言うほど人は身勝手な生き物じゃないよってお話
組織とか、変革の話になると、「変わらない中高年」とか「ミドルが変革を阻害する」ってワードが出てくるけど、人間って心底からの悪者はいないし、みんな「自分の正義」の中でもがいているんだよ、って話を書きたいと思います。
よくね、組織変革の話をしていると、「抵抗勢力が〜」とかいう話が出てくるし、芸能人のスキャンダルとかでも「マスゴミが〜」なんて話をよく聞くけど、それって逆の視点からしたらどうなのかな?ということを考えてほしいな、、、という事を原田の目線で書いていきたいと思います。
まずはみなさんにとってわかりやすいマスコミの正義感。これって、我々一般市民とはかけ離れていると思うけど、多分、マスコミの世界観にどっぷり浸かっている人からすると「我々が真実を暴かねば、誰が真実を追い求めるのだ!」みたいな正義感に駆られていると思うんですよね〜。
だからこそ、一般人にとっては「有名人だって人間なのに、それを貶めて何が楽しいの?」と思うのだが、彼らからしてみれば「それが自分たちの使命!」と思って、行き過ぎた報道なんかをしているのでしょう。(そちらの世界にいたことはないので、完全に想像ですが、、、)
それと同じように社内の中の変革だって、変革への抵抗勢力と呼ばれている人たちだって「俺たちがココで行き過ぎた改革を止めなければ、誰がブレーキを踏むんだ!」と思っているハズ。(想定ですけどね)
そう、改革派の人たちは、自らが「俺たち/私たちが絶対的に正義!」と思っているかもしれないけど、それと同じくらいの熱量で、抵抗勢力と呼ばれている人たちも「俺たち/私たちが今までの伝統を守るべき!」と思っていると思うんですよね〜。
ネットミームで有名な「正義の反対は悪、ではなく、正義の反対は別の正義」ってヤツなんですよ。きっと
(実際にはそういったセリフは無いらしいのですが、、、)
こういう話をすると、「そんなことはない!抵抗勢力は既得権益を守りたいから反対しているだけだ!」みたいな話が出てくるんですけど、本当にそうでしょうか?
自分に置き換えて考えてみましょう。そんなに「自分自身に不利になること」に関して、全集中で抵抗できるでしょうか?
例えば、「明日の子供達のためにあなたの給与から月額10,000円が否応なく差し引かれます」と言われた時、そりゃ許可なく勝手に引かれるのはムカつくけど、その目的自体には反対することはないでしょう。(金額については賛否両論あるでしょうけど)
同じような文脈で、「自分の利益だけの最大化できること」に関しても、すべての周りの犠牲を顧みず行動できる人もいないでしょう。そう、通常の行動って、誰かが利益を得ると、他の誰かの不利益を被ることが多いんですよね〜。だからこそ、「他の人の利益/不利益」を考えると、そんなに自己中心的には生きられない。と私は思うんです。
ビジネスパーソンなら聞いたことがあると思う「マズローの5段階欲求」ってあるじゃないですか?あれをジックリみたことありますか?
あれを見ると低位の方には動物として生きるための生理的欲求や安全欲求があるけど、それを満たされると、次の欲求に上がるようになりますよね?そう、欲求のレベルが上がると、自分一人だけが良ければよい、と思うような人間は少なくて、人間という群れをなす動物の性質上、どうしても社会的欲求、すなわち「誰かに認められたい」という想いが強くなってくるんです。
人間は突き詰めれば「社会性のある動物」です。なので、マズローの欲求にあるように、自分が満たされたら、社会の中に溶け込みたい。組織の中で認められたい、という欲求が出てくるのだと思います。
(極稀に自分のことだけしか考えないサイコパスな人がいるかもしれませんが、それは外れ値ということで一般論では外しておきましょう。)
つまり、「心底悪い人」なんて存在しないし、逆にいうと「完璧な聖人君主」なんてのも存在しないのでしょう。
そうなると、今の日本の平均的なサラリーマンであれば、改革派だろうが、保守派だろうが、そこにあるのは「社会や組織に認められたい」という欲求があるのだと思います。(本当に生活に困窮している人は、マズローの5段階欲求の基礎が満たされてないので、そこは別問題として)
私の仮説ですが、「改革派」も「保守派」も、自分たちの価値観の幅が視野狭窄している。という可能性が高いのではないでしょうか?
