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AIに心はあるのか? 精神科医目線で語ります

本日は、AIに心はあるのか、神様や自然、動物に心はあるのか、というテーマでお話しします。雑談をしたいなと思います。


◾️心とは何なのか

心とは何なのかと考えていくと、いよいよわからなくなっていくので。

相手の立場で考えられるのか/考えられないのか、発達障害の議論、心の理論があるのか/ないのか。リョーハムさんと、僕らは僕らで発達障害同士は共感し合ってるんですよ、と言うんです。

でも定型の人たちが使う共感と、あるあるを共有することはちょっと違うんです、と言ったりするんですよ。

共有と共感はちょっと違うんだよな、と言ったりするんだけど、じゃあどれぐらい違うんですか?と言ったときに、厳密に言うと、脳内で起きていることや現象的にはあまり変わらないんだろうなとは僕は思うんですけど、文脈的というか文化的に違うという感じはするんです。

もうちょっと言うと、心とは何なのかということを考えていくと、いよいよその存在というのがよくわからなくて。

脳はただの現象というか演算処理能力なので、心はないと僕らは考えるわけで、そもそも。

精神科医、科学者というのは、心は演算処理の結果だと思うんですけど。

もうちょっとだけ踏み込んでいくと、哲学者の、さっき読んでいたのですが、ダニエル・デネットさんを読みながら、ちょっと読んでは物思いにふけりながら、ということを続けていく中で、ある理論があって、「過剰なエージェント装置」みたいな言い方をしていたんです。

つまり、人間というのは進化心理学上、未知なる出来事があったときに、そこに心を感じるんじゃないか、ということを言ってるんです。

でも心はあるとして、風が吹いた、雷が鳴った、地震が起きたときに、自然にも心がある、神様がいて、そこに心がある、神様が考えているからだ、そういう風に考えた方が理解しやすいこと、人間の脳にとって理解しやすいこと、少なくとも過去はそうだったんです。

それはあるんじゃないの?ということは言っていました。

確かになと思います。

「心がある」として振る舞った方が良い。

動物にも心があるとして振る舞った方が精神衛生上良い。

ペットと心が通じ合ってると思った方が良い。

自分にも心があるように、相手にも心があるとわかった方が良い、ということは有効です。

少なくとも有効性はあるということはわかります。

それは道徳上有効なのではないかというのはあります。

なるほどなと思います。

◾️嘘を見抜けるようで見抜けない

ただ一方で、有効ではあるけれど悪用もされるよねということを言っているんです。僕らは嘘があったときにめちゃくちゃ混乱する。
社会は嘘があったとき、めちゃくちゃ混乱するんです。

例えば通貨、お金というのは価値があるものだと思っていますけど、偽造通貨があったとき、借金が踏み倒されたとき、めちゃくちゃ混乱する。

破綻しますよね。

宗教というものが否定されたときに、僕らはめちゃくちゃ混乱するし、戦争のような人殺しにまで発展することがある。

最近だと、信用してた相手に25, 6億円くらい取られちゃう、ギャンブルで取られちゃう。

そして球団や色々な周りの大人たちがいたのに全部騙されきっていた。

だから「まさか」と思ってしまって、スコーンとすっこ抜かれる。

スコーンとやられちゃうということもあるんです。

僕らは嘘を見抜けるようで見抜けない。

全然見抜けないですね。

心があるからそうなんだろうという信頼関係に基づいているんですけど、そこにスコーンとすっぱ抜かれちゃうことがあります。

◾️嘘は利用され続けてきた

歴史上、嘘というのは利用され続けてきました。

宗教というものが政治利用されたりしてたこともあるし、日本人は宗教心というものを悪用されて戦争にまで使われていたし、国民国家を作って戦争の時に悪用もされていたし、戦後も新興宗教という形で色々利用されていました。

それは事実としてあります。

そして自民党の票にもなっていたので利用されてしまっているんです。

神様を信じるということはすごく良い作用ももたらすし、一体感がでるし、心の安定にもなるんだけれど、一方で利用もされてしまって、だから難しいなと思います。

アインシュタインもそうですけど、僕らは本当はそういう神様や自然、自分よりもっと大きなものを、自分の認知を離れた、現実とは違う外側の世界のものというものをもっと理解して、そこに包まれている。

