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それでも、映画は美しい 映画「恋人たち」

現実が何かとかどうとか言うことが愚劣なこととしか思えないほど、本当の実際の現実は苛烈で熾烈で残酷で、そして、冷酷だ。現実の前では言葉は無力だ。言葉だけではない、あらゆることが、全てが無力だ。全部が全部、全てが全て、無意味だ。死んだ者たち、灰になった者たち、姿が消えてしまった者たち、彼ら、彼女らが蘇るわけではない、生き返るわけではない、姿を現すわけではない。彼ら、彼女らは二度と生きることはなく、二度と生身の体を持つことはなく、二度と姿を現すことはない。それが現実だ。それがわたしたちの現実だ。それがわたしたちが生きている現実だ。逃げ出すことも取り換えることも知らないことにすることもできない、目を背けたくても背けることさえできないわたしたちの現実。吐き出す言葉さえ吐き出すことが出来ずに「飲み込むことしかできない」わたしたちの現実。その現実の中で、人間たちは罵り合い傷つけ合い血を流し合う。飢えた獣たちとして。

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映画「恋人たち」は現実そのものだ。現実の中の人間という獣たちの物語。

「なぜ、世界はこれほど残酷なものなのか?」

その問いにこの映画は答えを出そうとする。それが如何に困難なことであろうとも、如何に無謀なことであろうとも、それを行うことが、映画が映画であることの根拠であるかのように、その問いに答えようとする。映画が映画として存在し、映画が映画として観られるべき存在であるその理由がそこにあるかのように、その問いに答えようとする。その答えることが不可能な問いに、誰もが思い誰もが一度は叫ぼうとするその問いに、しかし、誰もが口にすることをためらうその問いに、この映画は答えようとする。映画が映画として存在するために、そうしなければならないことが必然であるかのように。

映画「恋人たち」はそうした映画だ。何処にでもあるような映画ではない。見つけ出すことが難しい映画だ。できれば見なくて済ませたい映画なのかもしれない。なぜなら、その問いに答えなど存在しないことがわかっているからだ。その問いに答えようとすることは自分自身の傷から再び血が滴り落ちることだからだ。その問いが自身の体を切り裂くからだ。しかし、それでも、この映画が存在することに、私はただ一つの言葉を捧げたい。

それでも、映画は美しい

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