方に悩むのと同じで、誰しも、自分の収入が10倍、100倍ともなれば、些細な金額は気にしなくなるものだ。
 わかりやすく言えば、500円の惣菜を買う事に迷いがあっても、50円の惣菜なら気にせずに買うし、5円の惣菜なんて追加しても気付かないレベルでしかない。
 しかし、悲しいかな世間の大半を占めるのは、500円の惣菜を買うか否かで悩む庶民なのである。
 例えば、100円の肉と、1,000円の肉と、10,000の肉が並べられていた場合、金持ちにとっては1,000円も100円と変わらないし、大金持ちには10,000円も100円と大差ない訳だ。
 だがここで収入の話を持ち出したい訳ではない。
 より良いものを手に入れるために、より高額の代金を支払うか。焦点はここだ。
 10円の駄菓子を10個買うか、100円の菓子をひとつ買うのか。ここで、100円の菓子を買うのがグルメかと言われると、そうではない。
 美食の本質は「食べたいものを食べたいように食べる」はずである。
 別に10円の菓子を美味しいと思えばそれが正解だし、100円の方が美味いと感じるならそっちを買えばいい。量も味のうちである。食べたい方を選ぶべきだ。
 では、食い物に対して大金をはたく事に露悪性を覚えるのは何故か?
 これは単純に費用対効果の問題であると言える。
 つまり、値段が3倍なのに、味が1.1倍だとすると、そこに金を払う価値があるか、という壁にぶち当たるのだ。
 味の評価は極めて個人的なものなので、正確な数字を出す事は出来ない。しかし、値段が3倍、味も3倍なら文句は出ないはずである。
 しかし、現実と言うのは厳しいもので、値段が倍で、品質が3倍なんてケースはほとんど存在しない。
 むしろ、値段は加速度的に上がる一方で、品質や味は次第に横ばいになる。つまり、値段は指数関数的に上がるが、味は逆関数。一定の所までは品質の向上が如実だが、途中から品質の増加は1.01倍、1.001倍と緩やかになる。
 ならば、この僅かな上昇を求めるのがグルメなのか。
 だが、それでも上がっているなら上等で、現実はと言うと「ブランド」や「謳い文句」に「立地条件」などが加わり、味は¥1,000のモノに劣るのに、値段は4倍なんて事はザラにある。
 つまるところ、消極的な発想になるが、グルメとは、費用対効果の高さを求めるのではなく、費用対効果の低さを避けるものなのではないか。
 そんな風に考えてしまうのである。
 別に、ブランドを否定するつもりはない。ブランドが築いた歴史や信頼も、広義で言えば味のひとつである。
 価格ではなく、手に入れやすい「お求めやすさ」も重要だ。どれだけ美味しくても、まるで手に入らないのでは話にならない。
 だが、美食の本質は舌が感じる悦びではなかろうか。それこそが本質ではなかろうか。そのようにも考えてしまう。
 つまり、美食の基準とは味をフラットにして感じるために、「代金ゼロで食べ比べた時にどちらを美味しいと思うか」という難題に挑む事になる。
 更には「料理の詳細を伏せて食べる」「説明を受けた上で食べる」という二極が生まれてしまう。
 そして「ちゃんと代金を支払って食べる」という3パターンからのアプローチが必要になってくるのではないか。
 美食の真髄とは「価格」や「情報」を含むのか、それとも「舌で感じる味」だけが正しいのか。実に悩ましいところである。
 だが現実では、そこまで脳を働かせる話でもない。何故なら、庶民の財布は限られているからだ。
 結局は、限られたリソースから取捨選択をするしかないのである。
 さて。その中で色々と取捨選択をしていくと、バッサリと切り捨ててしまった方がいいモノが見当たる訳だ。
 それがデパートの地下食料品売場である。
 先に断っておくが、デパートの地下食料品売場の商品が全部ダメだと言っている訳ではない。特に肉や魚、野菜は別だ。これらの生鮮食品の品質は悪くない。問題は弁当や惣菜である。
 申し訳ないが、コンビニの弁当に眼を見張るような美味い商品はあるだろうか。無論、ゼロではないだろう。しかし、その確率は限りなく低い。
