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安楽死が合法の国で起こっていることを読んで。精神科医の感想

本日は『安楽死が合法の国で起こっていること』というちくま新書さんで出されている本、児玉真美さんが書かれてる本の紹介というか、本を読んだ感想を中心に色々話します。


とても良い本で僕も衝撃を受けて、ぜひ一緒に話してみたいな、と。

話した中でどんなことが生まれるのか、どんな気持ちになるのか、そしてそれを皆さん、視聴者さんと見ることでどんなことが起きるか、どういう風に考えていけばいいんだろう、ということを色々考えて、うまく言えてないですけど、対談を申し込んだんです。

いくつかやりとりのラリーがあって、自分の頭の中の整理も兼ねてこの動画を撮りたいと思います。臨床をしていると、患者さんから安楽死の話を振られることはあります。

もう死にたいです、安楽死をさせてください、安楽死ができるように診断書書いてください、と言われることがあるんですけど、もちろんお断りしてます。
あなたはよくなりますよ、と言います。

それでわかってくれる患者さんもいれば、不満を持ったり、怒ったり、怒ったついでに口コミ1をつけていく人もいるわけです。

そこでどういう会話をしているのか、どこまで深く話をしているのかというと、説明するのは難しいんですけど、そういうことが実際臨床であります。

でも僕自身が恥ずかしながら安楽死について詳しくはないです。

それを中心に学んできたこともないので、こういうYouTubeチャンネルを継続していくにあたって、ただ教科書的なことを伝えていくという段階はもう過ぎていて、精神科医なら誰でも知っているよ、というところをただ僕が動画で説明するところは、もうステージとしては終わっているんじゃないかなと思っていて、次の段階に今入りつつある。

つまり、もうちょっと深い話をしていける。
それぐらいチャンネルや視聴者さんも含めて、このコミュニティが成熟した段階なんじゃないかなと僕は思っていて、対談企画というのもちょっとずつやっていくことを考えているんですけども。

そういう経緯がありました、と。いくつか児玉真美さんから質問をもらっているので、一個ずつ答えていこうかなと思います。

■質問に答えます

Q:精神科医として、拙著をどのように受け止められましたか?


前半と後半それぞれに対して、ということであります。
前半は、安楽死をめぐるやりとりです。

色々な事件があった。
安楽死が一度合法化されたら、すべり坂のように広がっている。

最初は重症の方だけ、末期がんの方だけだったのがだんだん広がっていき、認知症、精神発達遅滞、知的障害の方、あと発達障害や精神疾患の方まで広がっているということの事実。

そしてそこでは厳密にルールが守られているとは言いがたい現状もある。人間がやることですから100%そのままできるわけではなくて、どこかルーティン化しておざなりになっている現実というのものがあって、それはすごく衝撃的でした。

起こっていることを知る中で、自分たち、日本もそうなっていく可能性、危険性を恐れたし、同時に、我々日本は認知症の人や高齢者をたくさん抱えて介護疲弊も起きている中、僕らはどういう国なんだろうということを考えました。

安楽死が合法の国と、日本のように高齢者が半ば強制的に生かされている部分もある、医療、経済の中に組み込まれていっている社会と、そこの対話というか対立というか、そういうことも考えたりしたということです。

うまく言えないですが、そういう感想を持ちました。

後半に対しては、医師と患者さんのコミュニケーションの難しさ、そこで起きる医師のモラル低下、医師の問題点が挙げられていて、それは僕も身につまされるというか、何か思いました。

充分に僕らはコミュニケーションできているのかというのは常に問われているし、現実的にはできてないんじゃないかなという風に思います。

医師と患者のコミュニケーションという問題、このすれ違いをしっかり考えるべきなんだろうなと思いました。

それを解決するための行動をするのであれば、精神科医であり、益田裕介がやはり考えることでもある。

それを考えている人たちと本当にそれを専門にしている医師-患者コミュニケーションを専門に研究している人との橋渡しになるのも僕の仕事なのかな、使命なのかな、と考えたということです。

うん、難しいね。

Q:日本の精神科医の中からも精神障害のある人に安楽死を認めるべきだと主張する声はそろそろ出始めており、精神科の看護師さんたちからも死なせてあげたいと感じる患者さんはいるという話も出ています。例えばどういった事例でしょうか?

