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秋の夕暮れと高速道路、の話。【虎吉の交流部屋プチ企画】

【虎吉の交流部屋 プチ企画】に参加しています。

お題:「秋の思い出」


コンビニを出たら、金木犀の匂いがした。

久しぶりに人と会って一日遊び倒した帰り道、夜の気配に空の青が濃くなってくる午後5時前。ひんやりした風を頬に受けながら駐車場に戻り、愛車の赤い軽の運転席に座って、今買ったばかりの「ドトール ミルク香るふんわりラテ」のカップの蓋にストローを差す。一口飲むと看板に偽りなく、ミルクとコーヒーの香りが鼻を抜けて、

くー!!たまらん!!

つい口元がニヤニヤしてくる。
秋だ。もうこれ以上ないぐらい秋だ。それも、誰も文句のつけようがないレベルの快晴で、しかも夕方。完全に完璧に最高である。

「秋は夕暮れ」と清少納言も言っているし、この季節と時間のエモさ具合は全人類の共通認識という事で良いと思うけれど、個人的にどうも秋は、センチメンタルとか寂しさとか切なさとかの繊細な要素を全部すっ飛ばして、猛烈にワクワクしてしまう。
私はそもそも冬が好きで、更に昼より断然夜が好きだ。なので秋で、なおかつ夕方というのは、めちゃくちゃ好きな曲のイントロが流れ出したときと同様、無性に興奮してテンションが爆上がりしてくる。
これから夜が来る、そして冬が来る。こういう「予感と期待でゾクゾクしている間」というのは、肝心の本体に感動している真っ最中よりも、むしろ心が忙しいのかもしれない。

低温加熱式煙草のプルームテック・プラス・ウィズを鞄から取り出してふかしながら、車のエンジンをかける。「まもなく日没です。ライトを点けましょう」と忠告してくるナビの声に、そうだね!と機嫌良く応じてライトを点灯し、駐車場から目の前の大通りに出た。
家から40km以上離れた地点ではあるが、何度か通って慣れつつあるこの道は、既に私の「知っている道」だ。正面に見える空の青色の濃さにもう一度「くー!!」と心で叫びつつ、自分のハンドルさばきの”こなれ感”を誰にともなく見せつける気分で、高速道路のICに向かう。運転が苦手だとか方向音痴だとか、そんな属性は全て、慣れさえあれば相殺できるのだ。今日の私は風景を楽しむ余裕まである、敏腕ドライバーといっても過言ではない。

それにしても、夜が来ると思うと「自由」を感じるのは何故だろう。
料金所だとか左側に寄れとか、細かいことを言い出したナビを軽く聞き流して、カーブのきつい坂を上りながら加速し、高速の本線に合流して更に速度を上げる。

高速道路は運転しやすくて好きだ。情報量が少なくシンプルな風景、だだっぴろい路面、しかも今、正面に広がるのは夕暮れ空のオレンジから青へと続くグラデーション。空以外の全てのものの彩度が落ちた、黄昏時に特有の景色は、遠くの山々から近くの木々、道路脇の防風壁までが殆どシルエットになっていて、浮き出るように空の鮮やかさだけが目に焼き付けられる。

最っっっっっっっっっ高。

「くー!たまらん!!」と脳内でまた叫ぶ。ここまで綺麗な夕暮れの空を、こんなにしっかり見られたのは久しぶり、いや初めてかもしれない。

「夕暮れ」だけなら割とよく見ているはずだけれど、「広い空」も結構見ていると思うのだけれど、やっぱり久々の外出で、ゴキゲンで、高速道路の時速100㎞で見ているからこその風景だろうか。それとも最近、長年背負っていた心の荷物を降ろせた開放感からか。
視界を埋め尽くす空のグラデーションに心を奪われた私は、オレンジ色の赤みが薄れて黄色になり、やがて夜に向かう青の濃淡だけになっていくのを、じんと痺れた頭で見守った。時間にすればほんの10分ほど、それでもこの色合い、この風景は、私の人生で1,2を争う美しさだと思った。

