見出し画像

語る事の重要性-ラーゲリに愛を込めてを観て感じたこと-


現在全国の映画館で公開されている、“ラーゲリに愛を込めて”。

1945年の太平洋戦争終戦後、シベリアの強制収容所(ラーゲリ)に移送され、過酷な重労働を強いられながらも『ダモイ(帰国)できる』と信じ生きたシベリア抑留兵の山本幡男さんと妻のモジミさんの11年に及ぶ愛の物語を描いた実話です。

私はこの映画を見て、どんな逆境や困難があっても絶望するのではなく、わずかでも希望をもち、自分の信念を曲げず行動し続けることの大切さを学びました。

それと同時に戦争の悲惨さ、終戦したからといって戦争が終わってはなかったこと、そしてこの事実を無かったことにしてはいけないと改めて強く思いました。

義務教育の中で戦争を学んだ際、終戦直後は日本の経済発展にフォーカスされ、どのように街は復興し現代に至っているのか、を学んだ記憶があります。

だからこそ、今こうして自分達が生活できているのはこれまで日本が終戦後、経済発展や国交回復に力を尽くしてきた背景があるからであり、『戦争はあってはならない』と世界にメッセージを発信することが、平和を象徴する国として日本が、日本人が果たす役割があるのだと感じていました。

しかし、私はこの映画を見るまで終戦後も戦っていたシベリア抑留兵の存在、約60万人もの元兵士達が強制労働を強いられた過去を知りませんでした。映画の中でも言っていた、「俺たちは日本に捨てられた、忘れられたんだ」という言葉が今も印象的であり忘れることができません。

シベリア抑留兵の歴史に興味を持ち、調べる中で見た一つの動画から自分なりに考察すべき事が多くあったので、今回はその事についてかいていきたいと思います。

※なおあくまで個人的意見であるということをご了承いただけたらと思います。

『TBS NEWS DIG Powered by JNNが今年8月に公開したシベリア抑留と現代の捕虜 “心の自由”さえ奪われる現実より』

現在も続くウクライナとロシアの戦争。侵攻によりロシア軍に拘束され捕虜となったウクライナ軍の兵士に対して暴行や拷問などの非人道的な扱いがあり、この悲惨な現実と約80年前に起きたソ連軍によるシベリア抑留兵に対する強制収容労働と全く同じことがおこっている事実にショックを受けました。

劇中でもあった収容所での生活は、京都にある舞鶴引揚記念館に展示されている抑留生活体験室と同じ光景であり、映画が凄く繊細にリアルに描かれているのだと感じました。

人間が人間の首を絞め、自分らしく生きることの自由を互いが奪い合うことがどれだけ悲しいことか、私たち若者は昔の出来事だと他人事化するのではなく向き合い、この事実から考えるべき問い、私たちは未来にどう活かすべきか見つけ出す必要性があると感じています。

自分の家族にシベリア抑留兵がいた、などではありません。しかし、これほどまで色々考えられるのは、これまで自分が見てきたハンセン病元患者の強制隔離、移民難民問題、外国人との多文化共生、いじめ、福島原子力発電所の事故による偏見差別だけでなく、ナチスドイツによるユダヤ人の迫害、授業で議論し学んだLDBTQ、精神病院の実態、こどもの貧困、ホームレス問題、障害、環境問題、発展途上国の貧困など、、あげ出したらキリがない社会問題と、

結局全部繋がってるな、と。

私は、物理的な問題であれば解決に多くの選択肢があっても心の分断は対話でないと解決できないと考えています。どんなアプローチ方法があっても、立場を越え、人として分かり合うためには話すことが唯一の方法だと、私は考えます。

それぞれ育ってきた環境、出会ってきた人、言葉、そこから形成された価値観は違って当たり前です。
「みんなちがってみんないい」マインドを受け入れるのも、簡単ではありません。(実際私も、100そうか、といわれたら自信を持って頷くことができません)

どんなに批判されても、味方がいなくなっても、裏切られても、自分の人生が変わっても、それでも立ち向かい、行動し続ける人たちがいるから、声を上げ続けるひとがいるから想いが消えることなく私のような社会問題を学ぶ一学生にも届き、また記憶が伝承されるのではないか、と考えます。

舞鶴引揚記念館では、地元の中学生が語り部として伝える活動を行っていました。
涙ながらに語る彼女達の言葉に、もう戦争が起こってほしくないという強い思いが込められているのが伝わりました。

自分も高校時代より震災・原発事故の教訓を一語り部として伝えてきた身として、語る事の重要性を身をもって体験してきたつもりです。

今回改めて当事者かどうかである以前に、後世に伝えていきたいという気持ちや二度と同じことを繰り返さない為に、という強い想いが最も大切であり、
同じ人間だからこそ、声を届けることが伝えていく言葉を紡ぐこと、語る事には大きな価値がある、とこの事を通じより一層感じることができました。

尊厳と自由が奪われた先の未来から考える私たちに出来る事、それは二度とおこしてはならない事を、二度とおこさないように伝え続けることです。

文面や展示品、モノにも強いメッセージは込められています。しかし、人が紡ぎ出す言葉にはそれ以上に人に与える影響力があると思っています。

戦争も、原発事故も、人権問題も、なにもかも。問題と捉えられてる時点で、本当はおこるべき問題ではないはずです。

1人でも多くの人たちの心に届けること、記憶として残す事。これは予期せぬ事態が起こった時に、自分の中の知恵として行動することができます。助かるはずの命を守るために。犠牲にしないために。問題が起こることを仕方ないと宿命論で片付けるのではなく、じゃあ自分達は未来にどう繋げていくか、と問い続けることが、教訓として活かす、ということなのではないでしょうか。

これからも”ひとりひとりが自分らしく生きられる社会”を実現する為に、問いつづけていきたいです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?