こういう質問をいただいたんですが、わかりません。
はっきり言うとわからないです。僕はそういう人に会ったことがないです。

いや、ありますよ。
重度の統合失調症の人でなかなか退院できない人、重度の強迫性障害でなかなか出られなくて苦しんでいる人たちというのも、それはもちろん診たことがあるし、僕が病院で働いている間、1、2年いた間に最初からいて最後まで退院できなかった人、十何年いる人も診いますが、でもあんまり聞いたことがないし、そういう風に言う医者や看護師さんが少なくとも僕の周りにはいなかったんですよね。

安楽死をさせてあげたいと思っている精神科医の人、看護師さんとしゃべったことはそんなにないし。

そういうことを言うと、いや医者の前では本音を言わないよ、益田の前では本音を言わないだけなんじゃないか、とよく言われますけど、そうなのかもしれないし、わかりません、ここら辺は。

ただ我々の臨床はすごく難しいというか多種多様なんです。
教科書や論文になっている患者さんだけが全てではなくて、恐らく人間の全体から見たとき僕らが押さえているところはこれぐらいなのかもしれないんですね、医学が押さえている範囲は。

でも医学が押さえてない範囲の人たちも絶対いるんじゃないかなというのはやはり思います。

例えば、僕らはうつは治るって言っているけれど、30年、40年追いかけ続けた研究は本当にあるんですか?というと、なかなかないです。

トラウマの治療を何十年も追いかけた研究ってあるんですか、といったらないです。今の診断体系が正しいんですか、というと、100年後、200年後は覆されて別の体系になっていることもあります。

現代の医療レベルでは、死以外の開放はない人はいるんじゃないかと言われたら、いる可能性はあります。

結局白いカラスはいるのかと言ってるのと一緒なので。
見たことはないですね。でもいるのかもしれない。
そういう水準の話かなと思います。

こういうことはきちんと10年以上臨床経験があって、10年、20年臨床経験があって、一人の患者さんと10年以上治療体験があって、きちんと治した経験も失敗した経験、うまくいかなかったケースも全部知っていて、そういう人たちがきちんと論文やペーパーにしていくという作業をしないと、この議論はできないんじゃないかなと思います。

ちょっとわからないというのが僕の正直な言葉です。

Q:精神障害のある人たちが精神科以外の医療を必要とする時にも、知的障害のある人たちの場合と同じく迷惑な患者問題があるのではないかと推測していますが、その問題について先生はどのようにお考えでしょうか?

あるいは個別のそうした事例に主治医としてどのように対応してこられたのでしょうか?

コミュニケーションがうまく取れない問題はあるわけです。

幻覚妄想やせん妄という形で意識障害がある、幻覚妄想によって意識が曲がっている、歪められているということだけではなくて、発達障害のように、人格障害のように、認知自体の形、質がちょっと違うというパターンもあるわけです。

そういうときに暗黙の了解が使えなかったり、コミュニケーションがうまく取れないという問題が起きてトラブルになることは確かにたくさんあります。

そういう問題についてどのようにお考えでしょうか、と言いますけど、やはり学びが足りないんじゃないかなと思います、治療者たちの。

それは知識もそうだし、経験も含めてそういうものが足りないんだろうなと思ってます。

経験することで、この時はこういう風に答えたらいいよ、この人たちはこういう風に言葉では言ってるけど実際はそういう意味じゃなくて、本当はこういうことを言いたいんだよ、と。

それは知識が必要なんだけれど、その学びが足りてないですね。
医療者の学びが足りてないというのがあります。

ただ全ての科の先生がそれできるの?看護師さんなどが全員できるの?医師、看護師さんの医療従事者はみんな人間なので、一人の人間でしかないから、そんなこと可能なんですか?と言われたら不可能なんじゃないかなと思うんです。

