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自費出版詐欺(?)に引っかかった義祖母の話。

むかしむかし、この世界にamazonもkindleもなかった頃。
ある所に、一人のご婦人がおりました。

そのご婦人は村でも評判の美人で、結婚して嫁いだ先では3人の子供をもうけていました。ですがその後色々あって離縁し、さらにその後ちょっとした事件を起こして新聞に載ってしまったりしたこともあって、子供たちを置いて、一人で生まれ故郷に戻ってきていました。

ご婦人の一番上の姉は、生まれ故郷の小さな村の中では一番古い家柄の、それなりに大きな家に嫁いでいました。

ある時、ご婦人が姉の所にお金を借りに行ったときのことです。体が弱く、ご主人に大切にされていた姉は、お金は貸せないと言って、ご婦人のお願いを聞いてくれませんでした。
ご婦人は、とても憤慨しながら帰りました。自分の頼みを聞いてくれなかった姉が、その話の間ずっと、膝にシャム猫のような白い猫を抱いて撫でていたのが、どうしても許せなかったのです。
自分もいつかお金持ちになって、人に自慢できるような動物を飼おう。ご婦人はそう固く心に決めました。

数年後、ご婦人にチャンスが訪れました。姉が亡くなったのです。
そして、最愛の連れ合いに先立たれた姉のご主人が深く嘆き悲しんでいて、食事もとらずに酒に溺れている、と噂が流れていました。

ご婦人は、姉にとてもよく似た顔立ちをしていると言われていました。
そこで、子供たちがもう独り立ちしており、妻を喪って一人ぼっちになっていた姉のご主人の所へ、後添えとして嫁ぐことに決めました。

縁談は上手くまとまりました。
ご婦人の新しい夫となったご主人は、ご婦人に色々なものを買い与えました。
高価な毛皮のコートや宝石や着物、そして新しくて立派な家を手に入れたご婦人は、とても満足しました。

ですが、はじめ気前が良かったご主人は、すぐにケチになってしまいました。釣った魚には、少ししかエサをやらない人だったのです。
そしてご主人は、ご婦人の思っていたほど優しい人ではありませんでした。亡くなった姉のように大切にされるはずだったご婦人は、だんだんご主人に馬鹿にされ、虐められるようになっていきました。

ご婦人の姉は、美人だっただけでなく、村で一番学があり、賢く気立ても良い女性だと言われていました。子供の頃から頭が悪いと言われていたご婦人は、そんな姉と自分を比べては悪口を言うご主人や村人たちを、やがて憎むようになりました。
それでも立派な家に住み、高価なものに囲まれて暮らす生活は、ご婦人の心を慰めました。

古くから続くその家の女主人であることは、ご婦人にとって誇りであり、身を守る大切な盾でした。どんなに陰口を言われたところで、ご婦人に何かできる村人はいません。
年上のご主人さえ亡くなってしまえば、ご婦人に指図をする人も虐める人もいなくなり、古くから続く家もご婦人のものになって、お金も一人で自由に使えるようになるはずです。ご婦人にとって、それは唯一の希望でした。

ご婦人は、ご主人の機嫌が良い時を見計らって、純血種の立派なシェパード犬を飼うことを提案し、その望みは叶えられました。
ご婦人は、お金持ちらしい素敵な動物を手に入れられて、とても嬉しく感じました。あの日、白い猫を膝に抱いていた姉に、ようやく「勝つ」ことが出来たのです。
夫婦はシェパード犬に、嘱託警察犬になるための訓練を受けさせることにしました。誰にでも自慢できる、とてもお金持ちらしいことです。そしてその努力が実り、シェパードは警察犬として素晴らしい成績を出すようになりました。沢山のトロフィーや賞状が家の中に増えていくのを村人たちに自慢しながら、ご婦人はご主人の意地悪に耐え続けました。「この先、勝つのは私だ」と、心の中で唱えながら。

十年近く経ったある日、やっとご婦人の願いが叶う日が来ました。意地悪なご主人が亡くなったのです。
ご婦人は嬉しい気持ちを我慢して、大げさに嘆き悲しみました。村人たちはその様子を見て、悪口を言っていた口を閉じました。ご婦人の味方になってくれる人もちらほら現れました。

ご婦人が安心したのもつかの間、ご主人の葬儀が終わると、村人たちはとんでもないことを言い出しました。
ご主人が残したこの家を、ご主人の子供たちに「返す」べきだというのです。
村で一番古い家のややこしいしきたりを、ご婦人が一人で守っていくことは出来ない。だからご婦人の姉と、亡くなったご主人との間の子供たちの誰かに戻ってきてもらい、しきたりを守ってもらった方が良い。そんな話でした。