 こう言うと、コンビニ弁当とデパートの弁当を同列に語るな。と言う声が聞こえて来そうだが、最後まで聞いていただきたい。
 コンビニ弁当は決して安くない。立地条件や人件費が嵩むため、少々割高になる。
 デパートはそれに輪を掛けて割高になるのだ。ブランドや安心感を差し引いた時、味のみで勝負をすると、価値のある商品はほとんど残らないのである。
 いや、わかっている。これにも反論が付くことだろう。
 確かに、コンビニ弁当よりは美味しい。しかし、値段分の味が上昇しているかと言うと返答に困るのである。
 これは「おせち料理」の時にも述べた話だが、残念ながら、デパートの弁当や惣菜は、そのほとんどが「出来合い品」なのである。
 つまり、少々質が上がっているケースもあるだろうが、大差がないと言うか、はっきり言ってしまえば、スーパーマーケットやコンビニと同じものが提供されていたりするのだ。
 残念だが、全国のデパートに出店しているような店は、工場製品である。
 例えば、弁当の中の惣菜を全て自社で製造している店なんてのは皆無と言えるだろう。漬物やドレッシングなどはそのほとんどが既製品を使用している。
 そして、自社のセントラルキッチンで制作している場合でも、pHなどの安全基準を満たす必要があるため、一般的な既製品との差がなくなってしまう。同じとは言わないまでも、大差はないのである。
 誤解なきように繰り返すが、既製品が悪い訳でも、不味い訳でもない。単に、そこにデパート価格が上乗せされるなら、その価値が感じられない、と言っているだけだ。
 例えば、その場で揚げているフライ物などは、ある程度の価値があるだろう。しかし、揚げ物の味は時間とともに低下する。つまり、持ち帰る間にどんどんと質の下がる揚げ物に、どれほどの価値があると言うのだろう。
 更に言ってしまえば、全国のデパートに出店するだけの規模ともなれば、調理をしているのは腕の立つ料理人とは限らない。むしろ、パートタイムの人材である。
 例えば、デパートの中でも条件が変化しにくい食品として「パン」が挙げられるが、やはり腕のいいパン職人が焼いている事は少なく、アルバイトが焼いていたりする訳だ。
 こうなると、雨が降っただけでパンの焼き上がりが大きく変化してしまう。
 どうだろう。この条件で、デパート価格を上乗せする価値はあるだろうか。いや、無論、県外の話題の店の商品が手に入る、と言うような価値はあるが、味を純粋に判断すると、やはり価値が感じられない。
 逆に、品質がある程度は確保されている物として、ケーキなどのデザートがある。
 デザートの基本は揺るぎないレシピの再現だ。つまり、工場で作ろうとも、セントラルキッチンで作ろうとも、デパート内で作ろうとも、その振れ幅が小さい。
 他には、白米である。
 米と言っても、炊く前の白米ではない。こちらも美味いが、デパート価格なので特にお得という訳ではない。
 デパートで価値のある食材として、弁当に入っている米が挙げられる、という話だ。白米ではなくとも、おにぎりやいなり寿司なども含められる。
 肉や魚、野菜などは味付けで品質を誤魔化せる部分が大きい。
 しかし、白い御飯は誤魔化しが効きにくいのである。しかも、日本人は米の味に敏感だ。作る側もそこは気をつけねばならない。
 そう言った理由から、デパートで買う価値が高いのは、デザートと米である。
 だが、デザートはともかく、デパートで炊いた米だけを売っているケースは少ない。
 では、どうするか。
 少々ギャンブル要素を含むが、オススメの方法がある。
 閉店時間間際のデパートに行くのだ。
 そうすると、デパ地下の弁当が30%ほど割引されている可能性が高い。
 こうなると、コンビニ弁当より美味いものが、コンビニ弁当より安く買えるのである。
 基本的に何でも、金か手間暇を掛けるしかないが、デパ地下弁当は「暇」を掛けて手に入れるしかない。

 ※この記事は全て無料で読めますが、デパ地下が好きな人もそうでない人も、投げ銭(¥100)をお願いします。
 なお、この先にはワタクシの本音しか書かれてません。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。