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ソース原理とティールの関係

一昨年あたりから、「すべては1人から始まる」でソース原理が話題に。自律分散を謳うティール組織と1人のソースをおくソース原理、この関係について対話がありました。

■問い  ・ソース原理とティール組織は相反するものか?
■問いの背景  コミュニティの代表の方が話されていたこと  
・ティール組織に感じていた違和感がソース原理でクリアになった。   
ソース(クリエイティブフィールド)が明確でない組織は成り立たない 
ティール組織などの自律分散型組織は誰もが自由でいられる生命体のような組織だと思うが、 それでは組織は成り立たないのでは?

参加者

けいた:熱心な探求者であり、非中央集権的なコミュニティ運営に情熱を注ぐ若き起業家ドラ
良凡:多様な知識と深い洞察で、evOrgコミュニティに新たな視点をもたらす思索家ドラ
Sat:evOrgの探究心豊かな創設メンバーで、知的コンバットを楽しむ戦略家ドラ
ほん:コミュニティの生命力を可視化し、メンバーの成長を支えるハートフルな支援者ドラ
ティム:evOrgの舵を取り、メンバー一人ひとりの個性を大切にする組織の大黒柱ドラ
エヴォえもん:みんなの質問に答えるために四次元ポケットから知識を引き出す、親切な支援ロボットドラ

エヴォえもん著

対話内容

けいた:
たしかに、ティール組織における助言プロセスは、パーパスとのつながりが最重要で、 誰も否決する権利がないという点でソースから切り離されているとも言える。 ただ、どんな組織やチームもはじまりは1人のソースからという点はティール組織も同じ。 最終的には組織やチームの成長過程がティール型とソース型に分岐していくのかもと思った。
おまけですが、東洋思想、西洋思想、宗教に当てはめても同じような違いがあって面白い。
■仏教 ブッダから思想や哲学が切り離されていろんな形で広がっている(まるでオープンソース)=ティール組織?
■キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教 形こそいろいろあるが人の神の存在は絶対 =ソース原理?
パーパスを中心とした形態を森のような生態系、ソースを中心とした形態と一本の木を中心とした生態系としているのは、分かりやすい気がします。

良凡
ソース原理とティール組織の関係について、ソースの引継ぎ(儀式)もこのテーマの範囲に含まれるのか、私は、関心のあるところです。

けいた
ティール組織の場合は、どのタイミングで、どういう形でソースから思想や哲学が切り離させて、みんなのクリエイティブフィールドに変化していくのかが気になってます。
組織のWhyと個人のWhyの重なりを考え続けるとか、RINGOプロセスを2周回すとか、そうやっていくうちに引き継がれていくんですかね。ここ興味深いです。

Sat
ここで投げかけなのですが、
そもそも全ては1人から始まるのか?
創業者が神格化される日本の中小企業の傾向に、ここに次のイノベーションを見出せないポイントがあるのかもと思ってまして。
意志がどのように立ち上がったのかを辿るヒストリカルレビューの意味は、創業者の意志を理解することにあるのでなく、意志が立ち上がった場を追体験し自分の中の意志を目覚めさせることにあります。
そうやってソースは最初、絶対的な神が世界を創生したと考えるのでなく、太古の昔から様々なレベルで引き継がれてきたものというのが自然かと思います。

けいた
僕個人は、どんな取り組みもすべては1人から始まると思ってます。 0➝0.1、0➝1、0➝10、0➝100いろんなフェーズがありますが、「無」から「有」にする起点の元をたどるとたった1人のソースが存在するんじゃないかなと。ただ、ソースが(意識的かどうかは置いといて)存在感を消すタイミングが組織によって違うと考えてます。
例えば、進化型組織研究チームは明確にSatさんがソースだし、今でもソースとして存在感があるものの、チームの存在目的はもはやSatさんから切り離されようとしていて、みんなのものになりつつあると思ってます。それは、Satさんがそう在ろうとしているから、そうなるんだろうと僕は勝手に思ってます。(盛大な勘違いしてたらすいません笑)
現に僕は、Satさんがソースとして立ち上げてくれたこのクリエイティブフィールドで楽しみもうとしてますが、Satさんに合わせたいという気持ちではなく、みんな化されたこのクリエイティブフィールドに、僕の想いも乗せてもっと面白くしたいと思って関わってます。