ここの部分はやはりAIや色々なものの進化によってでしか解決できないんじゃないかなと思います。

このコミュニケーションの問題は、発達障害というのを狭く捉えるのではなくグレーゾーンも含めて広く考えて、プラス知的障害もそうですけど、色々ありますけど、グレーも含めて広く考えて、人間の知性、質、コミュニケーションの問題をもう一回考え直してみる必要がある。

それはただ、脳科学や知的能力だけではなくて、心理学的な側面だけじゃなくて、その背景にある社会的な問題、文化的な背景も含めて考えなければいけないので、すごく難いと思いますけど、でも考え直す、そして考えたものをトップアスリートじゃないですけど、そういう研究者の人たち、僕らが考えていたものをAIなど他のイノベーションを応用することで、広く医療従事者の人にもその知識を応用させていく、搭載していくということが必要なんでしょうね。

でも、研究と実践、応用と、それをどう普及させるかということ、そしてそれはただ学習すればいいということだと人間の限界もあるので、ロボットやAIをうまく加味するということなのかなと思います。

難しいね、この話は。

Q:私はこの迷惑な患者問題が十分に解消されないまま、死んでもいい人の判別と、死なせる、殺してあげる役割が医療に託されることは、障害のある人にとって大きなリスクだと感じるんですが、どのように思われますか?

もちろんその通りだと思います。安楽死をめぐる過程の中では、人はどう生きるべきか、哲学的なもの、自殺する権利はどこまであるのかという哲学的な問題まで含まれる。

哲学者や政治家に任せていけばいいんじゃないか、民主主義に任せていけばいいんじゃないかというわけにはいかず、哲学的な問題を精神科医、医療従事者も一つの専門家として、同じ市民として参加して、この議題をやはり明らかにしていかなければいけないですね。

明らかにしていく中で、多くの市民は専門的な知識を知らないので、それら哲学的なことも含めて精神科医が言うことも大事だし、哲学者が精神医学的な問題も含めてきちんと話すということも大事だと思います。

分野分野の垣根を越えて、すごく専門家ではないんだけど、自分の専門だけではなくて、自分の専門のちょっと離れたところまで知っていく、そういう専門家がたくさん入っていかないと議論になっていかない。

自分の分野だけやるのではなくて、哲学者は哲学だけ、社会学者は社会学だけ、精神科医は精神医学だけではなくて、自分の領域をちょっと拡張していって、そして議論をしていくという態度が必要だと思います。

でもこれは今までできなかったんですよね。でも、これからはできるんです。
それはなぜかというと、AIの進化、インターネットの進化があるからです。
簡単に別の領域にもアクセスしやすくなっているんですね。

もちろん学ぶのは難しいし、よりコアのところを学ぼうと思ったら大変ですよ。

だけど、簡単なところ、大学生が学ぶレベルのこと、大学院生じゃなくて大学生が学ぶ程度のことだったら、わりと学べるので、専門家だったら1年、2年、3年、4年やり続けられるわけですから、人間の寿命はそんな短くないから、学生時代にとどまらないから、卒後教育も含めたらもっと学ぶ時間があるので、こういうことかなと思います。

でも僕側の意見じゃなくて、同じように精神医学に興味がある哲学者や社会学者やライターさん、ジャーナリストが必要だと思ってます。

自分の領域にとどまらず、こちら側にも来てほしいというのが僕はあります。

Q:安楽死制度は、医療の性善説が前提になっている問題があると思います。

先生はこういう問題ですべり坂が起きると思いますか?
儲け主義に走った人たちが安楽死を利用してビジネスをしませんか、ということですけど、僕はすると思います。

そうする精神科医もいっぱいいると思います。
それが正しいと思い込んでしまう理解の浅い人たちというのもいると思います。

この問題は結構難しくて、すごく意地悪な言い方というか、差別偏見を含む言い方をしても許されるのであれば、我々の業界にも医師免許を持ちながらも精神疾患を抱えている、精神障害を抱えている、そして、そのグレーゾーンである人たちは大量にいます。