完璧に最っっっっっっ高の、秋の夕暮れだ。

繊細な色の移り変わりが、夜の濃い青に収束して終わりを告げるのを見届けて、ほうっと息を吐き出す。飲むのを忘れていたカフェラテを口に含むと、ひんやりとした液体の感触が心地よくて、その甘さにうっとりしてしまう。
しばらく満ち足りた余韻に浸った後、私は少し我に返って、意識の焦点を現実に戻し――そこでふと、違和感に気付いた。

「1km先、分岐を左方向です」

ナビが、喋っている。

そういえばさっきからずっと、何だかんだと煩かったような気もする。いつも高速道路に乗ったら小一時間は黙っているはずなのに、一体なんだというのだろう?と頭を捻りながら、前方の青い看板に目を向ける。

見慣れない地名。

「500m先、分岐を左方向です」

繰り返すナビの音声の意味をようやく耳が拾って、でも事実を認めたくないと脳が瞬時に拒否した。進行方向の分岐を示す看板の文字列、知っているけれど見慣れない――帰宅しようとしている私にとって、今目指すべき方向として「あってはならない地名」が、何故あそこに書かれているのか。
点と点が線へと繋がり始め、背筋をヒヤッとしたものが駆け抜ける。

「まもなく、分岐を左方向です」
「分岐を左方向です」
「……4.1km先、分岐を左方向です」

――これは、もしかして。もしかしなくても。

私が夕暮れの空に見とれている間、ナビが喋り続けていたのは、遥か彼方の無関係な渋滞情報ではなく、もしや私に「すぐに高速を降りろ」と言っていたのか?
だとするとこの文字列は、この地名は。勘違いとかそういうのではないとするなら、私は。

高速の乗る方向を、間違えた――!?

やらかした――!!と閃きが走って、私は内心頭を抱えた。
頼むから、誰か違うと言ってくれ!という淡い期待を胸に、路上の青い看板やナビに何度も視線を走らせるが、何度見ても「あってはならない地名」はデデンとそこに鎮座している。そしてナビが示すこの先の道順は、明らかに「最短で高速道路を降り、反対方向に乗り直して家に帰る」経路で、しかも丁度今しがた私が通過してしまったICの分、自宅への到着予想時刻がかなり後ろ倒しになっていて、つまり、

認めたくない事実が、確定してしまった。
私は今、現在進行形で、自宅と反対方向に向かって走っている、らしい。

秋の夕暮れ空に浮かれて、敏腕ドライバーのつもりでイキりながら、慣れた道だと油断して、ナビの忠告をろくすっぽ聞かずに無視し続けた結果として――高速道路を反対方向に乗って、直近のICを素通りして、既にざっくり10kmも、走ってしまっている!

うわぁぁぁ恥ずかしい!!

誰にもまだ言っていないからセーフはセーフなのだけれど、つい十数分前の自分が生産した黒歴史に、私はがっくりとうなだれたくなった。運転しているのでそれすら出来なくて、顔を変な半笑いに引きつらせているしかないのが切ない。完全に調子に乗りすぎての大失敗である。

いや、大丈夫だ落ち着け私、と自分に言い聞かせる。
こうなった以上は可及的速やかに高速を降り、一般道を通って再び高速の入り口に辿り着き、今度こそ正しく自宅に向かわねばならない――が、方向音痴で運転に自信のない私が、見知らぬ道で、ぶっつけ本番でそれを成功させるためには、何とかして冷静さを捻り出さねば話にならない。ミスがミスを呼ぶ悪循環は、私の車の運転中にはよくある事態だ。ここで更なる失態を重ねていたら、家には永遠に辿り着けない。

大丈夫だ、大した問題じゃない。次こそはちゃんとやれる。
高速の乗り間違えなんて、前にもやったじゃないか。大丈夫だ落ち着け、待てば海路の日和あり、なんか違うな、急がば回れ、いやこれ以上回り道なんかしたくないから、えっとえっと、慌てる乞食は貰いが少ない?これがマシか?いやいやそんなのはどうでも良くて!