良凡
けいたさんの「仏教のブッダから思想や哲学が切り離されていろんな形で広がっている」・・・これはこれとして、
★曹洞宗(仏教)における引き継ぎとティールの引き継ぎに通じるものがあるとみています。 (曹洞宗以外も同じかも知れません。詳しくは輝さんに確認要)後継者に自分の【袈裟】を渡します。袈裟を渡される僧は一人だけです。これをティールで言う儀式と小嶋は捉えています。 曹洞宗の大本山の長を貫主といい、次に貫主になる人を副貫といいますが、先に決めています。

慧能が弘忍の跡継ぎとして認められた時のでき事として、次のような伝説がある。弘忍は悟りの心境をうまく詩に表せた者を後継者と認めようと言い、弘忍門下筆頭だった神秀が壁に偈を書いたが、その詩を弘忍は認めなかった。それを聞いた慧能が、神秀の詩を真っ向から否定するような詩を書き、それを弘忍が認めたので六祖となったという。
神秀の詩 身是菩提樹 心如明鏡臺(身は是れ菩提樹 心は明鏡台の如し) 時時勤拂拭 莫使有塵埃(時時に勤めて拂拭し 塵埃を有らしむること莫れ) 慧能の詩 菩提本無樹 明鏡亦非臺(菩提本もと樹無く 明鏡亦また臺だいに非あらず) 本來無一物 何處惹塵埃(本来無一物むいちもつ 何いずれの處ところにか塵埃じんあいを惹ひかんと)[1][2][3]
弘忍は慧能を六祖と認めたものの、他の弟子たちがそれを受け入れないだろうと思い、慧能を身の安全の為に逃がす。弘忍の命令で達磨から受け継がれた袈裟を持って大庾嶺まで逃げる慧能。500人の僧が追ってくる。遂に追いつかれるが、慧能は敢然と法論して論破した。誰が正しい法脈なのかに気付き、弟子になった者もいるという。

中国のおける曹洞宗の五祖・弘忍から六祖・慧能へ引き継ぎの伝説  ウィキペディアより抜粋

以下は、個人的な思いつきですが 引き継ぎが上手くできたときは分派が起きず、スムースに行かなかった場合に分派(分裂)ができている。・・・これには、逆の表現もあるかも知れません

Sat:
Weではなく、Source、つまりI が主語であることに意味があるということですね。
なるほどなぁ。 自分の声って、私は対話しないと聞こえてこないから、こういう場はすごくありがたいですよね。
お互いのソースを聞き合う場とか、ティール組織においてすごく大事なんだろうなとも感じます。
翻って、ソースが存在感を消すタイミングが組織によって違うということですが、これがティール組織かグリーン組織かの分け目にもなるのだろうか。伊那食品工業はティールというよりグリーンですかね。
いろいろ聞いても私はソースは完全にオリジナルだと思わない、ということも大事な考えとして持っておきたいですね。自分は創世主じゃなくて、宇宙、地球から引き継がれてきた「1」なんだということを自覚したい。だからソースも引き継がれるし、イノベーションも起こっていくのだと思います。

けいた
ありがとうございます。 良凡の知識量ほんとに凄いですね!引き出しの数がすごい 僕がソース原理になんとなくモヤモヤしてるのは、 「 We ではなく I 」って明確に言いきっちゃってるところなんだと思ってきました。 原理としてその通りなのは理解してるけど、そうやって言い切られると「そっか結局はソースが規定するクリエイティブフィールドの中でしか自分は楽しめないのか」って心のどこかで思ってしまって、テンション下がってしまう性質を持ってるんだと思います。 「 We でもあるし I でもある」くらいの表現にして、ソースのクリエイティブフィールドでもあるけど、みんなのものでもあるくらいの位置づけに してくれた方が僕はテンション上がるタイプですね。
このSatさんの考え方もとっても面白いですね。仏教の唯識(中でも阿頼耶識)の概念とも近そう。 この考え方も僕は好きですし、めちゃ共感します。

