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神話の「構造」はダイナミックで生成的である -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(61_『神話論理3 食卓作法の起源』-12)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第61回目です。これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 ちょうど中沢新一氏によるレヴィ=ストロース論『構造の奥』を読んでいるところ、ということで、今回の『神話論理』精読は、「構造」にフォーカスしてみよう。 神話の論理をどのようにモデル化するかこれを書いているわたしがレヴィ=ストロースを読み、わたしなりの読みの補助

AI、曼荼羅、深層学習。神話論理と言語の未来 -人間もしくはAIが「言葉の意味を理解する」とは

チャットAIの知性と、人類の知性ChatGPTの登場をきっかけに対話型の文章生成AIが注目を集めている。 わからないこと、知りたいことを対話型のAIに質問でも相談でもすれば、まるで親切でポジティブな人間のように的確な文を返してくれる。 例えば「○○とは何か?」式の質問(つまり「○○とはXXです」と答えることができる質問)や、学生のレポートや仕事の資料に使う文章やメールの文案といった、いままで私たちを「はて、どう書いたら良いものか…」と日々悩ませ、生産性と称されるものを低下

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”GPT”の向こう側/目に見え耳に聞こえる言語の壁に穿孔するキツツキのリズム -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(30_『神話論理2 蜜から灰へ』-4)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を意味分節理論の観点から”創造的”に濫読する試みの第30回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 最新の記事ほど濫読が激しさを増すので、これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 この一連の記事では、レヴィ=ストロース氏の神話論理を”創造的に誤読”しながら次のようなことを考えている。則ち、神話的思考(野生の思考)とは、Δ1とΔ2の対立と、Δ3とΔ4の対立という二つの対立が”

太陽の娘とキツツキの結婚における波動関数の収縮 -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(31_『神話論理2 蜜から灰へ』-5)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を意味分節理論の観点から”創造的”に濫読する試みの第31回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 この一連の記事では、レヴィ=ストロース氏の神話論理を”創造的に誤読”しながら次のようなことを考えている。則ち、神話的思考(野生の思考)とは、Δ1とΔ2の対立と、Δ3とΔ4の対立という二つの対立が”異なるが同じ”ものとして結合すると言う

GPTの"P"にマンダラ状の確率分布を描くβ脈動を組み込む -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(32_『神話論理2 蜜から灰へ』-6)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を意味分節理論の観点から”創造的”に濫読する試みの第32回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 この一連の記事では、レヴィ=ストロース氏の神話論理を”創造的に誤読”しながら次のようなことを考えている。則ち、神話的思考(野生の思考)とは、Δ1とΔ2の対立と、Δ3とΔ4の対立という二つの対立が”異なるが同じ”ものとして結合すると言う

言語「生成」の究極へ -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(番外編)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を意味分節理論の観点から”創造的”に濫読する試みの第33回目ですが、今回は「番外編」として、言語の「生成」について書いてみました。 言語の生成といえば、まさに「生成AI」。 人間が生成する言語 AIが生成する言語 あるいは、言語それ自体が生成する言語(?!) その違いについて考えてみたいと思います。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけ

蛙が飛び込むと、天地が開闢する -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(33_『神話論理2 蜜から灰へ』-7「カエルの祝宴」)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を意味分節理論の観点から”創造的”に濫読する試みの第33回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 この一連の記事では、レヴィ=ストロース氏の神話論理を”創造的に誤読”しながら次のようなことを考えている。則ち、神話的思考(野生の思考)とは、Δ1とΔ2の対立と、Δ3とΔ4の対立という二つの対立が”異なるが同じ”ものとして結合すると言う

蜂蜜の喪失から世界がはじまる -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(34_『神話論理2 蜜から灰へ』-8)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第34回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 この一連の記事では、レヴィ=ストロース氏の神話論理を”創造的に誤読”しながら次のようなことを考えている。則ち、神話的思考(野生の思考)とは、Δ1とΔ2の対立と、Δ3とΔ4の対立という二つの対立が”異なるが同じ”ものとして結合すると言うために、β1からβ4ま

