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「研究」からは遠ざかっても

きのうはzoomを使っておこなわれた、とある勉強会に参加しました。20年以上前からお世話になっている先生に帰朝報告のメールをしたら、参加しませんかと誘われたのでした。

きのうの勉強会のテーマは、私がかつて大学院で勉強していたことに近く、本来なら積極的に質問したりコメントしたりすべきでしたが、まじめに研究する気持ちをなくしてから10年以上も経ってしまった私には、たしかにそういうこともあった、あれはどうだったっけと、いろいろ思いに耽るだけで、発言することはできませんでした。

自分がやっていたような分野では、正直なところ今から思えば、世界で最先端の研究をするよりは、その分野のことを広く浅く(それでもそれはふつうに暮らす人から見れば、相当マニアックなことなのですが)知っておくほうが人の役に立ったのかなあと思います。戦後に本格的な研究が始まった当時の研究者はそういうふうでしたが、私が大学院に入ったころには初歩的なことはひととおり紹介されていて、そうではなく、さらに専門的な内容の研究、(外国の歴史の研究でしたから)現地の学界でも認められるような研究をしなければらないというプレッシャーを自分で勝手に感じていました。能力のある人は実際にそうした研究に入っていったわけですが、私は挫折してしまいました。

でも、その分野自体への愛着は今でもあります。ですので、学術的な研究という土俵にいられなくなったからといってすべてが終わりとせずに、その土俵の周辺で、自分がやってみたいと思うスタイルでその分野に関わりつづけることもできるのではないかと最近、考えています。すでに上の世代がやったような初歩的な知識の紹介を自分なりにもう一度やってみることも、「研究」としては評価されなくても、その分野が日本で存在しつづけることを助けるにはなんらかの意味がありそうに思えるようになりました。

果たして今の目論見が正しいかどうかは分かりません。でも、それが正しかったか、正しくなかったかは、時間が経ってからしか評価できないんじゃないかな。そう思って、自分が導かれる方に進んでいくしかありません。

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