コロナの「せい」か、コロナの「おかげ」か

私の住んでいるU国では昨年末から今年1月ごろにかけてオミクロン株の高い波がありましたがそれが収まった後はコロナの感染は落ち着いており、今、町なかで人々はほとんどマスクをしていません。日本も入国制限を緩和していっており、以前のような短期出張者の両国間の往来が少しずつ戻ってくるのではないかと思います。

これで以前のように仕事ができそう、そんなタイミングですが、私は日常が戻ってくる前に今の仕事を退職することにし別の道を模索しています。

表面的に見るとコロナのせいに見えるかもしれません。2年以上仕事が停滞し一時帰国もできず疲れてしまったんだなと。

たしかにそういう部分もあるとは思いますがそれがすべてではなく、根っこの部分ではコロナのおかげで見えてきたこと、コロナのおかげで考える時間、機会を与えられたことによる決断だと思っています。

ちょうど中国でCOVID-19が見つかったころU国大統領の日本訪問がありました。首脳級の訪問があるときには「お土産」と言っていいのか、いろいろな訪問成果を両国が競って作ろうとします。私は直接外交に関わる立場ではありませんでしたが、それでもその動きによっていろんな仕事ができたり、個人的に手伝ったりしました。

それらの「成果」のあまりの粗製乱造ぶりにあきれ果て、またこの時期の仕事の多さに疲れ果てた私は、その訪問後すぐに退職を切り出していましたが、職場で慰留され仕事を続けることになったのでした。今からみれば退職を2年先延ばししただけだったようです。

結局自分にとってのコロナの期間は、この訪問に巻きこまれてズタズタになってしまった自分を癒す時間だったように思います。政府、外交といった大きな話でなく「小さな人間」としての自分が何ができるだろうと模索する期間でした。コロナのあいだに人に会うことが難しかったことは、自分の心の整理をつける時間を長引かせたとは思います。もしコロナがなくて人と自由にコミュニケーションできていたらもっと早く決断ができていたかもしれません。

一方、自分の決断を決定的にしたのは昨年8月のアフガニスタンにおけるタリバンの復権を見たことでした。あれほど早くタリバンがカーブルを落とすとは思っていませんでしたが、そうなった理由として欧米のアフガニスタンに対する政策が失敗であったことがあったと思います。欧米諸国や国際機関に関係していたアフガン人たちが蜘蛛の子をちらすように祖国を捨て欧米に逃れる一方、中村哲さんのペシャワール会が一時的な休止はあっても活動を続けているのを見ていると、その国の社会が内在的にもっている論理を尊重した上でその国の国づくりに協力しなければならないと強く感じました。

私には人を直接的に助けられるような技能が何もなく、本当にどうしようもない人間なのですが、それでもこの国にある内在的な論理を少しでも理解してそれにしたがいながら自分ができることとは何かを考えてみたいと思っています。与えられた時間は1年しかありません。1年後どうなるかはまったく分からないのですが少なくともその間にできるかぎりのことをしてみたいです。

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