「カエルの息子はジャガーであった」 ?!/ことばの環を閉じる -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(35_『神話論理2 蜜から灰へ』-9)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を意味分節理論の観点から”創造的”に濫読する試みの第35回目です。 これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。 これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。 この一連の記事では、レヴィ=ストロース氏の神話論理を”創造的に誤読”しながら次のようなことを考えている。則ち、神話的思考(野生の思考)とは、Δ1とΔ2の対立と、Δ3とΔ4の対立という二つの対立が”異なるが同じ”ものとして結合すると言う

目まいに効用があるとすれば -武田泰淳『目まいのする散歩』を読む

わが家の上の子どもが4月から小学生になった(おめでとう)。 このことを人に話すと「ご自分の小学生の頃のことを思い出すでしょう」などと言われたりする。 * あいにく、私自身の小学生の頃の記憶を言葉にするなら、ただただ「体調が悪かった」の一言に尽きるので、楽しいとか楽しくないとか、好きとか嫌いとか、行きたいとか行きたくないとか以前の問題だったように思う。そういうことを感じたり思ったり考えたりする以前に、微妙な脈と、頭痛と目まいでくらくらしているうちに時間が過ぎていったように

言い換えを試す余地を無力な個人にも ー読書メモ:『声の文化と文字の文化』と『ピダハン』

ウォルター・J・オング氏の『声の文化と文字の文化』という本がある。 私がこの本を最初に読んだのは大学生の頃だった。当時、電子情報工学系の学部に属していながら、人文系の「メディア」の理論に興味を持ち始めたところだった。 電子情報の技術を開発しようとする場合、通信機と通信機の間で信号を送ることが課題になる。送信側の機械が作り出した「電気」のパターンを、受信側の機械でいかに正確に再現するか、そのための技法を探求するのが仕事である。 ところが私はあろうことか、通信機の「端末」の

意味は「線」である―ティム・インゴルド『ラインズ 線の文化史』(3)

ティム・インゴルド氏の『ラインズ 線の文化史』。 人類とは?、人類の文化とは?、特に来たるべき文化についての知とは? 「線」ということに映し出して、そうした問いを立てる試みである。 インゴルド氏が「線」ということで何を考えようとしているのかは、こちらのnoteに書いた。 線には「まがりくねった徒歩旅行の軌跡」のようなものから、「透明な直線」まで、様々なものがある。 そして多様な線の中で、特にどういう線が、あるべき理想的な線なのかという線についての理念が、ある時代、ある

「線」としての言葉。声の線、手書き文字の線、印刷文字の線 ―ティム・インゴルド『ラインズ 線の文化史』読書メモ(2)

ティム・インゴルド氏による『ラインズ 線の文化史』の読書メモ、先日のnoteの続きである。 ラインズとは線のことである。 ご存知、ペンを紙の上に走らせた時にできる、あの線である。 線には二種類があると、ティム・インゴルド氏は書く。「軌跡」と「連結器」である。これについてはこちらのnoteにも書いたが、改めて整理すると、次のような具合である。 まず「軌跡」とは「踏み跡を追跡する徒歩旅行」の途上で刻まれる線である。一方、「連結器」は、「地図を与えられた航海」が辿る線である。

詩の言葉/小説の言葉/「ひとつの臓器のような詩」−読書メモ:大江健三郎『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』

 大江健三郎氏に『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』という短編集(中編集?)がある。  その冒頭「なぜ詩ではなく小説を書くか、というプロローグと四つの詩のごときもの」において、大江氏は「詩の言葉」と「小説の言葉」を区別し、対立させ、その差異を際立たせる。  小説と詩、言葉の「ふたつ」の姿が交わるところに、言葉が言葉として「ひとつ」である姿を浮かび上がらせる。言葉は、ふたつでありかつひとつであり、動きつつその静止した姿を演じる。 実質と機能 大江氏は、言葉を「実質」と「機

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