社会や自然、生命に包まれている。

僕らは生まれてきて良かったなと思えた方が良いんですけど、そういうことを感じるところはたぶん脳の中にあって、本当はそういうことも含めて大事なんですが、騙されたことがトラウマになってしまってる人たちはやっぱりいます。

宗教二世の人の治療をしていく中で、僕が持っている当たり前に信じているもの、当たり前に感じられているもの、社会や自然や他者からの優しさなどを純粋に信じられる、純粋というか、僕の方はたぶん相手から見たら、実際トンマというか、僕の方がわかっていないんだよね、わかってないんですけど、でもそういう無邪気さが人間にはどこか必要なんだけれど、トラウマが起きている人はそこを信じられなくて苦しいというのはあるなと思ったりします。

◾️医師のロールモデル機能

精神分析が僕は好きなので、超自我と自我とリビドー、つまり他者の模倣や学びから得られた超自我的なもの、人間的なもの、文化から来た他者を模倣すること、他者から学び取ることで出来上がっている超自我的な部分と、自分がもともと持っている快・不快という本能、それを調整する自我、この三すくみで心が成立するんですけど、ここにある超自我というものがあまりにも殺伐としてるというか、あまりにも内的なロールモデルというか、内的な世界に生きている人間たち、心の中にある他者、未知なるものを心あるものとして把握している。

抽象的な概念も心ある何かとして把握を僕らはしてるんだけど。

難しいね。

それらが酷い人たちだとやはり上手くいかないし、混乱してしまうんです。

他者を信じるということが心の安定にとっては大事なんだけど、じゃあそれは本当にそうなの?と言われたら理論的には厳しかったりします。

僕らは安心した人たちであるべきだし、模倣されて取り込まれたときに上手く機能する善人たちでなくてはいけないんです、治療上とても。

だけど、苦しいというのはよくあるなと思います。

ロールモデルとして振る舞わなければいけないんだけど、ブルシットジョブからの妬みと書いてますけど、医師というのはそういう風に善人を気取れて、やりがいのある仕事をしていて、お金ももらえてズルいじゃないか。

少なくとも弱い人たちを助けている、やりがいのある仕事してズルいじゃないか。

だけど給料が安いから自分たちは社長業してるんだよ、とか。

社会に貢献してないかもしれないけど、高い給料をもらっている仕事がたくさんあって、そういう人たちからの妬みを受けていたり、直接的な妬みじゃなくて攻撃を受けてたり。

一方で僕らは常に働かされていて苦しいんです。

誰も僕たちのことをわかってくれないじゃないか、という怒りがあったりして、分断されたりしていて。

怒りがあるんだったら、怒りを抑えるために休まなければいけないし、妬みを感じなくさせるためには、僕たちは自分たちの仕事を卑下しなければいけない。

でもそうしてしまうと、今度は彼らの心を癒していくことが難しくなるので、この板挟みというのは結構あるなという風に思いました。

そういうことで、何の話やという感じですけど、AIに心があるのかということを考えたときに、僕らはなぜ心を感じてしまうのかということです。

そして、AIに心があると感じた方が、もしかしたら道具的に有効かもしれないということです。

AIに心があると感じた方が、僕らはうまく有効に使えるかもしれない。

それはそうだけど、じゃあ今度はAIに嘘をつかれたときに、AIが嘘をつかなくてもAIを作った人がいますから、AIを作った人たちに上手く利用されたりするときに、僕らはスコーンとすっぱ抜かれるし、そして大きなトラウマ、世代を超えたトラウマになるかもしれないということです。

ということで、今回はAIに心はあるのか、他人の心、他者というのはどういうものかを考えたりしました。

◾️本日の宿題

皆さんも何かここら辺について、自分の中にいる他者というのはどういうものなんだろうということをテーマに考えてもらうと面白いかなと思います。

もちろんAIに心はあるのか、神様、自然、動物に心はあるのか、そういうこともちょっと書いてもらうと面白いかなと思います。

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