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ダイジンをみて泣いた話


『すずめの戸締まり』が
Netflixで配信されたので視聴。

※以下、ネタバレ配慮等なくエンディングまで見たうえでの感想をだらだら書いているため注意





世界や人類および主人公の「すずめ」視点では、ハッピー……かは分からないけど前向きな終わり方だったと思う。

なぜなら世界は今日もあるし、すずめは好きな相手ともども助かり結ばれるから。

でも、私は画面越しにそれを眺めている第三者なのでちょっと薄暗い気持ちになってしまった。

「選ばれなかった」ダイジンを見て哀しくなってしまったからだ。


この「選ばれなかった」は"すずめに"という意味ではない。


制作者という名の神により、
主人公として、成功者として、世界を謳歌する者としては選ばれなかったことへの哀しみ。


X(旧Twitter)を眺めていると、同じくNetflixで見た人たちのさまざまな感想が投稿されていた。

「ダイジンがかわいそう」「すずめは酷い」といった感想もけっこう多く見られ、そしてそれに対する反対意見も見られた。


私は、すずめが悪いとはまったく思わない。


だってどう考えても、自分の好きな相手が人柱になるのは嫌だし。

長年連れ添ったわけでもない、なんなら中盤くらいまで腹立たしい存在ですらあった知らん猫を助けろ!というのもおかしな話。

すずめはすずめの視点であの世界を見て、生きているので
画面越しの視聴者と同じ印象をもってダイジンを見ることは絶対にない。

人によって「なぜダイジンを気の毒に思ったのか」の理由はさまざまだと思う。

ただ私に関していえば、ダイジンが猫みたいでかわいい点は関係ない。

猫は気が狂うほどに大好きだけど、だからこそ自分の中でそこははっきりさせておきたかった。


そもそもダイジンは、明らかにかわいそう


ダイジンはどう考えても気の毒だ。
"かわいそうでない"ということはありえない。

だって、自分以外の世界が維持されるために
ずーーーっと石になって地面に刺さり続ける役割とかしんどすぎない?

私は自分で就活をして入った企業で、お給料をもらい仕事をし、土日は休んでいる。
それでもできれば仕事やめたいしつらい。


でもダイジンはずっと石になって刺さってるだけかもしれないし、休日とかないかもしれない。

あきらかに可哀想すぎる。


Xで投稿したらダイジンのいる企業は間違いなく炎上・バッシングされるし、ダイジンは知らないユーザーから「どこどこに相談したほうがいい」などのアドバイスもされていたことだろう。


なのに。

ダイジンの与えられているあまりにもブラックすぎる役割が
なんか「神様だからまあ仕方なくね?」みたいな雰囲気が作中では漂っているように、私は感じてしまったのだ。

たぶんこれは地位が低い私の被害妄想だ。
すみません。

神様もこんな有象無象に同情されるほうが嫌かもしれない。
重ねて、すみません。


ダイジンが石を抜かせたとか、抜いたすずめが悪いとか、私はそんな話はしたくないのだ。

いや、したい人はしてほしいし、それが間違っているとはまったく思わない。

ただ、まずその前に、
ふつうにダイジンの置かれている状況はめっちゃしんどいから、見てて泣いちゃった。

という話なのだ。


いないと世界が終わるような人柱がいるということは、その人柱に世界の存亡を一任するということ

だと私は基本的に考えている。


自分はその代わりになれず、かといって代わりの人材を差し出すこともできず、代替案も出せないなら

残念だけど人柱が「もうやりたくない!」って言ったら世界をあきらめる。

これは自然なことに思う。

だから、ダイジンが石でいるのをやめたくなったなら、やめる権利があるのだと思う。
そしてそれを責めることは誰にもできないのだと思う。

ダイジンは最後、みずから要石に戻ったように見えた。

でもそれを見たとき
「ダイジンには最初から、キャラクターとして作られた時点で、石ではなく生き物として歩む選択肢は許されていなかったんだな」

という、よくわからない哀しみがこみ上げてきた。

「ダイジンが自由を手に入れる」ことは、この物語の前向きな終わりには必要がないものだった。

すずめにとって草太が大切であったように
ダイジンや右大臣も誰かにとって大切だったかもしれないけれど、
それは別にこの物語において重要ではないのだ。

というのを突きつけられた哀しみかもしれない。

ダイジンが猫だろうと神様だろうと、
それはダイジンのことを「身内ではない」ものとして見ている誰かからの評価にすぎない。
すずめも草太も誰かにとっては知らない他人だ。

でもダイジンたちは"神様"だから仕方ないの?

神様だからってなんなんだ。
神様が、好きで神様をやっているのだろうか。

現にダイジンも要石を続けるのが嫌だったということは、神様とてブラックな仕事には耐えられないのはないか。

私がダイジンを見ていて辛かったのは、ダイジンが愛くるしい猫の外見だからではない。

すずめや草太が「会えたのに」「死にたくない」「ひとりは怖い」と叫んでいたように
ダイジンも同じことを感じたかもしれないのに

なんか最後にものわかりのいい感じで石に戻っちゃって、もう何も描かれないのが哀しかったから。

ダイジンが決めたことなんだから、有象無象の私が知ったような口を聞くのは厄介オタクの行いである。


ダイジンの厄介オタクかもしれません。ごめんなさい。

私は『すずめの戸締まり』に存在しない「ダイジン√」を勝手に見出して、勝手にショックを受けているだけの人間だ。

この作品には「すずめ√」しかないのだ。
いや主人公がすずめだから「草太√」が正しいか?


だってタイトルが"すずめの戸締まり"なんだから。

ダイジンの戸締まりじゃないのに。

「すずめが笑顔になれる終わり方」を期待する視聴者にとっては間違いなく前向きなエンディングだ。

存在しないダイジン√を攻略したかった人間と、すずめ√をクリアした人間で争うのはやめよう。



ぜんぜん関係ないけど、

猫が喋ったらめっちゃ驚くのに
あきらかに猫としては常軌を逸したサイズ感の右大臣を平然と車に乗せている人たちが面白かった。


あのとき、脳内でデカすぎんだろ…‥って画像出てこないのかな。
オタクじゃないから出ないか


おわり

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