そうだ、そもそも帰宅が多少遅くなっても別に大丈夫なはずなのだ。息子の事は予め母に頼んであるし、夕飯だって用意してある。高速道路を反対方向に間違えるなんて予想していたわけではないが、何にせよこれ以上ミスを犯さなければ19時前には家に着くと、ナビだって言ってくれている。
予定より1時間遅れ、だがこれといって問題が起こるわけじゃない。せいぜい息子に「遅いぽよ!」と文句を言われる程度だろう。一人で留守番させている訳でもないのだ、何ら問題はない。
おーけーおーけー、ちょっと落ち着いてきたぞ。よしよし。

「1km先、分岐を左方向です」

ナビが「今度こそちゃんと降りろよ?」と私に警告している。念のためもう一押し分の落ち着きを取り戻そうと煙草の蒸気を吸い込み、意識的にゆっくり息を吐く。カフェラテをもう一口。大丈夫だ、「ミルク香るふんわりラテ」は変わらず美味い。私は落ち着いている。落ち着いているのだ。

「500m先、分岐を左方向です」

もう一度深呼吸して、よし、と半ば無理矢理に気持ちを引き締める。ここからが勝負どころだ。

「まもなく、分岐を左方向です」

神経を目の前の路面に集中させ、ナビの指示を忠実に守って料金所に向かう。「料金は、480円です」とナビが私の失敗に値段を付けるのを、電車の乗り間違いより高いな、とチラッと思いつつ一般道に出る。

「1.3km先、左方向です。走行車線にご注意ください」

一般道に出た途端にナビ画面の情報量が増え、実際の風景の情報量も増える。高速から降りた直後に独特の、うっかりアクセルを踏みすぎる現象に抗いながら、前の車との車間距離を測って――

と、前の車が急に大きく右にブレた。そう思った次の瞬間、中央分離帯に向かって路面を小さく走る影。

――あぶなっ!!

タヌキである。前の車は大きくハンドルを切ることでタヌキを轢かないように避けたらしい。左右どっちに避ければ良いのか判断がつかなかった私は慌てて減速して、無謀なタヌキの道路横断をやり過ごそうとした――が、一度は目の前を通過したと思ったタヌキが道路のど真ん中で立ち止まり、再び来た方向に戻り始めた!

ちょ、ま、轢くぞお前!?

ブレーキを更に強く踏み込んで、殆ど止まる直前までスピードを落とすと、タヌキは何とか私の車の前を通過し、そのまま道路脇の藪の中へと消えていった。やれやれ良かった、と思う間もなく後続車にクラクションを鳴らされて、ごめんって!でもタヌキが!!と内心で言い訳しながら再びアクセルを踏んで加速する。

「300m先、左方向です。左車線を走行して下さい」

あーもう今忙しいんだってば!とナビに八つ当たりしながら、それでも何とか指示に従う。ようやく落ち着いてきたと思った気分が、タヌキのお陰でまたテンパってしまった。
いや大丈夫だ落ち着け私、タヌキは轢かずに済んだじゃないか。そう、私は一つの命を救ったのだ。胸を張れ、その内自宅にタヌキの恩返しの品が届くかもしれない。

「800m先、左方向です。その先、有料道路入り口です」

続けざまに来る次の関門。だがここで再び高速道路に乗り、今度こそ正しい方角に向かって走り出せれば、私の勝ちはほぼ確定だ。
タヌキが恩返しの品を持って来るとしたら一体何だろう、と考え始めてしまいそうな思考を振り切って、精一杯真剣に料金所を目指す。

