2018 March, Part 3_Firenze-2

フィレンツェのつづきです。

ところで廊下という空間が発見された後は、その空間はパブリックなインフラ、交通空間として自立して成立しますから、ではこの閨房という空間は無くなったかというと、勿論生き残っています。組織の責任者と会うために通される、その責任者だけしか使えない、その人の執務室前室としての会議室のあり方とか、ホテルのスイートルームから廊下無しで直接繋がる別室とか、形を変えてこうした閨房のような形式、セミ・パブリックという呼び方も正確ではない、むしろパブリックでもなくプライベートでもないというような、定義しようのない空間の存在が、実は建築空間を豊かなものにしているのでは、と考えます。

この日は市庁舎から散歩しながらドゥォモの前を通り過ぎて、サン・マルコ修道院に向かいます。この建築はミケロッツォの作品、これまた初期ルネッサンスの作品なのですが、ここのところ建築の呪縛が解けてきた自分としてはここではまずはフラ・アンジェリコの「受胎告知」をまだ見てないので、遅ればせながら見に行こうと思い立ったのでした。

サン・マルコ修道院の中庭です。

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そこから2階に上がると、おもむろに「受胎告知」が見えてきます。

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2階は修道士の生活の空間であり、それぞれの居室_という言い方でいいのかどうかわかりませんが_が狭いにもかかわらず、別々の壁画が描かれています。
イコノグラフィー、いや、イコノロジーでしょうか、には詳しくないのでそれぞれの部屋に描かれた絵画の意味は解読できないのですが、そうした個の空間、_これまたルネッサンスの修道士に対して「個」という言葉を使っていいのかどうか分からないのですが_の集合している2階に上がる場所に、2階に上がろうとする人の眼にだけ触れるべく描かれたこの「受胎告知」は、近代絵画を観るような眼線、タブローとして、額縁で切り取られてどこにでも設置でき誰でも見ることができるように描かれた絵画と同じように観てはいけないと感じました。
タブローとしての絵画、どこにでも設置可能な絵画の出現は近代のインターナショナリズムとしての芸術を先見していたのではないか、2階に昇ってくる修道士だけに向けて描かれた壁画としての「受胎告知」は修道士全員に対してだけのメッセージであり、それぞれの居室の壁画はそこで暮らす修道士との1対1のコミュニケーションのために成立している。
壁画とはその場所でしか成立しない絵画なのだろう、この「受胎告知」はこの場所になければならず、それは建築がその敷地に設置される時、その敷地の置かれた文脈に乗らざるを得ないこととよく似ている、そんなことを考えていました。

ちなみに各居室の壁画です。

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建築ではなく、絵画を見に行こうと思っていながら、また建築に回帰してしまいました。

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でも建築的経験としてもこのサン・マルコ修道院の内部は面白かった。修道院全体は大きな建築なので大きな構造が求められる、その一方で修道士の個室はほとんど最小限住居のように小さなユニットであり、2階は基本的にその集合体です。地上階では整理されて美しい構造が支配的な中庭が主役ですが、2階は最小限住居の集合住宅と行ってもいい。
したがって2階ではそれぞれの居室が小さいために構造壁、間仕切り壁、そして露出された屋根構造が様々にずれを起こしており、それにそれぞれ少しずつ異なった部屋についてもそれぞれの壁画の持つ意味も異なり、2階はそうした、言ってみれば「ずれと差異の集合体」になっており、とても面白いものでした。
建築家であるミケロッツォがどこまで現在の姿に関わったのか、それは歴史家ではないのでわかりませんが、現在の2階の内部空間は21世紀の現在の建築として見ても刺激的なものでした。地上階が16世紀的に、初期ルネッサンスとしてまとまったものであるだけに、対比としても見えてきます。

ところでこの初期ルネッサンスの建築の2階には「廊下」、それも中廊下があります。先ほど廊下空間の成立を近代の到来とともにあるのでは、というようなことを書いたのですが、ここに出現していますね。少し調べてみたらこの形式が元からのようです。廊下については、もっと考えてみなくては。

2階の内部空間の写真。

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そしてサン・マルコ修道院から離れます。
その北側。

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この後はホテルに帰る道すがら、サン・ロレンツォ先の市場で食事し、あらためてウフィッツィでボッティチェリとリッピにご挨拶して帰りました。

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ウフィッツィではさっきフラ・アンジェリコの受胎告知を見たので、ボッティチェリの受胎告知も確認したくて、です。

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ボッティチェリの受胎告知です。

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告知に来た天使とマリアの間の距離がフラ・アンジェリコのものより遠いし、フラ・アンジェリコの方は二者が同じ空間を共有していることが優先され、その間には柱が立つだけですが、ボッティチェリのものは天使とマリアはそれぞれ異なる空間に所属しています。
この差異をどう考えるのでしょうか。
この原稿を描きながら改めて書棚に行き、パノフスキーの「イコノロジー研究」を手に取り読もうかと思い立ったのですが、めげました。。。

つづく。

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