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最近気になってる「間違え」について

人生に置ける連続した選択の中で、正解を出し続けるなんて無理だ。の様な社会通念的な考えがあるけど、
ということは、人生に置ける選択のほとんどは間違っている。とも思える。

または、成功体験を積み重ねて自信を付けよう。といった文言もよく見聞きするが、
成功っていうのは、選択が正解だったとも言えて
数多くある選択肢の中から少ない正解を導き出すことは、単純に確率で考えても低くいし、またその正解自体、本当に正しかったのか分からない場合も多いし、わかるとしても数年、数十年と経たないと結果として分からないことも大いにある。

そんな中で正解を引き出せるかどうかはかなり運の要素が強いと感じる。ビジネス的なロジックで正解へと近づく、という考えもあるが、そのロジックの選択が本当にあっているのか、
選択は正解でも、その最中に間違えがある場合もあるだろうし、論理的には間違えていたとしても、続ける中で正解になることもある。

こんなにあやふやな正解より、生活の中にありふれている間違いを肯定的に捉えたほうが、豊かな人生を歩めるよう思えるし、
なんとなくこういうことはこれまでも聞いたこともある。

だけど、個人的にすごく気になっている
今回の本題は「間違え」について

「間違え」とは、間違いの言い間違いなんだけど、
口にした本人が無意識のうちに犯している間違いで、多くの人は、わざわざそんなことを正しはしないし、気付きもしない。
もしかしたら、正解/間違え、と認識できるより、もっと無数に人々の生活や人生に有り触れた「間違え」というものがあるんじゃないかと思い始めた。

間違いの反対は正解だ思うが、「間違え」は間違いの間違いだが、翻って正解になるわけでもなく、間違いを間違えた間違いに過ぎない。
間違い/正解の二項対立に、間違えという概念が加わるとシンプルな構図から違った関係図が思い浮かばれる。というか、寧ろ、間違いも正解もなく全部「間違え」なだけなのかも知れない。


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