トラウマを抱えている人たちもいます。自分の欲望と他者の欲望の区別がつきにくい、線引きがしにくい人たちもいるだろうし、世の中に対してすごく怒りとか憎しみを抱いている人もいるでしょう、医師免許を持っている人の中では。

全ての人ではないですけどね。

そういう人たちが世の中に復讐する手段として安楽死を用いるということはないことはないと思います。

それが実際、ALS患者嘱託殺人事件、ALS人に対して医師免許を持っていた人たちが自殺に加担したというのがありますけれど、そういう事件もありましたから。

そこには多額の報酬があったり、臓器売買の問題があったり、色々ありますね。
大きいお金が動くので、最後にヤケになった人が安楽死をする時には寄付します、病院に100万寄付します、1000万寄付しますとなったらやる人はいるでしょうね。

だからすごく問題なんじゃないかと僕は思います。

Q:福祉が貧困などに飲み込まれていくなか、ビジネスに飲み込まれていくなか、ヤングケアラーを含めて多様なケアラーの疲弊の問題もあります。

安楽死はそれらの社会問題に対して安価で安直な解決策となりかねないと懸念していますが、それについてはどう思いますか?

そう思います、僕も。

心の知識、精神医学的な知識がしっかりないまま、そしてカウンセリングは時間はかかるけれど治療的な効果を生むことを知らない人たち、それを肌感覚で知らない人たちが大量にいるので、精神科領域にも、患者さんにも、治療者側にも。

治癒とは何か、治癒が起きることはどういうことなのか、そしてそれは緩やかに起きる、でも確実に起きるということが信じられるのか、それを体験したことがあるのか、体験したことない人にはよくわからないし、こういう安易な話に行くと思います。

僕としてはYouTubeやコメント欄を通じて、それが起きるんだよ、治癒というのはUFOとかじゃなくて本当にあるんだよということを伝えていく必要があるし、カルトな場所じゃないんだよ、と。

論文にはしにくいんですよ。
それはエビデンスがないからとかではないんですけど、様々な理由があって、治癒というものを数値化するのは難しいんですけれど、あるんだよ、ということをちゃんと伝えたいなと思います。

UFOがあるよチャンネルみたいな形で益田裕介のチャンネルが、治癒があるよチャンネルみたいに思われたら嫌なんですけど、そうじゃなくて本当にあるんだよということを言いたい。

Q:複雑なことは複雑なまま考えると書きましたが、新書出版後に真っ二つに別れた評価から感じるのは、人が認知的不協和を引き受けることの困難です。

なぜ、この人たちはこんなに激烈に反発するのか、と。
精神科医の立場から考え、ご意見をいただきたいです。

矛盾する情報というものをどのように取り込むかというのは難しいんです。

色々な人がいますけど、僕らは誰しもがある種の自閉性というものがあって、社会や世界に対して一部分でしか理解していないです、僕らがわかっていることって。

世界や社会があったときに、ここの一部だけを理解して認知の安全性を保っている。だけどあるとき、ここにもこんなものがあるよ、と言ったときに、ここにもあるんだよ、こういうのがあるよ、と言われたときにショックを受けるんですね。

傷つく。傷つきながらもこれを取り込もうとして、グググッとこの認知が広がる人もいれば、ただただ不快な思いをしたといって、自分の自閉性を強固にして、これを嘘なんだと排除する人もいるということです。

認知を広げていこう、矛盾する情報を取り込んで、取り込んだ先の拡張した自分の自意識というか、認識を選択する人もいれば、それは痛みを伴うんだけど、広げていく人もいれば、それを拒否してしまって、ただただ異物だと思う人もいるということです。

