ブルーノ・ラトゥールのアクターネットワーク理論(ANT)を読む(2) <厳然たる事実> と <議論を呼ぶ事実>
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ブルーノ・ラトゥールのアクターネットワーク理論(略してANT)は、異なる二つの世界、異なる二つの意味作用を生きる、複数の人間、複数の生命、そして複数の「モノ」の関係を理解する手がかりとなる。
ブルーノ・ラトゥールのアクターネットワーク理論とは何か?
これについてはこちらのnoteで解説をしているが、今回は特にラトゥールを理解する鍵となる「もの」の概念に注目して『社会的なものを組み直す』を読んでみよう。
※参考文献はこちら。
本note中の参照ページ数はすべてこちら↓の本からである。
「もの」は、それ自体として存在するか?それとも…
今回はラトゥールにおける「もの」ということの考え方をみてみる。
ラトゥールは「ものにとても面白い概念へと再構築する。
モノといえば素朴な日常的なことばの意味においては「自然」であり、自然科学によって記述される「それ自体として厳然と存在する事実である」と見られてきた(『社会的なものを組み直す』p.206)。
例えば、いま私の前の前に転がっている小石は、私以外の誰に持っても同じ小石であり、他の場所に持っていってもやはり同じ小石であり、いつ、どこで、だれが、それを観たり手にとったりしても、やはり同じ小石である。
小石は、人間や他のモノとは何の関係もなく、それ自体として存在している…。という考え方。
これは当然のこと、自然なことと思われるかもしれないが、ラトゥールによればそうではないのである。
議論を呼ぶ事実
ものを「それ自体として厳然と存在するもの」とする考え方もまた、そのような記述を行う人間の営みの効果である。
そういう「<厳然たる事実>」に対して、ラトゥールは「<議論を呼ぶ事実>」というものをおく。
即ち、「<厳然たる事実>のすべてを集めたものとされている「自然」」とは、アクターネットワーク理論(ANT)の中では「議論を呼ぶ事実」として扱われるのである。
アクターネットワーク理論でいう行為に関わる「もの」は、自然科学的な対象として客観的に存在するようになる「以前」の場所から捉えられる。
ラトゥールは次のように書く。
アクターのネットワークに与する様々な「もの」は、すでに決まりきった「厳然たる事実」ではなく、実はあくまでも「議論を呼ぶ事実」である。
ラトゥールは自然科学の対象もまた、ある対象を対象として記述し、他のものやひとと結びつける社会的な行為の中で捉える。
事実は即自的に存在する所与のものではなく「何よりも複雑で、何よりも精巧で、何よりも集合的なこしらえ物」であると考えるのである(p.211)。
このことは「すべてが虚妄にすぎない」ということではなく、虚妄であるがゆえに省みるに値する価値がない、ということでは全くない。
厳然たる事実だと思われていたものが、実は議論を呼ぶ事実であったということ。このことは「実在性を探し求めれば、単一性と議論の余地のなさが自動的に得られるわけではない」ことを明らかにする。そうして「物事そのものを複数的なものとして展開できる」ようになる(p.220)。
もの(議論を呼ぶもの)を媒介子として記述する
ものを「議論を呼ぶ事実」のままにすることで、アクターネットワーク理論は、モノに「一人前のアクターとして光を当て」るのである(p.136)。
そうして多数の「議論を呼ぶ事実」がネットワークの中に浮かび上がることで、「働いているアクターの種類を増や」すことができるようになる。
こうした「議論を呼ぶ事実」は、<厳然たる事実>のように素朴にそれ自体としてその辺に転がっているものとは考えられない。「議論を呼ぶ事実」は、多重の「翻訳」を通じて浮かび上がるものである。
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ここで議論を呼ぶ事実としてのモノは、中間項ではなく媒介子として、予測不可能な変換、翻訳を引き起こすのである。
<厳然たる事実>からなる単数形の世界から、<議論を呼ぶ事実>>の複数形の世界に移行する。
このことをラトゥールは「科学」から「活動中の科学」への移行と表現する。
科学の対象が「厳然たる事実」であり、活動中の科学の対象が「議論を呼ぶ事実」である。
科学が作り出す「厳然たる事実」が「実在性への無頓着」と自然の概念による「単一化」の中で止まってしまうのに対し、活動中の科学は、事実をあくまでも「議論を呼ぶ事実」として保ち続け、実在性を問い、複数性への変容を、問い続けるのである。
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ラトゥールによれば、アクターネットワーク理論における「ネットワーク」とは、まさにこのそれぞれが「議論を呼ぶ事実」であるモノたちが、「一人前の媒介子として扱われる行為の連鎖」のことである(『社会的なものを組み直す』p.243)。
中間項としてではなく、媒介子として扱われるモノたちが引き起こす、行為の、連鎖、それがネットワークである。
ANTの「ネットワーク」では、アクターは「中間項ではなく媒介子として」、「効果や影響を変換せずにただ移送するのではなく、分岐点になったり、出来事になったり、新たな翻訳の起源になったり」するものとして、記述されることになる(『社会的なものを組み直す』p.243)。
そしてこの「新たな翻訳」としての記述の試みを開き続けることが、ANTの仕事なのである。
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