見出し画像

全員精神疾患者のバンド「cheekcut」が結成されるまで

ADHDとパニック障害を患っており、現在は障害者雇用で働く僕がドラムスをつとめるバンド「cheekcut」メンバー3人とも精神疾患者というバンドを結成するまでを、ちょっと書いてみたのでどうぞお付き合い。


2017年明け。当時精神疾患者界隈で流行ってたネット人狼で、ムーミンアイコンのぴょん(ba.vo)に出会う。最初は人狼以外で特に関わりはなく、ただただゲームするときだけ会話するくらいの仲であった。廻りから「彼は元ホストだ」と聞かされていたので、なんとなく襟足の長いチャラい人を想像していたが、実際にはジョン・レノンみたいな文化系青年であった。

何度か村人になったり、狼になったり、巧妙なウソをついたりしてるうちに、彼と僕が学年は違うが同い年と判明する。あまり界隈では同年代の男性がいなかったので、僕らは徐々に人狼以外の話もするようになった。

急に仲良くなったのは、彼がベーシスト、僕はドラマーということが互いにわかった瞬間である。

遡ること2011年。僕らが20歳そこそこのとき。実は当時2人共同じライブハウスに出演していて、互いに知っているバンドや人も多数いた。彼がフロントマンを務めていたバンドは良くフライヤーで見かけていたし、またとある有名バンドのサポートベーシストも務めており、全国ツアーを回っていたと知って非常に驚いた。(しかし当時ライブハウスで出会っていてもおかしくなかったのに、何故ネット人狼で会ったのだろうか)

彼とはくるりやMother2の話をしたり、彼の過酷な半生を聞いたり、何度か会ってお茶したりした。そして彼が過去に作った「きぐるいピエロさん」を聴いたとき、僕は「この曲を叩きたいから一緒にスタジオ入らない?」と誘った。けっこうふんわりと言ってみて、ふんわりとOKしてもらった気がする。

そこから彼の私生活のいざこざや、リッケンバッカーのベース探し、僕のADHD発覚、障害者雇用への転職など、多くの問題に直面しながらも、2人で話をしながら、メロディや構成を立てたりしていた。

2018年春。ようやく一緒にスタジオに入る日が来たのだ。

が、しかし、一つ問題が発生する。僕はよくよく考えてみたらドラムを3年くらい叩いてなかったのだ。

彼は元々音楽でお金をもらっていたセミプロであり、事務所にも入っていた。そんな彼の前で拙いドラムを叩いた途端、そんな演奏じゃ話にならねぇ!!なんて怒鳴られたらどうしよう...と不安であった。

しかし、それは取り越し苦労だったことが開始10分で判明する。彼に至っては、なんと6年もベースを弾いておらず、2人とも演奏がグダクダであったのだ。

僕らは己の技術にガッカリする。しかし、スタジオ終わりのサイゼリヤ下北沢店で互いに意見は一致した。

「各々感を取り戻すように練習しつつ、並行して曲作りをしていこう。」

そこから1年くらいベースとドラムだけでスタジオに入り、曲作りと練習を重ね、何曲かストックが出来た。
いつのまにか2人はオリジナルバンドを組むようになったのだ。

バンドのウワモノを探していた僕らは、ぴょんの旧知の仲であったはるこさん(key.vo.)をバンドに誘っては断れ続けていた。しかし2019年11月、はるこさんは20万円もするキーボードを分割で購入し、目の前にあらわれてくれたのだ。

こうしてモーグリが大好きなベース、バンアパのフロントマンそっくりな兄貴がいるキーボード、お酒がまったく飲めないドラムの3人が集まり、「cheekcut」が結成となったのである。

ちなみにバンド名の由来はあんまりここでは書きたくないので、みなさまに直接お会い出来たときにでも。

文:アライタイツ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?