ご婦人は、すっかり怒ってしまいました。やっと意地悪なご主人もいなくなり、全てがご婦人のものになって幸せになれるのに、そんなことを言い出す村人たちは、やっぱり全員敵に違いありません。
ご婦人は村人たちを寄せ付けず、ご主人の子供たちにも「二度と敷居をまたぐな」と引導を渡して、代わりに自分の3人の子供たちを呼び寄せようとしました。
初めに結婚した時に生んで、数年間しか自分では育てていないけれど、間違いなくご婦人の血の繋がった子供たちです。
しきたりなんか、どうでもいいことでした。この古くてお金のある家をご婦人の子供たちが継いでくれれば、全ては上手くいくはずです。

一番上の子は、アメリカに行っていました。そして恩知らずなことに、お母さんであるご婦人の言うことを、全く取り合ってくれませんでした。

一番下の子は、少し遠くに住んでいました。そして少しは話を聞いてくれましたが、やっぱり恩知らずなことに、ご婦人の言う通りにはしないと言いました。

真ん中の子は、近くに住んでいました。ですが結婚していて、子供が二人生まれていました。真ん中の子は、時々なら様子を見に来られるけれど、同じ家には住めないと言いました。

ご婦人は怒りましたが、仕方がない事でした。たまにしか来ない真ん中の子に、生活の面倒の全てを見てもらうことは出来ません。友達もいず、村人たちにも嫌われ、年老いて警察犬を引退したシェパードと二人きりで過ごしながら、ご婦人は少しずつ困ることが増えてきました。

そんな中、シェパードの具合が悪くなりました。大型犬の寿命は短いのです。
ご婦人は、シェパードの介護をしなくてはならなくなりました。認知症になってしまった犬の介護は、並大抵の苦労ではありません。しかもそのシェパードは、ご婦人よりも体重のある、とても大きな犬でした。犬の介護に、ご婦人はすっかり疲れ果ててしまいましたが、何とか最後までやり切って、ご婦人は犬を看取ることが出来ました。

それにしても、世の中はなんて意地悪なのでしょう。ご婦人のようにたくさんの苦労をして、たくさん悲しく悔しい思いをした人なんていないはずなのに、こんなに大変な思いをしたご婦人の事を、どうして皆、助けてくれず、悪口ばかりを言うのでしょう。
一人になったご婦人は、古くなり始めた家の中で、ずっと腹を立てていました。

そんなある日のことです。
出版社を名乗る人たちが、ご婦人の家を訪ねてきました。彼らは、ご婦人が立派な犬を飼っていたことを知っていて、ご主人が亡くなっていることも知っていました。そして、ご婦人が今までしてきた苦労話を聞かせて欲しいと言いました。
久しぶりに話を聞いてくれる人に出会えたご婦人は、とても嬉しくなりました。そして彼らの聞きたがったシェパードの話を、一生懸命話しました。
彼らはとても熱心に話を聞いてくれました。そして、ご婦人のしてきた苦労は普通の人とは違う、是非、警察犬の育て方から看取りまでの体験談を、本にして出版するべきだと言いました。

ご婦人は、それは素晴らしいことだと思いました。
意地悪な村人たちも、恩知らずな子供たちも、他の親戚や世間の人々も、ご婦人が本を出すような立派な人物であったと知れば、ご婦人への態度を改めるはずです。そして、立派な犬の育て方や、それに伴う苦労ならば、ご婦人は誰よりも知っているはずでした。

問題があるとすれば、ご婦人が自分で本など書けないという事でしたが、出版社の人たちは、大丈夫だと請け負ってくれました。少しお金はかかりますが、ご婦人は話したいことを話すだけで、それを彼らが素敵なお話にしてくれて、立派な本にしてくれるというのです。
しかも本がたくさん売れれば、使ったお金もすぐに戻ってくるし、ご婦人はもっとたくさんのお金を手に入れることが出来ると彼らは言いました。
ご婦人は、彼らの言う通りに、本を出すことに決めました。

しばらく経って、本が出来上がりました。ご婦人が彼らに話したことがきちんとまとめられている、とても素敵な本です。
特にシェパードの介護に苦労をしていたくだりは、涙なしでは読めないほど感動的に書かれていました。クライマックスでシェパード犬に向けた「なんでこんなにお母さんを苦しめるの!」という悲痛なご婦人の叫びは、犬の介護という世の中の大問題を切なくも美しく切り取っていますし、多くの人の共感を集めるはずです。
こんな素晴らしい本が出来たのですから、ご婦人は立派な作家でした。後はこの本が世間に一大ブームを巻き起こし、あらゆるメディアがこぞってご婦人の話を聞きに来るのを、そして本がたくさん売れてあっという間に大金持ちになるのを、ご婦人はのんびりと待っていれば良いだけでした。
「どうぞ、お知り合いにぜひ読ませて差し上げてください」と言われて届いた、段ボール何箱分もの本を見ながら、ご婦人は幸せな気持ちでした。