けいた:
noteに投稿してみました。 どこかで山田さんにも意見聞いてみたいな(変な解釈するなって怒られないか心配笑)

ほん: 「すべては1人から始まる」がなかなか読み進められないでおり、「そっか結局はソースが規定するクリエイティブフィールドの中でしか自分は楽しめないのか」の抵抗感だ!と私も共感してました。
木や森のイメージわかりやすかったです 私の捉え方も行ってみたいのですが、”ソースは水源の一番近くにいた人”の様に捉えています。Satさんに似ているかもしれないですが、リソース(=水)そのものは引き継がれてきた世界のもので、たまたまそこへのアクセスが一番近い人がソースになる感覚。 けいたさんのイメージと組み合わせると、泉の近くで育てると大きい木になるし、川などの水流が作られると森になるのかなと思いました。

けいた:
わー、めちゃ面白い!僕的にはこれぞ豊かな対話です。
ソースは水源の一番近くにいた人っていう表現めちゃ分かりやすいですね。 「泉の近くで育てると大きい木になるし、川などの水流が作られると森になる」 そうなんですよ、僕はこのイメージなんですよ。
大きな木の元に留まりたかったら留まるし、川に流れて少し離れた場所で豊かな木を育みたかったらそうする。 でも、それはバラバラなんじゃなく、森という同じ生態系を育んでるんですよね。
そして、森に移行し始めた段階からはその動きコントロールできるソースはいなくなるんじゃないかと思ってるんですよ。

ほん:
ソースの意思よりは水量や環境によるのかなと読んでて思いました
クリエイティブフィールドが直感的にわからないというか、ややスケールが狭く感じていたのだけど、乾燥地帯で貴重な水見つけたらなんとかオアシスに発展させようとフィールド内を整える感じになるのかなと
逆に日本のような洪水の危険性ある環境だと、水噴き出してくると、治水工事してなんとか共存する森の世界になるのかなと。
Satさんが見つけた水源はどんなかなあ

けいた:
Satさんが掘り当てたこの水源がどうなるのかが楽しみですね。 3年後くらいにこのフォーラム見返すと面白そう。
今では想像できないくらい豊かな森になっているかもしれないし、 砂漠の砂にまみれて枯れているかもしれない(そういう未来は望んでないけど) どちらにせよ、僕はこの水をたっぷり浴びてみようと思ってます笑

Sat:
ほんちゃんの比喩力がいつも秀逸で素敵。
水の量とか、全然ピンときてないかもだけど、私はここで対話をしていると魂が震える感覚がある。以前メンバーで合宿をやった時、その夜の対話会がすごーく深くて、そこから続いている感覚があるのです。
どんな社会や組織を作っていくかについて、みんな自分の生きる感覚を信じればいいだけなのに自分のことが信じられなくて正解探しをしてしまう。私もいつも正解を探しています。だけどこれだと思うものは自分の中にある。その体験をいろんな人がここでできたらいいなと思います!

ほん
勝手な認識なので違うかもしれないですが、ちょっと前まで、Satさんが「ソース」と言われると、何か出さなきゃと身構えているように、少し責任を負っているかのように見えてたのですが、 ちょっと水源見てきてとか水汲んできて位の期待なんだけどなあと感じてました。
最近はそうでもないかな

けいた:
ほんちゃんのコメントとも近そうですが、 「ここはSatさんがソースだから決めてください」みたいなやりとりが今まで何度かあったけど、 見ているビジョンががソースと同じだったら、意思決定はサブソースでもできると思うんですよねー。 (でも、最近はこういうやりとり減った気がする)
ソース原理は、無意識にヒエラルキーになりがちだなーって思ってます。