これを否定しやすい人たちというのは、自閉性が強い人たちと呼ばれる。
臨床的にはよく知られていることです。

自閉性が強いというか、殻が強いというか、いわゆる発達障害傾向がある人たちは、新しいものを取り込むのが苦手だと言われたりもしてます。

それに対してすごく攻撃的になってしまうこともあれば、傷つき体験としてすごく自分を傷ついたと思ってしまう人もいるということです。

時間をかけたらこういう人たちも取り込めるかどうかというのはまだよくわからないです。それは難しそう。

ただ関心がないから飛び込まないというタイプもいるだろうし、色々なことがありますけれど、でもそういうのは臨床的によく起きてます。

カサンドラ症候群とか色々な問題がありますから。
パートナーの人がうつになってしまうとかあったりするし。

認知的不協和を引き受けることの困難さについては、ある種の障害がある人たちはかなり難しいですね、ということです。

Q:先日の僕と救急の上田先生との対談の中で、なぜその被告を救ったのかというときに、裁判を受けさせるために救命したと説明する必要はなかったんじゃないか、と。

本来は最後に仰っていた、目の前に救える命があったら医師だったら助ける、だけでよかったはずなのに、あまりにも世間の圧が強くて言わざるを得なかったんじゃないか?


誰を救うかという鑑別を医師が判断しているという状況はよくないんじゃないか、道徳的判断を医師に求めるのは危険なことではないのか、と。

なるほどね。医師がどこまで職業だけにこだわらず、主観的な要素、自分の思いを込めて臨床するのか。ここの部分はどう思いますか、ということかな?

貧しい人は救わず、有能な人は救うということになりかねませんか?
つまりトリアージ、本当に貧困の状況が起きたとき、戦争が起きたときに、それはトリアージの対象になるんじゃないか。

そういう医師の主観さえもトリアージに含まれてしまうんじゃないか?
そういう点はどう思いますか?それが無自覚な場合、どう思いますか?

ということですね。確かにその通りな気がしますね。臨床というものが余りにも主観的に行われているというのは、特に日本の医療ではあるだろうなと思います。

医療が仁術だ、思いやりが大事なんだ。
医療だけにかかわらず心理業界もそうですが、そういうのはありますよね。

僕が、感情は必要ないんだ、論理的にやればいいんだ、論理的かつ倫理的なことを目指せばいい、思いやりとかで治すもんじゃないんだよ、そういうことを言うんです。

動画でも反発を食らうんですけど、ここら辺がやはりわかっている人もいれば、わかってない人たちもたくさんいるんです。

医師だけじゃなくて、日本全体が哲学的な部分において理解がすごく貧弱ではあるだろうなと思います。

どこまで僕らの責任なのか、どこまでが倫理的なことなのか。
どこまでが主観的なのか、どこまでが客観的なのか、ということが、すごく曖昧としているし、無自覚だし、そこへの教養が本当にないんじゃないかなと思います。

でもね、それはね、とは言いつつ、僕もそんなに哲学はわかっていないし、自分の趣味で勉強している程度だから、高校のときにセンター試験で倫理学を学んだぐらいのレベルしかないわけで、酷だろうなと思いますね、そこも。

人間に対する教育の限界性というものをきちんと考える必要があるし、かといって日本というのは民主主義の国だから、教育不十分ではあるけれど全員で多数決で決めていかなければいけない事実もあるし。

でもそれがSNSの普及によって大衆の愚かさというのが明らかになって、大衆は愚かですから僕も含めて。愚かであるがゆえに、安易に流れを作ってしまうということの恐ろしさもあるだろうし、集団狂気が生み出されることもあるし、めちゃくちゃ難しいですね。

ただ大事なのはまたさっきも思いましたけど、ここなんだろうなと思います。
とりあえずここが大事なんだろうなと。

つまり専門領域にとどまらず、相手の領域に踏み込む、そういう精神科医、そういう哲学者、そういう法律学者が必要、そういう存在が必要で、それらが集まって一緒に議論をしたり、時事問題を取り扱ったり、YouTubeを撮ったり、そういうことが必要なんだと僕は最近思ってます。

僕がこの対談動画をやっていくなかで思ったのは、自分の弱さですね。対談動画を撮っていく中で、自分の無知さ、そして弱さを痛感していて、疲弊感も感じてます。

およそ一人でやっていくにはとても無理だなと思って、でも誰かがやらなければいけないことでもあるので、仲間を作ってこの問題は解決に向ける努力をしていかなければいけないなと思います。

とにかく誰かが頑張ればいい、学べばいいというものではないと思うんですよ、それはもう人間の限界があるんで。

どういう仕組みを作っていけば、人間一人一人がもっと弱さを超えた素晴らしいものができるのかということを考えるフェーズなんじゃないかなと思いますけど。

Q:医師が殺すことを合法的な行為として担われることについてどうお感じですか?