少し経って、出版社から連絡がありました。
ワクワクしているご婦人に、出版社の人はこう言いました。

「先生、あの本は素晴らしい評判です。どんどん追加の発注が来ています。売り上げた分のお金が入るのはまだ先ですが、ここで増刷すればしただけ、いくらでも本が売れて、先生の名声もまた上がっていくでしょう。一時的にはまたお金がかかってしまうことになりますが、是非とも増刷しましょう!」

ご婦人は喜んで、増刷することにしました。ご主人が残したお金はまだたくさんありますし、本が売れれば、最後にはお金は必ず戻ってきます。本を刷るタイミングでお金がかかってしまうのは、自費出版という仕組み上、仕方がない事です。それよりも、売れ始めた今の時期にこそ沢山本を刷って、ご婦人の作家としての地位を確たるものにするのが大切だと、賢いご婦人はしっかりと理解できていました。

お金を振り込んでしばらく経った頃、また出版社の人から連絡がありました。増刷した本はやっぱり大人気で、またもやすぐに売り切れてしまったというのです。素晴らしい本をなるべく多くの読者に届けるために、もっとたくさん増刷する必要がありました。

ご婦人は承諾し、お金を振り込みました。村から近い町の書店には、ご婦人の本は並んでいませんでしたが、それは本の数がまだまだ足りていないからです。大人気ですぐ売り切れてしまうような本なのですから、当然でした。

それからも、出版社の人たちは何度も「本が全て売れてしまった、もっとたくさん刷らなくてはいけない」と言い、ご婦人はその度にお金を振り込み続けました。ご主人の遺したお金はみるみる減って、やがてすっかりなくなってしまいました。

「お金がないので、もう振り込めない」とご婦人が言うと、彼らはとても残念がりましたが、仕方がない事でした。
そしてそれきり、出版社の人たちからは連絡が来なくなりました。

ご婦人は不安になりました。沢山刷ったはずのご婦人の本は、全て売れているはずでした――が、売れた分のお金がいつ、どのようにして入るのかを、ご婦人は知らされていませんでした。
ご婦人は何度も出版社の連絡先に電話をかけたり、手紙を出したりしました。しかし、彼らとは全く連絡がつかなくなっていました。

そこでようやく、ご婦人は気が付きました。
ご婦人の話を熱心に聞き、「先生」と呼んでくれていた出版社の人たちは、善良な人たちではありませんでした。
ご婦人は、すっかり騙されていたのです。

ご婦人は怒り、嘆き悲しみました。
幾晩も幾晩も、気が狂ってしまったかのように暴れ、泣き叫び、古くなってきた立派な家の中をぐちゃぐちゃにしてしまいました。
ご婦人の真ん中の子は、時々様子を見に来ては、そんなご婦人を一生懸命宥めましたが、ご婦人の怒りや悲しみを取り除いてあげることは出来ませんでした。

そんな日々を送る内に、ご婦人はとても難しい脳の病気にかかり、普通に暮らすことが難しくなっていきました。
気軽に外にも出かけられず、自分の食事を用意することも難しくなってきたご婦人は、これまでの行いを反省し、誰かに頼ろうと考えました。

思い出したのは、ご主人が亡くなった時に引導を渡した、ご主人の子供たちです。ご婦人とも血の繋がった甥や姪に当たるその子供たちに、毎日電話で泣き落としをかけ続けたご婦人は、子育てが終わっていた姪の一人に、面倒を見てもらえることになりました。

ご婦人のお金は無くなっていましたが、「古くから続く家」「古くなってはいるがまだまだ住める建物と、広い土地」は残っていました。本当は自分の真ん中の子にあげたかったのですが、真ん中の子は要らないというし、ご婦人には一緒に住んで生活の面倒を見てくれる人が、どうしても必要でした。
やがてご婦人が亡くなった時に、「古くから続く家」と、建物と土地を受け取ることを条件に、姪はご婦人と一緒に暮らしてくれることになりました。

ご婦人はとても安心して、その後の暮らしを送ることが出来るようになり、数年の闘病生活を過ごした後、病院で安らかに亡くなりました。
そして、「どんなに有名になりたくても、自費出版をしてはいけない」という家訓が、その家には残されました。

今、古くてボロくなってきたその家には、ご婦人の姪と、姪の子供の一家と、アメリカンショートヘアに似た元野良猫が、一緒に暮らしています。

そしてご婦人の姪の子供はnoteというサイトに、ご婦人の本よりはいくらかマシな駄文を書きながら、「kindle出版のある時代で良かったなぁ」と呟いているそうです。

おしまい。

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