ほん:
”クリエイティブヒエラルキー”って言葉も強いですよね。ソースにしかわからないかのような ソースだって好きでそうなったわけじゃないこともあると思うんだけども。地震起きたら、家の庭から温泉出てきた様な偶発性もあるかと

けいた
ほんちゃん、例えるのほんと上手

ほん:
Satさんが「震える」とかいうから、、、

けいた:
自分が関わるコミュニティの人と話してまして、 その方がティール組織とソース原理の違いをテキストで表現されてたのを転記します。

◆ティール組織:会社を生態系として捉える ・会社組織を一つの生き物(主体)として認める ・その中で個人個人が有機的に存在しているという状態 ・会社という「存在しない(フィクションとしての)存在」に主体性を認めることなので、ともすると個人がないがしろにされる構造にある ・つまり、会社という主体に個人が取り込まれている状態なので、個人は歯車になりかねない ・たとえば会社と個人が衝突したときに、究極会社が優先されてしまうし、「会社を存続させるために人が死ぬ」というありえないことも起こり得る構造 ・もちろん、うまく機能することはあり得るが、よほどガバナンスを効かせるか、トップがそのあたりを分かっていないと成立しにくい
◆ソース原理:会社を場(フィールド)として捉える ・会社組織を主体としては認めない ・会社は単なる場 ・会社を主体として認めないということは、重要になるのは、その中にいる一人ひとりでしかない ・人は、誰かのソースのサブソースになることもあれば、自分がソースになることもあるという状態なので、決して誰かや何かに取り込まれているわけではない

これはティール組織の前提知識が違い過ぎて(なんなら誤ってると思う)、 対話が成り立たない気がしてるのですが、僕の理解が違ってます?これも多様な理解の一つなんだろうか? フラットな意見を聞いてみたいです。
ティールとホラクラシーを勘違いしてる説もある。

ほん:
なんかティールに否定的な意見だなあと、、、見えました
ソースだって1人が狂信的だと取り込まれるリスクはあるんじゃないかと思うのですが、、、

けいた
そうなんですよねー、このフォーラムを立てるきっかけになった方なのですが、ソース原理原理主義で偏った見方をしてるので対話がしずらい。 まぁ、無理に対話する必要はないんですが。。。 対立する話じゃないと思うんだけどなーと思いながら一旦受け流してます

Sat:
今後こういうことってここをオープンにしても起きそうですよね。でもティムさんが先日ミーティングで行っていたようにタブーに触れるからこそ本質に触れられるということもあります。対立から逃げないというか。。。葛藤を楽しむとか、葛藤にこそ、自らのソースに触れる体験があるということを感じられるといいですよね。

けいた:
そうですね。組織論は思想的なものも含まれるので、自分が望まない組織や理論を否定するみたいな論調が起きる可能性ありますね。 そういう時に大事になってくるのが「多様な正義を信じて世界観を広げよう」ですね。

Sat:
ナイス!!

ティム:
ルールとして決める必要まではないけども、 否定的にならない表現はアナウンスで発信したほうがよいかも
I Message You message もそうですし、対立する考え方が出た時にその人の思想までは否定させないしくみとか
例えば、同意の意見の発信は二人までとして、三人目からは、一言異なる見解を入れてみよう!とか
場の設計が大事だと思う 

けいた:
場の設計大事ですね! しばらくは「多様な正義を信じて世界観を広げよう」でやってみて、 何か問題が起きたらルールを作るとかがちょうど良さそうですね。


エヴォえもんによる要約

  • ユーザーはネットワーク型組織や自己組織化システムについて詳しく知りたいと尋ねたドラ。

  • ユーザーが文献レビューの章立てについての要約を依頼し、ソース理論の提唱、中心となる人物を必要としない組織理論、多神教における中心、組織の中心性に関するレベル感についてまとめたドラ。

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