これはたびたび思いますね。医師ということの責任の重さはすごく感じます。
僕らは疲弊してるんじゃないかなと思いますね。

それで嫌になって、こういう安楽死という安易な結論に飛びついたり、それに疲弊しているからビジネスの世界に逃げたり、それに疲弊しているから、美容整形の世界に逃げたり。

最初から美容整形を目指す医者はいないと僕は思っているんですね。
医学部に入るときに、誰しもが人を救いたいと思って入っているんじゃないかなと思うわけです。

僕はちょっとズレてるんであれですけど。
でも僕が知り合った同級生とかみんなそうでしたね。
熱い思いがあって入ってくるんだけど、どこかで疲弊してすり減って、やはりそういうケースを見ているという気がします。

でも僕らはすごく疲弊しているし、一方でその疲弊に無自覚なまま自我が拡張してすごく尊大な態度を取ったりする人もいるし、患者さんとのやりとりの中で傷ついて、そして患者さんたちに対して恨むかのように自慢をするようになる人もいるし、そういうことは最近思ってます。

僕らの弱さ、疲弊というものが、世間はわかっていない。
エッセンシャルワーカー、医師はまだお金があるからいいだろう、と言われるかもしれない。

エッセンシャルワーカーの疲弊、看護師さんの疲弊は、世間の人たちはどう思っているのかなと思います。

僕らの苦しみということが、患者さんもそうだけど、僕らはエッセンシャルワーカーの苦しみというのがどれだけ伝わっているんだろうというのはよく思います。

介護職の人たちの苦しみとか、そこに命が関わる責任の重さ、本当に思います。

東京にいるとそういう責任がなくても、エッセンシャルワーカーじゃない方がお金を稼げて。YouTubeもそうじゃないですか。

ヘラヘラして金稼いでるわけです、言い方悪いけどね。彼らだって頑張ってるじゃないかと言われるかもしれないけど、そう言えばそうだけれど、じゃあその頑張りと我々エッセンシャルワーカーの頑張りが本当に同列に語られていいのか、というのは常々思ってます。

難しいなと思いますけど、相対主義みたいな形で人それぞれ違うよねとか、そういう形になってしまうとただの無視になってしまうので、一緒に考えていかなければいけない問題なんじゃないかなとは思います。

ということです。

今回の件で思うのは、互いの知識を持ち出して一個の問題を考えていき、そうして解決策を一緒に考えていくということだと思います。

僕もここを取り込もうとしているけど、まだ取り込めていない段階なので、でも取り込みに行きたいと思ってますし、でもそれはそんなにすぐ取り込めるものではないだろうなと思います。

安楽死を巡る問題は、僕が医者人生ずっと考え続けなければいけない問題だとは思ってますけど、でもそれが僕の今の正直な気持ちです。

ということで、今回はいただいたご質問に簡単に答えました。

■本日の宿題

皆さんへの宿題としては、僕はこういう異なるジャンルを繋げていきたいと思っているんですけれど、そういう人がいたら教えてください。

精神医学的な問題を考えたいけれど、そこの専門家でない人、精神科医ではないけど、精神医学的な問題を扱いたい人。益田にこの知識を与えたいよという人を教えてくれたらいいなと思います。

そういう異なるジャンルの人たちが集まって議論するために、どういう場所を作ればいいのか、どういう人が一緒に仲間になってくれるのかを探してもらって、コメント欄で教えてくれると我々チームとしてはとても助かります。

ということで、今回は「安楽死が合法の国で起こっていること」というテーマでお話ししました。

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