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文化人類学がおもしろい

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わたくしコミュニケーションを専門とする博士(学術)の筆者が”複数の他者のあいだのコミュニケーションを記述すること”という切り口から文化人類学の文献を読んで行きます。 わたしは文… もっと読む
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アクターネットワーク理論を意味分節理論で読む 〜記述の可能性を発生させる非同非異の媒介子

ここ数年、井筒俊彦氏の著作を日常的に読んでいるためか、近頃ではなんでも意味分節理論として読める。アクターネットワーク理論もまた意味分節理論として読める。 * 「として読む」などというと、なにやら曲解、誤解、誤読、事実のねじ曲げ、捏造、偽造、詐欺などなど、要するにマナー違反やルール違反、犯罪スレスレのことをしているというふうに捉えられることがある。確かに、その通りの場合もあるし、そうでもない場合も稀にある。 として読む ー正しい読みと正しくない読み「として読む」が妙な感じ

区別・分節作用それ自体の象徴としての"精霊"へ -中沢新一著『精霊の王』を精読する(4)

中沢新一氏の著書『精霊の王』を精読する連続note。その第四章「ユーラシア的精霊」と第五章「縁したたる金春禅竹」を読む。 (前回はこちらですが、前回を読んでいなくても大丈夫です) 精霊の王というのはその名の通り「精霊」の「王」である。 精霊には古今東西色々なものが居り、人類によってさまざまな名で呼ばれてきた。精霊は多種多様でさまざまな名を持っている。 しかし、そうした精霊たちの間には、違い=差異が際立つばかりでなく、同時に相通じるものがある。特に精霊の「王」、数いる精

両義的媒介項としての宿神 -中沢新一著『精霊の王』を精読する(2)

中沢新一氏の『精霊の王』を精読する連続note。 第一章「謎の宿神」を読む。 ◇ 「侍従成通卿と言えば、比類のない蹴鞠の名手と讃えられ…」(『精霊の王』p.4) この一節から始まる第一章は「蹴鞠」の話である。 「精霊の王」たるシャグジ−宿神は、日本列島に国家が成立する遥か以前から祀られてきた神である。 その精霊の王の話をするのに、なぜ国家が成立して数百年を経た後の時代の芸能のことから始めるのか? 実は日、本列島が国家の「国土」となりその地表の大半の領域からシャグ

潜在眼で心の深層を「見る」/卵の殻としての言語 -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(5)

中沢新一氏の『精神の考古学』を引き続き読む。 精神の考古学。 私たちの「心」は、いったいどうしてこのようであるのか。 私たちが日常的に経験している「心」は、よい/わるい、好き/嫌い、ある/ない、真/偽、結合している/分離している、同じ/異なる、自/他、といった二項対立を分別するようにうごいている。通常「心」というと、こういう識別、判別、判断を行うことが、その役割であるかように思われている。 しかし、こういう分別する心、分別心は、いったいどこからやってきたものだろうか。

分別する眼と無分別の眼を共鳴させる -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(4)

中沢新一氏の『精神の考古学』を引き続き読む。今回は、第五部「跳躍(トゥガル)」を読んでみよう。「トゥガル(跳躍)」とは、「青空と太陽を見つめる光のヨーガ」である(p.175)。 「光」を「みる」、視覚のモデルこのヨーガを修することで、あるとても不思議な「光」を「みる」ことができるようになるという。 * 通常、「見る」といえば、感覚器官である「眼」に「外界」からの「光」が「刺激」として入力され、それによって神経系に電気的化学的な変化が生じる。その変化がつまり神経系において

執着の源である”言語”を「心の解放」のために転用する -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(3)

中沢新一氏の『精神の考古学』を引き続き読む。 『精神の考古学』 第五部「跳躍(トゥガル)」の冒頭、中沢氏は師匠から授けられた言葉を紹介する。 ベスコープというのは映画のことである。映画を見るのはとても楽しい体験である。感情を喚起され、いろいろなことを考えさせられる貴重な機会である。 中沢氏がネパールでチベット人の先生のもとで取り組んだ修行にも、「光の運動をみる」ヨーガが含まれている。このヨーガで光が見えることと映画を見ることとは、視覚が動くという点ではよく似た体験である