「この先、料金所です。その先、分岐が続きます」
「分岐を右方向、○○・××方面です」

一度目に高速に乗った時にはグラデーションが美しかった空は、もう薄闇を通り越して完全に夜に染まっていた。少し残念に思いながら「ETC専用」と書かれたゲートを潜り抜け、○○、○○、と「目指すべき正しい地名」をブツブツ唱えつつその方向に進み、またカーブのきつい坂道を上り切り――

「この先、しばらく道なりです」

そうして私はようやく、高速道路の「正しい方向の」本線にたどり着いた。
十分に加速してトラックの後ろに位置取り、ふーーーーー、と深く息を吐き出して、ナビをもう一度確認する。ナビは今度こそひたすらまっすぐに進む道を指し示し、路上の青い看板たちにも、見慣れた地名が並んでいる。

良かった、今度こそいつも通りだ。ちゃんと帰れる。

達成感よりもむしろ力が抜けて、私はぐでっと運転席のシートに背中を預けた。一時はどうなる事かと思ったが、このまま50km弱を走り続ければ、家に帰れる。到着予定時刻は一時間ちょっと後、18:58だというナビの表示にちょっとげんなりするが、まぁまぁこのまま惰性で走りさえすれば良いのだし、逆に言えばそれ以外の選択肢はないのだから、そこは割り切るしかない。

減ってきたカフェラテを飲み、煙草の蒸気を吸って、吐く。
夜一色に染まった高速道路。等間隔に並ぶ外灯と車のライトに照らされた路上の景色は、普段の私なら十分高揚を感じるはずのものだけれど、つい一時間前に美しすぎる夕空を見てしまった今は、どうしても味気なく思えてしまう。変な緊張が解けたせいか、少し現実感を失ったようにも見えるモノクロの風景に、私はさっき見た夕暮れの鮮やかな色の記憶を重ねた。

――本当に、最高に綺麗な夕暮れの空だった。

あの美しい景色を「初めて見た」ように思ったのは、きっと本当にそうだったのだろう。今考えればわかる、私はこの高速道路を何度も使っているけれど、高速道路で夕暮れを見たのは初めてだった。

私の家の方向からして、日が暮れる時間帯に「あの美しい夕暮れが見える方向に向かって走っていてはいけない」のだ。

正しい方角に走っても夕暮れは勿論訪れるけれど、その場合見える空の色は青の濃淡だけ。だからこそ私は「人生で初めて」高速道路の広い空のオレンジから始まる鮮やかなグラデーションを目撃し、その美しさにここまで感動したのだし、その感動をしてしまったからこそ、こうやって余計に1時間走り回る羽目に陥った。

そう思うとちょっと笑ってしまう。
道を間違えなければ見られなかった、あの美しすぎる夕暮れの空。それを今日見られたのは、果たして良いことだったのか、悪いことだったのか。

何だか私の人生、こういう事が多いような気がする。
いや、もしかすると私じゃなくても、人生って案外そういうものだったりするのだろうか。

まぁどうあれ、私はあの空を見られた今日を、「幸運だった」という結論にしよう――と決めて、私は追い越し車線へと出て、「法定速度走行中 お先にどうぞ!」のステッカーを付けたトラックを追い越した。
残り45kmの距離を踏破すれば、自宅の庭の金木犀が私を出迎えてくれるはずだ。

派手に道を間違えて、回り道をして遅くなったけれど。
大好きな秋の、大好きな夕暮れの空の色を記憶して帰れる今日の私は、きっと誰よりも幸運で、幸福だ――と、そう全身で感じながら。


出来立てホヤホヤの、「今年の秋の思い出」です。
そして要項(1000~2000字程度)を見落としていて、長くなり過ぎました。
6000字あった……他に参加される方はご注意くださいませ。

ちなみにこの後更に、高速道路を一つ手前の降り口で降りてしまうというミスをやらかしましたが、無事に19時前に自宅にたどり着けました。良かった良かった。
皆様も、高速道路の方向とタヌキにはお気を付けください。


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