世の中には多種多様な組織があるし、多種多様な価値観がある。でも、その存在って、一つの組織に属していて、一つの価値観しか経験していない場合、知る方法がないですよね?
そう、人間は「知りたいものしか認知できない」という生き物なので、どうしても自分の仮説の範囲内でしか判断できないんですよ。
これって、原田が勝手に提唱しているわけではなく、「認知バイアス」と呼ばれている、あらゆる人類の思考の癖を論理化したものの一つにある「確証バイアス」の中で説明されているんですよね〜。
この「確証バイアス」難しいのは、自分自身で認知していても中々補正ができないというところ。そう、「バイアス」なんで、元々補正することが無理ゲーなんですよ。
でもね、私自身の経験から言えるんですが、価値観の多様性を知るためには、「バイアス」を補正するのではなく、「バイアス」が存在する、と認識することが第一ステップだと思うんです。
解消バイアスを認知する具体的な手段としては、まず「知らない場所or人に会うこと」だと思うんです。最近流行りの言葉で言うとすると「越境学習」ですね♪
正直、自分と違う価値観を知る、ということ自体がインセンティブが働かないとできないし、そもそも知らない世界に飛び込むって、結構な勇気が必要なことですよね。「コミュニケーションお化け」と異名を持つ私だって、本音で言えば、自分の殻に閉じこもって生きていけるなら、そうしたいですよ。
ただ、この「違う価値観」を知っておかねば、今後のフラット化した世界の中で生きるのは難しくなることでしょう。
なぜならば、今までは高度成長社会ということで、他人に押し付けられた価値観の中で生きていれば、幸せに生きていけたのですが、今や高度成長どころか、高齢化&没落社会と言っても過言ではないでしょう。
ちょっと言い過ぎかもしれませんが、「成長こそが正義!」みたいな価値観の世界でもなくなっていると思います。
フリーランスや経営層の人は、その危機感を実感を持って感じていると思いますが、同一組織、同一価値観の中で育ってきたサラリーマンには、いきなりワケもわからない多様性の世界に飛び込むのは大変でしょう。そこでオススメなのが、同じサラリーマン同士で意見交換することが出来る場に飛び込んでみることです。
私のオススメは「組織変革lab」です。働き方関連の書籍を数多く執筆している沢渡あまねさんが講師をしているので、オススメです。
※有料ですが、逆に有料なので変な勧誘や営業もなく、参加できます。こういう有料コンテンツに参加できるのがサラリーマンの特権ではありますね。
で、おそらくココまで行動を起こして、自分の価値観をアップデートするのって、基本的に「改革派」の人が多いと思うんですよね〜。
そうなると、このnoteを見ている人の中には、「保守派」の人に多様な価値観を理解させるにはどうすればイイんだ!という意見もあるかと思いますが、ここではその話は割愛させてください。(それだけで10万字のnoteを書ける自身があるwww)
よく言われるじゃないですか、他人の心は変えられないって、、、なので、私は「今の」改革派である皆様にもう一つだけストーリーをお伝えして、こちらのnoteを閉めようと思います。
ん?なんで「今の」って但し書きした?とお思いでしょう。そう、皆様は「今」は改革派かもしれませんが、近い将来は「保守派」に回る可能性も十分にはらんでいるんです。
なぜなら、皆さんが「保守派」と言われる50代〜60代の方々の若い頃ってどうだったのでしょうか?想像してみてください。
そう、業務にFAXやパソコンが導入し始めたり、今までの紙と鉛筆、卓上計算機の仕事のやり方から、パソコンを使った効率的な仕事のやり方に変えていった。その当時の「改革派」だったんですよ。
おそらくその頃は「パソコンなんて信頼できない!手計算で全部調べるのがエンジニアだ!」とか「図面は手書きで書くもの!CADなんて信用できないし、フロッピー納品なんて心がこもってない」なんて言っている、その当時の「保守派」と討議しながら今の仕事の仕事を勝ち取った歴戦の勇士なんです!
昔の仕事が今はどう変わったか?ぜひとも、こちらのマンガを見てください。
今日の改革派は明日の保守派。
そんな標語ができないとも限りません。願わくば、このnoteを読んでいる「今の改革派」の皆さんが、「10年後の保守派」にならないように、越境を続けて、価値観のアップデートを続けてくれることを願うばかりです。
もちろん、他ならぬ自分に向けてのメッセージでもあるんですけどね。笑
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