鶴の恩返し?!「神話」から神話の外へ -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(62_『神話論理3 食卓作法の起源』-13)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第62回目です。これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 鶴の恩返しの八項関係一年生になったばかりの下の子が、学校で「鶴の恩返し」のお話しを聞いてきたという。 そして次のように尋ねてきた。 ん? わたしに聞くと、ちょっと、話、長くなるよ? どうして見ちゃいけないというのか? どうして見られたら逃げるのか? こ

神話の「構造」はダイナミックで生成的である -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(61_『神話論理3 食卓作法の起源』-12)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第61回目です。これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 ちょうど中沢新一氏によるレヴィ=ストロース論『構造の奥』を読んでいるところ、ということで、今回の『神話論理』精読は、「構造」にフォーカスしてみよう。 神話の論理をどのようにモデル化するかこれを書いているわたしがレヴィ=ストロースを読み、わたしなりの読みの補助

中沢新一著『構造の奥』を読む・・・構造主義と仏教/二元論の超克/二辺を離れる

中沢新一氏の2024年の新著『構造の奥 レヴィ=ストロース論』を読む。 ところで。 しばらく前からちょうど同じ中沢氏の『精神の考古学』を読んでいる途中であった。 さらにこの2年ほど取り組んでいるレヴィ=ストロース氏の『神話論理』を深層意味論で読むのも途中である。 あれこれ途中でありますが、ぜんぶ同じところに向かって、というか、向かっているわけではなくすでに着いているというか、最初から居るというか。 ようは同じ話なのであります。 すでに「ここ」に「すべて」が「ある」の

分別心と「霊性」/中沢新一著『精神の考古学』を大拙とあわせて読む

鈴木大拙は『仏教の大意』の冒頭、次のように書いている。 私たちは感覚的経験的に、なんとなく、自分を含む自分の周囲の世界はいつも同じ、昨日と今日も一続きで、ずっとおなじ一つ世界であるような感じがしている。 しかし、実は気づいていないだけで、世界は二つである、と大拙は書いている。第一に「感性と知性の世界」、第二に「霊性の世界」。 感性と知性の世界とは、通常、素朴に実在する客観的な世界だと思われているもので、確かに固まって、誰にとっても同じ、どっしりと安定した重たいものだと思

不老不死の妙薬/語への執着を断つ妙薬 -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(59_『神話論理3 食卓作法の起源』-10)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第59回目です。これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 今回は、前回の記事の続きです。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。と、いつも書かせていただいているが、今回に限り、前回を読んでおくことをお勧めします。と、書こうかと思いましたが、やっぱり前回を読んでも読まなくてもいいです。線形に読んでもいいし、線形に読まなくてもいいです。 * 前回の記事の最

「三枚のお札」と「かぐや姫」は同じ話?! -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(58_『神話論理3 食卓作法の起源』-9)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第58回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 まさかそんな「三枚のお札」と「かぐや姫」は"同じ話"である。 まさか、そんなはずないだろう! またいい加減なことを書いている! と憤慨される向きもあるだろうが、ところがまさか、神話論理という観点からすれば、この二つは「同じ」なのである。 もちろん、かぐ

中沢新一氏の新著『精神の考古学』を読み始める

中沢新一氏の新著『精神の考古学』を読んでいる。 私が高専から大学に編入したばかりの頃、学部の卒研の指導教官からなにかの話のついでに中沢氏の『森のバロック』を教えていただき、それ以来中沢氏の書かれたもののファンである。また、後に大学院でお世話になった先生は中沢氏との共訳書を出版されたこともある方だったので、勝手に親近感をもっていたりする。 中沢氏の書かれるものには、いつも「ここに何かがある」と思わされてきて、特に『精霊の王』、『レンマ学』、『アースダイバー神社編』は丸暗記す

中沢新一氏の新著『精神の考古学』を読み終える

中沢新一氏の新著『精神の考古学』を読む。 三日間かけて最後のページまで読み終わる。 というわけで、これから二回目を読み始めよう。 前の記事にも書いた通り、わたしは中沢新一氏の著作のファンで、これまでもいろいろな著書を拝読してきたが、この『精神の考古学』も鮮烈な印象を残す一冊でありました。 最後のページから、本を閉じた後も、いろいろとめくるめく言葉たちが伸縮する様が浮かんでは消えていく。 この『精神の考古学』の読書感想文だけで100万字くらい書けそうな気がするが(1万字